川口有美子「逝かない身体」

逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく)

逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく)

 第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したエッセイである。作者の川口さんは、ALS患者となった母親を10年以上にわたり介護してきた。
 1995年、イギリスで豊かな生活をしている川口さんに、日本で暮らす母親から電話がかかってくる。神経性の難病であり、「生存が4〜5年の見通し」であるような不治の病だという情報しかない。川口さんは即刻帰国し、子育てをしながら母親の介護を始める。ALS介護に関する情報はまったくないまま、このままTLSと呼ばれる完全に肉体を動かせない状態になるかもしれないと告知を受け、心身を消耗しながらも、母との生活を続ける。
 呼吸器をつけ、まぶたや眼球の動きでも意思表示ができなくなった母を前に、川口さんは「死の権利」が必要だと考えたこともあるという。それは、自発呼吸のできないALS患者から、「呼吸器を外す」権利である。「自分が介護が辛いから」という以上に、「自分のために母親に生きていてほしい」という願いが、母親を苦しめているように感じられることが理由であったと書いている。本当は母親は「辛くて苦しくて絶望していて、死にたいと思っているかもしれない」のに、自分のエゴにより生かしているように思われたというのだ。
 実際に、川口さんの母親は、意思表示ができるころに「呼吸器をつけずに、死んでいくこと」を望むこともあったという。だが、その意思を額面通りにとってよいのだろうか、と川口さんは問う。たとえ死を望むことを口に出しても、もしかすると、”「生きていてほしい」と家族には言い続けてほしい””死ぬことを止め続けてほしい”のではないか、と推察するのだ。
 川口さんは、母親の介護生活の中で、さまざまなALS患者ともで会っていく。その中で、ALS患者の内面は複雑であることを発見していく。「死にたい」という気持ちを口にするとき、表現されているものは、4文字の言葉以上のものだ。あるときは、乱雑な介護者への罵倒表現でもあるのだ。そして、ある一人のALS女性詩織さんに川口さんは会いに行く。美しい海辺で暮らすその人は、土地柄で行政から十分な介護資源が得られず、もし呼吸器をつけるならばの娘を呼び戻して、自分の介護を頼むことになる。だが、娘の負担を考えれば、そうはしない。川口さんは次のように書く。

(前略)詩織さんは、たとえ同病の人でもメールのやりとりをしたい人はいないという。たしかに誰も詩織さんとは話が合いそうもなかった。呼吸器をつけた患者さんも詩織さんの覚悟を変えるとは思えなかった。
 私がこれまで出会った多くの女性患者さんたちは、詩織さんのようだった。
 家事一切ができなくなり、かえって家族に面倒を書けてしまうのなら、死んだほうがましという母親の覚悟はわからないでもない。だが母親の存在理由はそんなもんじゃないと一方では思う。患者も家族も、慣れれば別の生き方も見えてくるはずだ。
 自分の介護を、家族、特にわが娘にさせたくないという女性患者が多いのは、介護は娘の、特に所得のない未婚の娘の仕事であるとされてしまうことが多いからだ。社会が、というよりはむしろ狭い家族という親密な間柄で、無償の仕事は自動的にもっとも弱い立場の女性に分担されてしまう。
 しかしまた、そのように案じる母親患者の想いの外で、娘たちは病んだ母親を守護神のように思っていたりする。たとえどんなに弱々しい存在になってしまったとしても、母親の生存の事実だけが大切なのだ。
(228ページ)

川口さん自身は、母親の介護を通して、イギリスでの夫との生活を放棄した。それまで心血を注いできた、子どもへの教育への努力も諦めた。だが、そのことで夫とは別の人生を歩むことができたし、子どもに対する能力主義的な価値の押し付けをやめることができたと感じている。そしてALSが川口さんと地域の医療や、障害者団体、コミュニティ、政治運動、学問と結びつけていったのだ。おそらく、入り口では、川口さんが介護をすることは「家族の犠牲になること」であった。当時の、イギリスの隣人は川口さんを案じ、夫婦一緒の生活を優先するように忠告している。そして実際に川口さんはそれまで営んできた生活のスタイルを失った。だが、母親が亡くなった今、川口さんに残されているのは、豊かな人間関係と社会へアクセスするルートである。
 もちろん、現在の日本社会で、「親の介護」を女性が引き受けることは「犠牲になること」になりえる。だから、川口さんは、詩織さんの言葉を否定しない。そしてその「母親としての覚悟」を受け止め、呼吸器をつける説得はやめ、一人で都心に帰ってくる。だが、川口さんは「個人の意思決定の前に、同じ国のなかでも、生きられる場所とそうでない場所、生きやすい性と生きがたい性があった。このことに私たちはもっと敏感になるべきではないだろうか」*1と述べる。そのうえで、やはり川口さんは自分自身が母親の介護をしてきたことを、肯定して行くのだ。
 川口さんは、「できること」が自立とされる、この社会での価値観を疑っていく。ALS患者の自立とは、できないことを、介護者という他者の手にゆだね、ときには装置を操って、別のありようを見いだしていくことだ。トイレに行けなくなれば、ベッドの上で用をたすことを工夫していくのが自立だ。それは「できないこと」を一方的に諦めていくのとも違う。ALS患者の「できない身体」から見えてくる社会への関わり方を、編み出していくことが自立なのだ。
 意思表示ができないとされるTLSの状態になっても、川口さんは母親の身体を観察することを通して、コミュニケーションを続ける。発汗や顔色などの生理的反応を読みとることで、母親と繋がり続けるのである。そうして、母親と関わり続ける中で、2007年、死を迎える。”一切、「自分で何かをする」ということができず、人工呼吸器をつけた母親の死”を描く章には、「自然な死」というタイトルがつけられている。家族に見守られながら、冷たくなっていくその死は、決して尊厳のないものではないだろう。川口さんの母親の葬儀の日は美しい夕焼けであった。その描かれた光景の中で、読者は、川口さんと母親とが、ゆっくりと死によって分かたれていくさまを見るだろう。
 いま、川口さんは「死の権利」を法で保障することに反対している。死は、学んだり選んだりするものではなく、ただやってくるものだ。その前に、生き続けることが誰かの迷惑になってしまうような社会こそが問題であると、川口さんは切り返していく。十分な介護を得られないために、家族が過重な負担を強いられるこの社会で、ALS患者はたとえ「生きたい」と思っても、周囲におもんぱかって「死にたい」としか言えないのではないか。「生きる権利」が保障されない中で、「死の権利」を掲げることは、暴力的に患者とその家族を、「死ねば楽になる」という発想に追い込んでいく。川口さんは、いまも、ALS患者に対する、介護の拡充に向けて動いている。「何もできない」ことが、恥じや迷惑と結びつかない社会で、「何もできないこと」は、はたして死の理由になるのだろうか。こうした問いを提起する一冊である。

*1:230ページ