「法外な者として扱われてきた女性たち」

 この記事は、「メリットがあるから、女性に参政権が与えられたのか?」*1の補足記事です。本当は、こちらを紹介するつもりだったのですが、どの本の記述か忘れてしまったので、ストレイチーの著作を紹介しました。今日になって、思い出したので、補足として載せておきます。

法の政治学―法と正義とフェミニズム

法の政治学―法と正義とフェミニズム

「法外な者として扱われてきた女性たち」

 わたしたちは、とりわけ女性史におけるこれまでの蓄積のおかげで、歴史的に女性たちが法や規範の外部にある者として扱われてきたことをすでに知っている。このことは、先ほどの定義の中に含まれている<わたしたち>とは、じつのところ、法や規範の起源とその歴史性を問わないでいる<わたしたち>、という限定が付されて初めて意味を持つことを示唆している。すなわち、女性たちは長いあいだ、<わたしたち>の中には含まれていなかった。女性たちを排除していたにもかかわらず、あるいは排除したからこそ、かつての参政権が、<普通>選挙法の下で<わたしたち>に与えられた、ということが示すように、彼女たちは方の及ばない外部に留め置かれつづけていたのである。だからこそ、第一波フェミニズム運動、フェミニズム理論において、法(の改正)はつねに彼女たちの運動・議論の中心にあった。つまり女性たちは、<わたしたち>の中に含まれないがゆえに、法の起源や歴史性を議論の俎上に載せ、かつその正当性を疑問に付すことが可能だったのである。
 フェミニストの歴史家であるジョーン・スコットは、フランスにおける女性参政権運動家の歴史を綴ったその著作のなかで、あるエピソードに注目している。[Scott 1996]。このエピソードは、法外な者として扱われきた女性自らが、普遍性を体現していると宣言する法から排除されていることを批判するさいに直面する困難を非常によく表している。スコットが上げているのは、一九三〇年代、第二次世界大戦前のフランスにおける女性参政権運動の中心人物であったルイーズ・ヴェスの経験である。
 女性にも参政権を、と唱えるヴェスの運動は、すべての個人に生まれながらの平等な自由を保障するはずの共和国憲法の矛盾を突いたものであった。しかし、共和国の憲法が持つ普遍性に対して街頭で異議を唱えるという彼女の戦略は、当時左右両派から攻撃を受けていた共和国の基盤に対する脅威でもあり、人間の普遍的権利を保障することこそが共和国の理念であると信じていた彼女にとっても危険な賭けであったからである。しかし、それでもなお、彼女は政府に対する弾劾をやめることはなかった。
 ヴェスを始めとする多くの女性たちの長い闘争の末、一九四四年四月二一日にようやく女性参政権は認められることになった。だが、女性たちを中心とした戦闘的な闘争の結果を喜ぶどころか、ヴェスと女性参政権運動を共にした男性同志であるマーク・ルキャールは彼女の戦闘的な示威行動がどれほど当時のかれを憤激させていたのかを、戦後になってヴェスに伝えている。ルキャールは異議申し立てはあくまでも民主的な手続きを通じてなされるべきであることを信じていたからだ。

かれは、「投票権は暴動権を廃止するんだ。君は今まで、ヴィクトール・ユゴーを読まなかったのかね」と聞いた。ヴェスの応えは、ルキャールを戸惑わせた。「もちろんですわ。わたしの親愛なる大臣様。けど、教えてほしいの。いったい、わたしたちは当時投票権を持っていたのかしら」。ヴェスが述べるには、「マークは度肝を抜かれていた。かれはただ、男性としてしか考えることができなかったのだ。」[Scott 1996: 168]

 たしかにルキャールは、女性には参政権が与えられておらず、民主的な手続きを踏んで参政権を得ることができない、つまり、参政権がないからこそ、民主的な手続きに参加できないことを知っていた。それにもかかわらず、かれはいったん女性が選挙に参加し始めると、つねに女性がそこにいたような錯覚に陥っているのだ。ルキャールは、女性がかつてかれの信奉する共和主義政体のなかにありながら、その内部で共和主義の矛盾を体現した存在であったことを忘れ、あたかも女性たちの戦闘的な行動を非合理であるかのように責めているのである。
 さらにかれは、かれが戦前・戦後を通じて信じてきた共和主義における普遍的理念が、現在ようやく一貫したものに、つまり、すべての人に自由と平等な権利を与えるようになったにも関わらず、過去においても、あたかも現在のように普遍的であったかのように考えているのである。普遍的理念を政策として体現しているはずの民主的手続き、すなわち議会を通じて<わたしたち>の一般意志に訴えることは、共和国の中に生きるすべての者たちに開かれていた手段であったかのように、ルキャールは考えてしまうのだ。一九四四年以前、女性たちは共和国内のどこに存在していたのだろうか。「投票権は、暴動権を廃止する」という<わたしたち>の合理的な批判に対して、非合理的に振舞ったのは、女性、であった、のだろうか。
 ルキャールは、とりわけひどい健忘症にかかっていたのだろうか。いや、そうではない。むしろルキャールのヴェスへの言葉は、「その起源や歴史性を問うことなく、<わたしたち>がある物事にたいして適用する規則・規範」として先ほど定義しておいたほうのあり方を非常によく反映しているものと考えることができる。そして、こうした法のあり方こそが法外な者として扱われてきた女性自らが、普遍性を体現していると宣言する法から排除されていることを批判するさいにぶつかる困難を生み出している。
 ここでルキャールが<わたしたち>の法だと考えている法・規範とは何か。一点目は、個人は生まれながらにして平等に自由である、という共和国の憲法である。二点目は、「投票権は、暴動権を廃止する」というユゴーの言葉に範をとった規範である。一九四四年以前においてこの二つの法の前では、明らかに<わたしたち>の中から女性たちは除外されていた。女性たちは、一見するとこの法・規範の前には現れておらず、個人であることを認めさせようとするならば、非民主的な<暴挙>に出ることを、女性たちは余儀なくされていしまう。すなわち、法・規範によって諸個人からなる<わたしたち>としては認められなかったことによって、女性たちは、そうした法・規範が<わたしたち>に保証している手段以外の手段、つまり、非合法的な手段に訴えざるを得なかった。あくまで、女性であることは、<法外>な存在であったのだ。
(後略)
(14〜17ページ)

岡野さんは、「法の前での平等」は、根元的な「法の暴力」抜きには現れないことを、デリダを援用しながら書いています。すなわち法の普遍性は、女性を排除することなしには成立し得なかったということです。そして、女性が参政権を持つことは、法が変わるのではありません。法は、変化しえないという自らの普遍性には、何の傷をつけることもなく、女性を法内に包摂します。それは、女性を「人間=男性」に同化させることを意味します。ここで、ジェンダーカテゴリーと、法の普遍性の間には、緊張関係が生まれるのです。