フェミニストは女性の美について、何と言ってきたのか

 web上でミスコンについての議論が盛んになり、ある弁護士がフェミニストについての知識のなさをさらけ出して、あちこちから批判を受けることが続いている。私は議論に参加できてなかったのだけれど、「ミスコンに反対する人=フェミニスト=差異のない社会を求めている」という珍説が出ているので、さすがにこれはどうかと思い、記事を書くことにした。
 問題の記事は以下である。

ka-ya1789「ミスコンはヌードでやればいいのね」
http://d.hatena.ne.jp/ka-ya1789/20111025/1319551009

ka-ya1789「差別と差異」
http://d.hatena.ne.jp/ka-ya1789/20111031/1320065269

ka-ya1789さんは次のように書く。

ただ「美」という基準で女を判断するミスコンを批判すると、美による選抜はすべてNGなのかということになってしまう。美とは結局「見た目」ってことだから、見た目による選別は全て批判しなくちゃいけなくなるよね。


でも「見た目によって差別されない社会」って結局、「全員の見た目に差がない社会」なんだよね。


皆が同じ顔や体型をしていれば、差別はなくなる。

差別とは何らかの「差」があるところに生まれる否定的な意味づけだから、「差」がなければ差別も生まれないのです。

(中略)

ミスコンに反対するということは究極、差別=差異のない社会を理想とすることになり、それは男女差も否定することとなり、となればもともと批判したい「女性差別」もありえないということに…堂々巡りです。

http://d.hatena.ne.jp/ka-ya1789/20111025/1319551009

上記は、論理展開としてもおかしい。「今、差異に基づく差別があること」と「これからその差異をなくしていくこと」は両立する。「卵が生であること」と「これからゆで卵を作ること」が両立するのと同じである。「差異のない社会が実現すれば、男女差がなくなる」ならば、当然、そのときには「女性差別もありえない」だろう。でも、今はあるのである。卵をゆでればゆで卵ができるし、そのとき卵は生ではない。それと同じである
 しかし、そもそもフェミニストは「差異のない社会を目指している」のでしたっけ?「全員の見た目に差がない社会」を構想するフェミニストなんて見たことないぞ。それとも、私が知らないだけで、どこか遠くにそんなフェミニストたちがいるのだろうか。
 というわけで、今回は直接のミスコン批判ではないが、私の知っているフェミニストたちが、女性の美についてどんなふうにいっているのかを紹介しようと思う。
 まずは、ベル・フックス。彼女は、女性の中にも、階級や人種といった権力関係があることを、フェミニストとして内部批判した論者である。「フェミニズムはみんなのもの」の第六章は女性の美について、フェミニストとしての意見が述べられている。

 フェミニズム革命とそれによってもたらされた衣服によって女性たちが教わったことは、わたしたちの肉体は自然なままで愛や称賛に値する、ということである。その女性が、自らもっと着飾りたいと選択するのでないかぎり、何も付け加えられる必要はないのだ。もともと化粧品やファッションの業界の経営者たちや資本家たちは、フェミニズムが自分たちの商売を滅ぼしてしまうのではないかと恐れていた。そこで彼らは、女性解放運動にケチをつけるマスメディアの宣伝に金をつぎこみ、マスメディアは、フェミニストとはデブでブスで男まさるの中年女だ、というイメージをまき散らした。でも実際には、フェミニズム運動に参加した女性たちには、いろいろな体型やサイズの女性たちがいた。わたしたちはまったくもって、多様性にあふれていたのだ。そんなわたしたちの違いを、点数をつけたり勝ち負けを争ったりするのでなく自由に讃え合うことは、なんてすてきだったろう。
 フェミニズムの初めの頃、活動家たちのなかには、ファッションや外見に関心をもつことそのものを放棄する者も多かった。こうした活動家たちはよく、かわいらしい女性的な衣服や化粧に興味を示す女性をきびしく批判した。だがわたしたちの多くは、選べることをすばらしいと感じていた。そして選ぶときに、わたしたちはふつう、着心地のよい楽な衣服を着る方向に向かった。美しさやスタイルへの愛を、楽さや着心地のよさだけと結びつけるような短絡的なことを女性たちはけっしてしなかった。女性たちが要求しなければならなかったことは、ファッション産業(当時、ファッション産業は、完全に男性支配の世界だった)がさまざまなスタイルの衣服を作ることだった。女性雑誌も変わった(フェミニストたちは、女性の書き手がもっと増えることや、まじめなテーマもとりあげるように要求した)。アメリカの歴史始まって以来、女性たちは初めて自分たちの消費の力を知り、その力を使って積極的な変化を引き起こさせることを認識するようになった。
(中略)
 女性美をめぐってこのような変化(引用者注:やせた女性向けのファッションが独占的になり、ファッション雑誌がフェミニズム以前のように性差別的になっているという変化)が起こっていることは、まだあまり問題にされていない。というのも、三十年前、作られた女性美に反対の声をあげたフェミニスト女性たちは今では大人の女性となり、自分たちは選択の自由を楽しんだり、健康的で独特な美のモデルを追及したりできるからである。だが、美についての性差別的な基準をなくす闘いをやめてしまえば、あるがままの自分と自分のからだを祝福し愛することを可能にしたフェミニズムのすばらしい成果の一切をも、失ってしまう恐れがある。徐世知たちはみな、女性美についての性差別的な基準を受け入れることの問題性と危険性に、以前よりは気づき始めている。とはいえ、私たちはこうした危険をなくすために十分なことをしているとはいえない――つまり、新しい美のイメージを創りだしてはいないのである。(64〜71ページ)

 次に、日本の第二波フェミニズムの主流論客と言ってよいだろう、牟田和恵はこう書いている。

女性が「キレイ」になりたいのはいつの時代も同じ、たしかにそう言えるかもしれない。でも、たとえば「美人コンテスト」に出たりするのは、「はしたないこと」で良家の子女にはふさわしくないとされていたのはほんの数十年前だ。今日的な美人コンテストが世相に定着したのは戦後の現象だと井上章一は論じている(井上、一九九二年)。それまでは「キレイ」生まれつくことは望ましいけれども、それを追い求めるのは「女」を売り物にしている「くろうと」だけであって、「普通」の女性たちは、美の市場の慎み深い傍観者でもありえた。
 ところが現代の私たちにとってはそうはいかない。若い女性はもちろんだけれども、中学生や小学生、年輩の女性や高齢者ですら、キレイであること、かわいくあること、すてきな女性であることは常に気がかりだ。それはなにも男性を意識してとは限らない。同性の視線を意識するからでもあるし、突き詰めてみれば「自分に自信がもてる」からだ。キレイになることで、ステキな自分になることで、生き方が変わるはずと女性たちは考える。でもそれは、逆にいえば、「キレイ」でないことへの恐怖、魅力的でないとみなされることの不安がつねにつきまとっているのである。
(中略)
 「キレイなこと」「魅力的なこと」は「社会的に受け入れられる」基準だ。キレイであることは、これまでの私たちの社会が長きにわたって「望ましいこと」として女性に課してきた価値だから、その価値に準じるのは、逸脱者であることの「埋め合わせ」になる。これまでの女性たちには許されなかった自由な生き方、古いモラルや慣習に囚われない生き方をしたいからこそ、キレイであることは役に立つのだ。おまけにそれは、昔ながらの期待に沿っているのだから、シンデレラにはなれないまでも、自由な生き方に挫折したときの「保険」でもある。
 新しい生き方に挑戦する女性たちにとって「キレイ」であることは、年齢を重ねるにつれて切迫した要請になっていく。これまでの社会は仕事のできる女を受け入れてこなかった。ましてや年老いていく女などはビジネスや政治の世界のアウト・カーストだ。サッチャー首相のように、鉄の女、名誉男性として遇されないかぎり、年齢を重ねると女には居場所がなくなっていく。そんな未踏の領域に果敢に分け入っていく女性たちが、せめても「受け入れられる」資格・チケットは、「若くてキレイ」なことだ。男性たちは年をとっても、いや年を重ねるからこそ「威厳」や「貫禄」で存在感を増すけれど、それは女性たちには今のところ無縁だ。だから、「若くてキレイ(少なくともそう見える)」なことはパワーをもちはじめた女性たちに、少しは安心できる居場所を与えてくれることになる。若くてキレイなこと、少なくともそう努力することは、女性にとって、成功しながら社会に受け入れられるためのチケットなのだ。
 つまり「見た目」主義は、皮肉なことだけれども一面では、女性たちが力をつけ、社会的な存在感を増してきたことの「代償」だ。しかしもちろん私たちは、そんな代償をいつまでも払いつづけなければならないのではない。パワフルな女性たちの存在がもっと当たり前のものになったら、そして彼女たちが年をとり、「年輩・高齢」の女性たちが社会の表舞台で活躍するのがありふれたものになったら、「女性」を見る尺度は今よりは複線的なものになるに違いない。年輩で神も薄いけれど、エネルギッシュで権力を持つ男性がときに「男性的魅力」をもっているように、パワフルな年輩女性がエネルギッシュにチームを指導し、統率する魅力のかたちが生まれてくるだろう。年下の男たち・女たちに安心感を与えてくれる「頼りがい」のあるチャーミングさ、あるいは共同体を統率する卑弥呼のようなカリスマ性、あるいは今はまったく想像のつかないかたちで。私たちは今その過渡期にいるのであり、なにも悲観する必要はない(196〜200ページ)

実践するフェミニズム

実践するフェミニズム

 最後に、フェミニズムという言葉が日本に定着する前の、ウーマンリブの旗手である田中美津も、1972年に出版された「いのちの女たち」で女性の美について述べている。

 ホステスのバイトをしていた時、ホステス心得第一条は、男にどう媚びるのかではなく、女同士いかに張り合うかにあるという、そのことにあたしは気がついた。ホステスの濃く彩られたそのお化粧は、男より女を意識してのものなのだ。つまり、男の目に映る自分を自己肯定するためには、他の女より、自分は絶対に美しいと言う確信こそ、まず必要なのだ。その確信があればこそ、男に対して演じるバカなふりも、堂に入るのであって、男を獲得する道は、女と張り合う道という訳だ。その証拠に、一番の売れっ子として、ランクされるNo.1は、絶対自己肯定を得てるが故に、他の女と反目を引き起こすことが少なく、ランクが下る程、女同士いがみ合う。金持ちケンカせず、というやつで、No.1のその落ちつきは、その美しさをより高め、売れないホステスは、その陰惨さをより深めていく。世評に反してリブに参加する女の、そのほとんどが十人並みである、というその事実の裏に、生まれつきの目鼻立ちで女を差別し切り裂いていく、この社会が女に加える抑圧の本質をみると共に、あたしたちの運動の、その到達段階の不充分さをこそ知るのだ。
(中略)
 あたしは自分の後ろに、場末へ場末へ流れていく、要領の悪いホステスの、そのシワにくい込むお白粉の顔をみる思いであった。わが身の生き難さの中に人の生き難さまで引き受けて、お人好しのホステスは、男の一人もひっかけられずに、借金と、年の数と、傷跡ばかりしょい込んで、若いホステスの嘲笑を背に生きていくのだ。すでにあたしの耳にもその嘲笑が聞こえてきた。ホステスにもなれず、主婦にもなれない役立たずのメスが、客の手を逃れてかけ込んだトイレの鏡にひとり映った――
 いま痛い人間は、他人サマを抱きたがる余裕などあるハズもない。あたしは、他のホステスに対するわが身の余裕のありようを、己れの中産階級としての、その生きざまの軽さに帰そうとした。しかし、かつてはどうであれ、生きざまとは常に「現在」の問題なのだ。中産階級に生れ、生きもせずに死にもせずの、生をまさぐってきた女が、いまやっと生殺しにされていく「痛み」を「痛い」と感じて、リブに出会ったのだ。他のホステスが個人史の必然として、そこにその身を置くのなら、あたしはあたしで、中産階級のその個人史の必然として、リブに出会ったハズなのだ。むろんホステスするに至る必然と、リブをするに至る必然を、同じ位置において語ることはできない。しかし、もしあたしがホステスという職業を選択せたという、そのことだけをもってあたしと、その、選択もへったくれもなくホステスをやっている女たちを較べ、論じて、あたしの生きざまの軽さを否定することは、己れ自身に許せない。あたしの個人史が、ホステスを選択しえるものであった、つまり、あたしが中産階級に生れたということは偶然としか言いようのないことであって、だから、あたしのホステスぶり、そのとり乱しの按配を、その偶然をもって否定したならば、己れ自身の存在そのものを否定することになる。もとより、中産階級の甘さ、軽さ百も承知で、そこに居直りつつ歩を進めているのに、<ここにいる女>としてのその己れを否定してしまったら、他にどこに浮かぶ瀬があるというのか。
 他のホステスを抱えたがるあたしの余裕のありようとは、実は、負け犬のカモフラージュにすぎなかったのだ。ホステス稼業とは、他の女と己れを絶えず引き較べて、そこにおいて自己肯定を確立しなければ成り立たない職業であるにもかかわらず、あたしは最初から白旗をかかげて登場したのだ。そこにはふたつの本音が介在していた。ひとつはリブをやっていく過程の中で、女同士を切り裂き合うことの痛み、その惨めさを知ったこと。そしてもうひとつの本音は、女と張り合うことへの昔ながらの恐怖であった。その女とは、自分よりみめ形のよい女のことで、そういう女とすれ違う時、いつもあたしは、闘うまえに尻尾を巻いてコソコソ逃げてしまう犬に似ていた。物陰にかくれて、憎しみのまじった脅えに耐えつつ、ジーッとやりすごすという――。
 リブの集会で、顔にアザをもっている女が、化粧をとって素顔で歩こうと思います、というような発言をすると、あたしはその女のけなげさというか、ひたむきさというか、それに圧倒されつつ、思わずやめてくれ!と叫びたくなってしまう。素顔で歩くという意味は、アザ、アザ、アザと思いつめ、日蔭のもやしみたいに暮らしてきた今までと決別し、アザを白日の下にさらす中から、新しく「世界」を「己れ」を視てやろうという、その意気込みを指しているのだろう。しかし、幼稚園の学芸会の折、アザ故に魔法使いの役割をふりあてられたというような過去を、その身に幾重にもひきずっているその人が、アザをとって素顔で歩く<その時>とは、革命の<その時>に他ならない。やめてくれ!というあたしの叫びは、取り残されてしまう予感に脅える者の、恐怖を帯びた叫びなのだ。
 道で、自分が男だったら、まず抱く気が起きない、という風な女に出会うと、あたしは無意識に目をそむける。そむけつつ、あたしじゃなくてよかったとまず思う。しかし、自分がその女から目をそむけた瞬間、見しらぬ誰かが、あたしから目をそむけるのが、視える。みめ形よい女に脅える負け犬は、自分とドッコイドッコイの女に出会うとホッとして、自分より分の悪い女に出会うと目をそむける。そむけつつそこに自分を視る。「アザを気にしないで素顔で歩きます」というそのことばに脅えるあたしは、自分の分身がひとり自分を解放していくさまに、取り残される自分を予感するのだ。人から顔をそむけるばかりで、そむける相手を失ってしまうことへの、それは恐怖に他ならない。
 女に対するいとおしみを恐れ、――男を中に反目してきた女の生き難さに対する共感と、しかし、できうることなら、その歴史性、その現在と、己れ一人は別れてキレイに傷つかずに暮らしたいという想いの、その二つの本音がホステス暮らしのつらさを嘆息しつつ、他の女を抱き抱えたがると言う、ウソッパチにあたしを巻き込んでいったのだ。
(文庫版・73〜78ページ)

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

 フェミニズムにはたくさんの言葉がある。学術書から、一般書、自前の冊子、散逸しやすい機関紙やニューズレターまで、綴られた文字である。理論的に突き詰めれば、運動にはいつも限界や破たんがある。その上、内部分裂や、抗争があって、裏切ったり傷つけたり搾取したりズルをしたり。でも、フェミニズムに向き合うならば、フェミニズムの限界を探すより、自分の限界と格闘したほうがよい。何ができないかより、何ができるかを探したほうが良い。私は間違ってもフェミニズムの主流ではないし、大きな集会にいくたびにかき乱す質問をしたり疎外感を持って帰ってきたりする。フェミニズムの内部でもうまくやれないのに、外部ではもっと風当たりはきつい。フェミニストと名乗っただけで、勝手なステロタイプを押しつけられたり、思い込みで感情的な言葉を投げつけられたりする。じゃあ、なぜフェミニストと名乗るのかというと、私が通ってきた道は、今も必要としている人たちがたくさんいて、ほんの少しでもそこに至る経路を残したいと思っているからだ。単純に、わたしたち(男も含める)は、性差別に泣いていいし、怒っていい。性別によって押し付けられた役割を放棄していい。そして、放棄しようとしてできなくてもいい。そこから出発して、次に何をするのか考えよう。そういうフェミニズムのやり方を、残しておきたいと思っている。

 ちなみに私が女性の容姿について焦点を当てて書いた記事にはこんなものがある。

「細谷実『美醜としての身体――美醜評価のまなざしの中で生きる』」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080623/1214235235

「自己責任という責苦」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080926/1222397391

「美人とは誰のことか?」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20091224/1261639347