ザ・ノンフィクション「会社と家族にサヨナラ 〜ニートの光の幸せ〜」

 日本で一番有名なニートことid:phaさんを中心に運営している「ギークハウス」が、テレビ番組「ザ・ノンフィクション」に取り上げられた。

「ザ・ノンフィクション後編は25日放映です」
http://pha.hateblo.jp/archive/2017/06/24

ギークハウスは、30代前後の人たちが共同生活を行うシェハウスだ。「働かない/働けない」人たちが集まって暮らしている。主な運営資金はカンパや就労している人たちの出資で賄っている。プログラマなどのIT関係者の溜まり場というイメージも強かった。社会の「常識」や「ルール」に馴染めなかったり、精神疾患・障害を持っていたり、失職を繰り返したりしている人たちが共同生活をしている。同時に抜きん出た「個性」と「才能」を持つ人が数多く集まる場所にもなってきた。
 このギークハウスを取り上げた番組の中で私が引き込まれたのは、phaさんの「一人だけ生き残っても仕方がない」という言葉だった。phaさんは、何冊も本を出版するライターであり、ギークハウスの運営を展開している実業家である。いまも「だるい」という言葉をつぶやき、決められた場所で働くことはできないと言う。それでも、もう元ニートであって、十分に賃労働も社会参加もしている。そこで、やっているのは「みんなの居場所」を維持しようとすることだ。
 phaさんは「家族」という血縁関係や性愛関係での繋がりとは、別の形での共同体のあり方を模索する。利害関係でもないし、社会理念でもない。ただそこで、みんなが集まれる場所、というのは、人の流動性が高くなっていつも不安定だ。同じメンバーでやっていく約束は何もない。それも、ギークハウスは「ちゃんとした場所」ではない。雑然としているし、集まる人たちも個性が強く、好き勝手に動く。そういう場だからこそ、繋がれる人たちがいる。
 さらに、phaさんは、ギークハウスが引越しすることになったことを機に、二段ベッドをいくつも据付けることにした。「居場所のない人」を引き受けるためである。「家で引きこもっている」「親との関係が上手くいかない」「他人の家に居候している」などの行き詰まっているが、「お金がない」ために行く場所のない人が、転がり込めるようにしたのだ。民間のセーフティーネットだ。
 もちろん、本来的にはこうしたセーフティーネットは、福祉が担うべきものだろう。行く場所がない人には「支援」が必要だ。だが、phaさんは「支援」という言葉を使わない。「自分の周りに面白い人がいてほしいから」「そのほうが楽しいから」という言葉で説明する。phaさんは「支援者」の位置をとらない。やっていることが「支援的」であっても、おそらく「支援」をしたいのではない。私にはphaさんの取り組みは、「支援」とは異なる形で、場を作って「共に生きる」ことを目指すという、「基本に忠実な当事者団体」のやり方と重なって見えた。
 そして、もう一人、この番組でクローズアップされるのが、ギークハウスの常連、漫画家の小林銅蟲さんだ。小林さんは現在、イブニングで料理マンガ「めしにしましょう」を連載中だ。

小林銅蟲めしにしましょう
http://www.moae.jp/comic/meshinishimashou/1

 小林さんは、この連載を開始するまで大変な紆余曲折があった。一時期は、病気や引きこもりで外に全く出れず、親との関係も悪化して辛い時期が続いた。恋人の助けを借りて家を出て二人暮らしを始めたが、マンガを描くことで十分な定期収入を得るまで、長い道のりがあった。やっと、連載を始めることができると、小林さんはギークハウスの無職の人を、アルバイトに雇う。マンガを描くことをさぼらないように、隣で見ていてもらう仕事だ。もちろん、実際にマンガを描くために必要だから雇ったのだが、仕事のない人に「職を作る」ためでもある。小林さんはそのことをさらっと「還元したい」と語った。
 テレビで切り取られたこの生活が、どれくらい現実と一致しているのかは私にはわからない。内部に問題がないはずはないし、維持運営の経費や雑務の大変さを考えるとめまいがする。それでも、番組が描いた「夢」が伝わる人もいると思う*1。「私は与えられた」から「私も与えたい」という夢は、ロスジェネと呼ばれる私も含めたある世代が抱くわずかなキラキラしたものなのかもしれない。この世代は、「努力は報われない」ことが多く、「どこにもいけない」から辛い場所にとどまり続けた。そのことを恨むのではなく、次の人へのパスに繋げたい。そう思う時にこの世代の「光」の面が際立つ。もちろん、この世代の「影」の面が強くなれば「私は与えられなかった」から「私も与えない」に反転するのだろうが。

*1:個人的には、過去のいろんな人のことを思い出して泣いてしまったし、自分はこうした繋がりから離脱することを決めてしまった、という気持ちもある。