中村珍「羣青(Gunjo)」(上)
- 作者: 中村珍
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/02/25
- メディア: コミック
- 購入: 8人 クリック: 94回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
*ネタバレありです。(読むつもりがある人は、先に漫画からどうぞ)
一部では、ずいぶんと話題になっている漫画である。主な登場人物は、2人の女性。1人は、貧困家庭で暴力を振るわれて成長し、その後、結婚した夫からも暴力を振るわれていた(通称「メガネさん」)。もう1人は、お金持ちの家に育ったレズビアンで、メガネさんにずっと片思いをしてきた(通称「レズさん」)。メガネさんは「暴力をふるう夫を殺してほしい」とレズさんに頼む。そして、レズさんは実際に夫を殺す。レズさんが、公衆電話から、メガネさんにその報告をしている場面から、この物語は始まる。2人の逃避行を描いた漫画である。
ミヤマアキラが、2人の関係性に焦点をあてた、すぐれた評を書いている。
ミヤマアキラ「ヘテ女(じょ)とレズのあいだには、深くて暗い溝がある」
http://www.delta-g.org/news/2010/02/post-307.html
ミヤマさんの評でも触れられているように、作品のなかでのレズビアンの表象の仕方をめぐって、議論も起きている。
私がこの作品で異様だと思うのは、「選択した殺人」という罪を描こうとすることである。メガネさんも、レズさんも、社会的に不利な立場に置かれてきたことが、繰り返し強調される。同じ設定で、「レズさんが、追い詰められたメガネさんを救おうとして、夫を殺す」という描き方もできたはずだ。実際に、漫画で描かれるような状況ならば、メガネさんが夫を殺そうとすることには、同情の余地もあろう。また、レズさんの殺人も、メガネさんを<愛するがゆえに>ということで、共感が呼べるかもしれない。読者は「彼女たちが、殺人を犯したのは仕方がなかったのだ」と感想を持つようなストーリーである。
だが、中村さんは、こうした読者の解釈を拒むかのような描写を繰り返す。圧巻なのは、第五話である。メガネさんは、レズさんの彼女と話している。レズさんと彼女は、ささやかで幸せな生活を二人で送っていた。だが、メガネさんが、レズさんに殺人を依頼したため、その生活は壊されてしまった。レズさんの彼女は、メガネさんの首を締めながら「…アンタ…自分が悪いのに、詫びの言葉が言えんのか…?」と聞く。漫画では、メガネさんのモノローグで「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」と語られている。だが、吹き出しの中の、メガネさんが実際に話しているセリフは「謝りません…どうせ彼女を…返せません……」となっている。そのあと、彼女は、レズさんに「…なあ、…アンタの好きな子…、罪悪感ではち切れそうよ。わかってて犯ったん…?あの子が”殺させた人”になっちゃったんは、アンタがホントに殺したからよ…。」と言う。
さらに六話では、メガネさんは、自殺未遂をしたレズさんにこう聞く。「…ねぇ、どうして本当に…殺したの。『どこかに逃げて一緒に暮らそう』みたいな手案は、殺人よりも難儀だった?」レズさんはこう答える。「あーたが『助けて』じゃなくて、『愛してるわ だから殺して』を選んだから、…それってあーしのせい?真に受けたあーしのせーなの?」その後、レズさんは慟哭して「知りあわなきゃ、絶対幸せだったのに〜…」「旦那じゃなくてお前が死ねよ!!!」と叫ぶ。
さまざまな社会的要因の中で、2人はある男性の殺人に至った。だが、そうした事情はすべて捨象され、2人にとっては、自分たちの選択こそが問題になる。メガネさんは、自分がレズさんに依頼したという選択を悔い、罪悪感に押しつぶされている。レズさんは、メガネさんに「お前のせいだ」叫びながら、第八話では「自首するよ」と一人で罪を被る申し出をしている。メガネさんに、許し続け罪を被り続けるつもりだったが、許せない、だがそばにいたい、と告白する。その後、この逃避行をやめ、「償えば、元に戻る」として、自首するというのだ。だが、道に出て職務質問を受けそうになったとき、レズさんはとっさに逃げ出してしまい、メガネさんと警官に背を向け駆け出す。メガネさんが「どうして?」と問うと、レズさんは、捕まる前に「あーたの手紙を読み返したくて」と答えるのである。こうして、レズさんは、また殺人者であり続けることを自分で選んでしまう。
2人の逃避行は、何の先も見えないものである。「殺人」という一線を越えてしまったがために、<法外>へと投げ出されてしまう。もし、<法内>の枠組みに戻れば、逮捕される。虐待家庭を生き延びたこと、DV被害者であること、セクシュアルマイノリティであることの困難には、(決して十分でなくても)支援があり、他者とのつながりがある。救いがあり、未来がある。だが、それはあくまでも<法内>にいる限りの話だ。<法外>で2人は、次々と他者とのつながりを切り、暗闇へ向かって走って行くしかない。そして、それは2人にとっては、あくまでも、自らの選択の結果なのだ。
では、2人にこうした行動をとらせる作者の中村さんが、露悪主義であり、法外者の美学を描いているのだろうか。一方で、上巻最後に収録されている第十話では、レズさんの彼女と、その母親のエピソードが描かれる。レズさんがいなくなった部屋に訪れた母親は、父親とともに彼女がレズビアンであることを受け容れていることを告げる。<法外>にあるレズさんやメガネさんとは対照的に、彼女は<法内>の世界で、家族とのつながりを持ち生活し続けるであろうことが、「幸せ」と見えるように描かれている。中村さんは、<法外>の世界を魅惑的に描くことはない。ただ、そこが深い闇であると描きながらも、それでも2人を追い込んでいくのだ。
この物語は、いったい後半でどう展開して行くのだろうか。前半でここまで緊迫感を持ち、盛り上がった以上、生半可な終幕では読者は納得しないだろう。安易な悲劇も、救いも、うそ寒いなものになってしまうだろう。中村さんは、どうやって、最後まで描き切るのか。私は、この上巻だけでも、傑作だと思うが、後半が楽しみでもあり、不安でもある。