「いま、阪神大震災を語るということ」

 先週の金曜日、「いま、阪神大震災を語るということ」という企画を実施しました。企画・運営は私が務めました。

「いま、阪神大震災を語るということ」

【日時】
2012年12月7日 (金) 19:00から 21:00

阪神淡路大震災から17年。今も「震災後」を生きている人たちがいます。中嶋さんは「被災者」の孤立感と、周囲とのすれ違いとを描いた演劇作品を上演しました。野崎さんは、被災障害者支援の経験があり、その知識の蓄積を冊子にまとめました。3.11以降のいま、阪神淡路大震災を語ることの意味を、ゲストと共に考えます。

【ゲスト】
中嶋悠紀子(劇団プラズマみかん代表)
野崎泰伸(立命館大学大学院先端総合 学術研究科研究指導助手)

【進行】
小松原織香(大阪府立大学人間社会学研究科博士後期課程)

【カフェマスター】
本間直樹(大阪大学CSCD教員)

【共催】
カフェフィロ

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/seminar/2012/12/5379

 イベントでは、野崎さんからは、阪神淡路大震災の被災経験と、支援活動について、お話いただきました。野崎さんは、被災障害者の支援活動の経験の中から、1997年の時点で、障害者は日常生活の中で差別によって社会的に弱い立場に置かれているところに、非日常的な災害によって、より苦しい状況に立たされるのだということを指摘されていました。3.11以降には、こうした被災障害者の置かれた現状をまとめた冊子(『医療機器と一緒に 街で暮らすために――シンポジウム報告書 震災と停電をどう生き延びたか 〜福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザーらを招いて〜』*1)の編集に携わっています。
 たとえば、原発の問題にしても、障害者が避難しようとしても、まずいっしょに避難する介護者を探さなければなりません。また、街中には障害者の生活を阻むさまざまなバリアがあるために、避難による環境の変化の負担も、重くなりがちです。こうした、一人の被災者が背負う震災の影響は、マクロな差別構造によって、より社会的弱者に負担をかけることが、野崎さんのお話でわかりました。
 逆に、中嶋悠紀子さんからは、ご自身のミクロな経験を語っていただきました。当時、被災地の周縁部(神戸市北区)に住んでいた中嶋さんは小学生で、クラスにはたくさんの仮設住宅へ批判してきた子どもたちが転校してきました。中嶋さんたちは、その子どもたちに対して「傷ついたかれらを、これ以上苦しめたくない」と心から思いながら、「あんな苦しみを抱えた人間の気持ちを、私は理解してあげられない」という隔絶や心理的距離を感じ、葛藤します。その上に、小学生女子の「誰と誰が仲良しか?」というクラス内の人間関係の難しさに悩みます。中嶋さんにとって、震災の経験とは、クラスメイトとの友情の問題として記憶されていますが、それを演劇作品*2にしたとき、「あなたは震災のことを何もわかっていない。もっと、どれだけ大変で苦しんだ人たちがいるのかを、描くべきではないか」という批判を受けました。
 このお二人のお話をもとに、フロアでは活発に意見が交わされ、「トラウマティックな経験を語るとは、どういうことか」という問題について議論をしました。その結果、「<本当に>辛い状況にある人は、語れない人ではないのか」「言葉では伝わらないことも、何かに置き換えて(独特な表現、芸術表現などにして)、はじめて伝わることがあるのではないか」「忘れていくことは悪いことなのか、『忘れてはいけない』『語らなければいけない』というプレッシャーがあるのではないか」「『絆』という言葉が多用されるが、あれはいいことなのか」など、繊細な問題がいくつも提示されました。とても、難しい問題で、進行役もゲストも参加者も、言葉を選び、つっかえつっかえになったり、自分の言いたいことの伝わらなさにもどかしさを感じたりしながら、話す場となりました。私は、それが一番よかったと思います。
 私がこの企画を立案しましたが、ずっと「いま、こんなことをやっている場合なのか?」という問いはずっとありました。3.11の被災者の、避難する/しないという選択の過酷さ、移住先での環境の変化の負担、被曝による経済的・健康的影響の問題、そしてがれきの問題など、たくさんの目の前に差し迫った問題があります。その中で、あえて、17年前の震災について、語る意味はあるのだろうか、という問いです。さらに、企画当日に、大きな地震があり、私は会場に向かう電車の中でも、迷っていました。何にも答えが出ないまま、企画を実施し、終わった後も、答えは出ません。それでも、やってよかったのだと、今は思っています。
 ゲスト、参加者、スタッフのみなさま、ありがとうございました。


 なお、阪神淡路大震災東日本大震災を扱う企画が、立命館大学生存学研究センターでも、年始明けに行われます。

「災/生――大震災の生存学」

【企画趣旨】
1995年の阪神・淡路大震災から16年後、東日本大震災が起きました。大震災では、数多くの「死」とともに、それに抗する「生の技法」があらわになります。震災における「生」は、自然と社会のはざまにある人びとの生の過程そのものであり、また同時に災厄の中で生きる知恵や技法が創出される現場でもあります。

本シンポジウムでは、大震災における外国人と障害者をめぐる研究を通じて、マイノリティとして生きる人びとの生の過程や、「障害」や「病い」をもつ人びとがつくりあげる生の技法について考えていきたいと思います。

【日時】2013年1月14日(月・祝) 10:00〜16:45(開場9:40〜)
【会場】立命館大学衣笠キャンパス創思館1階カンファレンスルーム
【主催】立命館大学生存学研究センター
【参加】参加無料・要事前申し込み(定員100名)

http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/498

 

*1:次のサイトで読めます→ http://www.arsvi.com/b2010/1203gm.htm

*2:以前、ブログで取り上げました→ http://d.hatena.ne.jp/font-da/20110714/1310633132