森岡正博の臓器移植法改案に対するコメント

 昨日(7月7日)、参議院厚生労働委員会臓器移植法改案に関する参考人聴取・質疑が行われました。そこで、森岡正博が発言しています。*1
 私もネット中継を観ましたが、非常に重要な情報が示されています。本来、議論の前提となる情報ですが、マスメディアではほぼ報道されていません。てるてるさんが、森岡さんの発言をまとめておられますので、ご紹介します。

 森岡正博

 わたしは、衆議院提出B案の原案となった、いわゆる森岡杉本案の提唱者のひとりでございます。

 内容としましては、おとなについては現行法のまま、

 こどもについては、こどもにも意見表明の機会を与える、という案であります。

 参議院におきましては、個人的には、E案に親近感を抱いております。

 きょうはおもにA案に対して疑問点を述べさせていただきます。

 まず第一点でありますが、これは親族優先提供であります。

 A案の親族優先提供の条項は、削除すべきであると思います。

 たとえば英国では、提供先の指定はガイドラインで禁止されております。

 昨日もそうでしたが、ぬで島さん、あるいは、町野先生も、

 削除ということをおっしゃっておりました。

 私も削除です。

 ですので、この点に関しては、議論の余地なく、削除、ではないかと私は思っております。

 二番目は、本人の意思表示について、であります。

 A案は、本人の書面による意思表示がなくても、脳死判定、移植ができる、としていますが、

 これは国民のコンセンサスになっていない、と私は思っています。

 2004年の内閣府調査、そして、2008年の内閣府調査、ともに、

 本人の意思表示に賛成する回答が50%を越えております。

 本人の意思表示が必要、ということについては、過半数の国民が現行法を支持している、と私は考えております。

 新聞調査によっては、社によって意見が違います。

 読売新聞は19.2%ですが、毎日新聞は52%。

 ですので、政府の調査を見る限り、本人の意思表示の前提をはずすことに関しては、

 国民のコンセンサスはない、といわざるをえない、と私は思っています。

 三番目、長期脳死について、でございます。

 こどもは長期脳死になりやすい、とされています。

 長期脳死とは、脳死状態で30日以上、心臓が動き続けるケースでございます。

 その間に、脳死のこどもは成長し、身長が伸び、歯がはえかわり、顔つきが変わる、と言われています。

 A案は、このようなこどもを死体と断じるものであります。

 日本移植学会理事長の寺岡氏は、7月2日の厚生労働委員会において、次のような発言をされておりました。

 〔最近、繰り返し報道されている、いわゆる長期脳死につきましては、法的脳死判定の基準、

 あるいは、小児脳死判定基準を完全に満たしている事例は存在せず、脳死とはいえません。

 すなわち、無呼吸テストが実施されておらず、またその他の判定基準も一部しか満たしていないのが事実です。〕

 これをお聞きになって皆さんは、長期脳死は、無呼吸テストをおこなっていないし、

 法的脳死判定をしていないので、厳密には脳死ではない、と思われたのではないでしょうか。

 ところが、昨日の、谷沢先生、島崎先生の御発言では、無呼吸テストをした長期脳死がある、と言われておりました。

 事実は、どうなのでしょうか。

 昨日も、丸川議員から、その点について最後に御質問があったと存じます。

 それについて、私が、代わって、お答えしたいと思います。

 2000年に、日本医師会雑誌に発表された、旧厚生省研究班の論文

 「小児における脳死判定基準」というものがあります。

 これは日本の小児脳死判定基準を定めた、決定版の論文でございます。

 寺岡さんが発言で引用されていたものであります。

 論文には次のように明記されています。

 まず、

 脳死とされる、6歳未満のこどもについて、

 厳密に、無呼吸テストを2回以上実施して、

 無呼吸が確認されたケースが、20例あった。

 これは、小児脳死判定基準を厳密に満たしております。

 そして、その20例のうちの、

 7例、

 が長期脳死になっています。

 すなわち、無呼吸テストをおこなった、6歳未満の脳死のこどものうち、なんと、35%が長期脳死になっています。

 さらに驚くべきことに、そのうちの4例、すなわち、20%が、100日以上、心臓が動き続けております。

 これが、論文で発表されている事実です。

 無呼吸テストを厳密に実施した脳死判定で、

 脳死のこどもの3割以上が長期脳死になっており、

 2割は100日以上、心臓が動いている。

 我々は、まず、この厳粛たる事実を、胸にきざまなくてはなりません。

 どうして、このような重大な事実が、国民に広く知らされてこなかったのでしょうか。

 この論文は、日本で最も権威のある、脳外科の医師である、竹内一夫先生のグループによって執筆されたものでございます。

 この論文の注に引用されている論文の一つが、

 日本救急医学会雑誌2000年のもので、

 「300日以上脳死状態が持続した幼児の一例」

 というものであります。

 これは兵庫医科大学のケースであります。

 このケースでは、生後11ヶ月の男児が、脳死になったのち、

 厚生省研究班の小児脳死判定基準を、2回の無呼吸テストを含め、厳密に満たしております。

 その状態で、326日間、約1年弱、心臓が動き続けております。

 論文には、2回の無呼吸テストを含む神経学的評価をおこない、基準を満たしていることを確認した、と明記されておりますし、

 医学的には、本例は早期から脳死状態にあったことはまちがいない、と明記されています。

 小児脳死判定基準を厳密に満たし、2回の無呼吸テストをおこない、脳死と判定されたうえで、

 326日間、心臓が動き続けた、長期脳死の例が、はっきりとあるのです。

 それだけではありません。

 この間、身長が、74cmから82cmまで伸びています。

 成長しているのです。

 また、90日頃から、手足を動かし始め、いちじるしいときには、あたかも踊るように見えた。

 いわゆるラザロ徴候というものですが、

 手足の動きは、心停止まで続いております。

 再度確認しますが、この兵庫医科大学のケースでは、無呼吸テストは、24時間あけて、2回、おこなわれています。

 ここにもマスメディアの皆さんがおられますが、脳死についての正しい情報を是非とも国民に知らせてください。

 心臓が100日以上動き続け、成長し、身長も伸びる脳死のこどもが、死体である、とする、国民のコンセンサスはありません。

 また、長期脳死になるかならないかを見分ける、医学的な基準も発見されていません。

 たとえ、親の同意があったとしても、長期脳死の可能性のある脳死のこどもを死体と断じ、

 その身体から心臓や臓器を取り出すことは、危険すぎます。

 これらの点について、こども脳死臨調で、専門的な調査をおこなって、その結論が出るまでは、

 脳死状態のこどもからの臓器摘出を許可してはならない、と私は考えます。

 (中略)

 ドナーカードを持っていない人というのは、持たないことによって、何かの意思表示をしていると思うのです。

 そのうちの多くの人々は、迷っているのです。

 この、迷っていることを尊重すべきだと、私は思います。

 我々には、脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて、迷う自由があります。

 この迷う自由を人々から奪ってはなりません。

 迷う自由を保障するもの、それこそが、本人の意思表示の原則であります。

 すなわち、迷っている間はいつまでも待っていてあげる。

 もし決心がついたら申し出てください。

 これが、本人の意思表示の原則なのです。これが現行法の基本的な精神となっております。

 A案、すなわち、拒否する人が拒否の意思表示をすればよい、というA案では、

 この、迷う自由、悩む自由というものが守られません。

 なぜなら、あれこれ迷っていたら、迷っているうちに脳死になってしまい、

 家族がもし承諾してしまえば、臓器をとられてしまうからです。

 迷っていたら、臓器をとられてしまいます。

 これが、わたくしがA案に反対する、大きな理由の、一つです。

 最後に、脳死の議論で忘れ去られがちになるのは、脳死になった、小さなこどもたちです。

 彼らは、生まれてきて、事故や、病気で脳死になり、そして、

 ひょっとしたら、何もわからぬまま、臓器までとられてしまうのです。

 あまりにもふびんではないでしょうか。

 ここから、私の個人的な見解、といいましょうか、思想、哲学になるのですが、

 こどもたちには、自分の身体の全体性を保ったまま、

 外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、

 まるごと成長し、そしてまるごと死んで行く、

 自然の権利というものがあるのではないでしょうか。

 そして、その自然の権利がキャンセルされるのは、

 本人がその権利を放棄する事を意思表示したときだけではないでしょうか。

 私はこのように思います。

 そして、現行法の本人の意思表示の原則というものは、

 このような考え方が具現化されたものではないかというのが、

 私の解釈、考え方であります。

 外国では、脳死のこどもからの移植が可能だというふうに、すぐに外国のことを我々は気にします。

 しかし、日本は、実は、世界で最も、脳死について、国民的な議論をした国です。

 その結果成立したのが、本人の意思表示の原則という、日本ルールなのです。

 我々は、この日本ルールにもっと誇りを持とうではありませんか。

 もちろん、移植法全体としては、昨日、ぬで島さんが指摘したような改善点は、当然あります。

 しかしながら、本人の意思表示の原則というものは、世界に誇れるものだと思います。

 わたしからは以上です。

「てるてる日記」より
http://terutell.at.webry.info/200907/article_1.html

元の動画はこちらで観られます。

参議院インターネット中継」
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
「ビデオライブラリ」
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/index.php

二時間と長い動画ですが、おもしろいです。後半では、最新のアメリカでの移植医療の情報や、法と倫理についての考えについての専門家のコメントも出てきます。

 私個人としては、支援者・専門家と政治の関わりついて、私はもう一度再考しないといけないかもしれない、と思いながら観ていました。おそらく、多くの方が感じていらっしゃることでしょうが、今回の法案は明らかに政争の具として突然脚光を浴びることになりました。このように、「生死」に関わる問題は、人の心をかき乱すため、問題の本質とは直接関係のない駆け引きに利用されることも多々あります。もし、政治にかかわるならば、支援者・専門家はその渦中に飛び込むしかありません。また、そうした駆け引きを利用する必要すらあります。
 私も含めて、現実問題にコミットしながら研究を進めようとする立場にある人は、みんな直面する問題だと思います。「きれいごとは言っていられない」という切迫感と同時に、開き直ることに対する罪悪感。「喫緊の問題であるからしかたがない」という言葉のウソくささや欺瞞は、口にする本人自身が一番知っていることだと思います。さらに、政治の力に振り回され、自分を見失っていくことへの恐怖。そうといって、「研究者は客観性を保つため、政治とは距離を置く」という態度には、とても賛同できません。
 幸か不幸か、私は専門家としてのキャリアはまだありません。しかし、私のような政治に近い場所で研究を希望する人間にとっては、避けて通れない課題だと思いました。

脳死の人―生命学の視点から

脳死の人―生命学の視点から

*1:ご本人もご紹介されています→http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20090708/1247014793