私は鈍感さを肯定しない

 id:mojimojiさんが、私が先に引用した西堂行人のピンター評を批判している。
mojimoji「政治的直接性からの逃走」
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1
西堂さんは、ピンターの直接的でない政治的意見の表明を評価する。

ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。
(http://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2007/05/post_22.html)

しかし、これは(良く読んでみればわかるが)西堂さんは、「ユーモアとアイロニーを手放さない」ことを称賛する前に、「あくまで劇の対話のように」と書いている。さらに、その前には、ピンターが不条理劇の作家であることも述べている。すなわち、自らの芸術家としての仕事である「劇作品」と、自らに要請される「政治」を見事に接続して見せたことを称賛しているのである。
(付記しておくが、西堂さんはピンターを引用する前に、(直接的な)政治的主張を繰り返していたミュラーも紹介している。そして、西堂さんこそが、ミュラーを日本に紹介したけん引役である。西堂さん個人とが、政治的直接性への蔑視を持っているが故に、ピンターを称賛したというわけではないだろう。*1
 世の芸術家の中には、自らの「作品」と「政治」を切り離している人もいる。もちろん、芸術家だって市民であるのだから、市民として活動することもできる。しかし、芸術家として一つの作品を作るごとく政治に参加するとき、その人の美的感性は政治行動にも反映されるだろう。もちろん、その態度が直接的な政治行動を茶化し不真面目なものと揶揄しているようにみえることもある。たとえば、扇田昭彦唐十郎の政治行動を次のように振り返っている。

 およそ政治的人間ではなく、左翼でもない唐十郎でさえ、明治時代に出会った六〇年安保闘争では、岸首相の訪米を阻止するために羽田空港に座り込んだ。ただし、デモに参加してもそこはいかにも唐十郎的だった。そのころ、明大の学生劇団ではイプセンの『民衆の敵』の稽古をしている最中だった。そこで唐は靴屋のペックの舞台衣装に長靴をはき、杖をつき、警官がこわいので剣道着までつけてデモに参加した。つまり、デモに演劇の遊戯性を持ち込んだわかだが、これは闘争リーダーから「ふざけすぎてる。政治はもっとシリアスなものだ」と批判され、ストップをかけられた。
(「日本の現代演劇」13〜14ページ)

日本の現代演劇 (岩波新書 新赤版 (372))

日本の現代演劇 (岩波新書 新赤版 (372))

当時の安保闘争には、アングラ小劇場劇団の担い手たちは、続々と政治参加していた。中でも、鈴木忠志などはラディカルな活動家だったようだ。その中で、唐のとった振る舞いは批判されたことが、上記の記述でわかる。
 また、今回やたらmojimojiさんが持ち上げているソンタグもまた、1993年に戦闘下のサラエヴォで「ゴドーを待ちながら」を上演した時に、同様の批判にさらされた。生きるか死ぬか、という状況の中で、西洋の不条理劇を上演することに何の意味があるのか?と問われたのだ。また、せめて苦しい状況下の人びとには、重苦しくて難解な「ゴドーを待ちながら」ではなく、もっと楽しませるような娯楽作品を上演すべきだとも言われた。ソンタグ自身は以下のようにインタビューに答えている。

マンク(引用者註:インタビュアー) サラエヴォでの演劇は何かの役に立つと思いますか?
ソンタグ 役に立つとか立たないとかわたしに聞かないでください。わたしは正しい行為というものを信じているだけです。彼らは演劇を行い、わたしは彼らが実際そうしていることに、すなわち、常に感情を見出しそれを表現しようとしていることに敬意を払うだけです。
(「シアターアーツ」第1号、97ページ)

シアターアーツ (1(1994-1))

シアターアーツ (1(1994-1))

 以上のように、芸術家が政治的行為を迫られたとき、必ず「どのように表現するのか」を、周囲のみならず自らにも問われる。もちろん、直接的な政治的意見の表明のかたちを選ぶこともできるし、そうでないやり方を選ぶことはできる。それは芸術家の選択であり、その結果こそを私たちは評価すればよい。どちらを選ぼうと自由だが、その結果からは決して自由ではいられない。それが芸術家の政治的責任である。

 さて、その上でmojimojiさんの以下の部分を批判しておきたい。

 一例だけ挙げておきましょう。日本において、従軍慰安婦問題は、一人の被害者女性の勇気ある告発によって、初めて社会的に取り組むべき問題として認知されたのです。文学のみならず、学術研究も含めたすべての「知」は、彼女の告発以前には、「政治的解決」はおろか、なんらの「政治的前進」さえ、もたらすことはできなかったのです。たった一人の孤独な「政治」が立ち上げられるまで、「知性」も「言葉」も、彼女に何をもたらすこともできなかった。だから、あの一件は、すべての知識人に対して、「「もはや黙っているべきではない」のではないか?」という問いを突きつけたのです。
mojimoji「政治的直接性からの逃走としての「知性」」
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1

上の記述により、削除され、隠蔽されたものは何か。日本人「慰安婦」城田すず子の存在である。藤目ゆきは以下のように解説する。

 城田さんの場合、戦後長い歳月を経ても「地獄」の記憶が心を離れず、身を寄せていた女性保護施設のキリスト者に告白し、これが一九七一年に『マリヤの賛歌』(日本基督教団出版局)と題する本となった。また八五年にはラジオ放送で体験を語った。親の借金のために芸者屋へ売られ一五歳から客をとることを暴力で強制され、性病のために子どもを産めない身体になった彼女は、払いきれぬ借金を払うために台湾へ鞍替えし、そして戦争が始まるとサイパン、トラック島、パラオなどの軍「慰安所」を転々とした。戦後、女性保護施設に入所してからも虐待された記憶、身を恥じて故郷に帰れなかったり、自殺したり戦場で亡くなった他の女性たちの記憶に苦しみ続けた。身体的にも性病の結果、下半身不随になっていた。告白することで救済を求め、「慰安婦」にされた女性たちのことを忘れてしまっている人々にその受難を伝えたいと自身の体験を公にした。すでにこの時、城田さんは「慰安婦」の過酷な体験と、その体験が戦後をも支配し続けたこと、そして彼女たちがいかに捨てられた存在であったかを告発していたのである。
(藤目ゆき「日本人「慰安婦」を不可視にするもの」『裁かれた戦時性暴力』99ページ)

裁かれた戦時性暴力―「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」とは何であったか

裁かれた戦時性暴力―「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」とは何であったか

mojimojiさんは「文学のみならず、学術研究も含めたすべての「知」は、彼女の告発以前には、「政治的解決」はおろか、なんらの「政治的前進」さえ、もたらすことはできなかったのです。」と、金学順さん以前の「慰安婦」にまつわるすべての営みを無価値化する。城田さんの告発も、城田さんに寄り添い続けた人々をも、切り捨てる。しかし、彼らのような、不可視化された存在の一つ一つが、どうして後の「慰安婦」をめぐる政治行動に結び付かないと言えるのだろうか。こうした無名の草の根運動の中で、声を聞かれることもなく、ただ生きようとする存在が、過去にあったことが、私たちの政治に影響がない、とどうして言い得よう。少なくとも、私は城田さんの営みが存在したことにより、慰安婦問題に対する政治的態度を変えた。過去に届かなかった声が、いまの私を変え、そして現在の政治を変えようとする駆動力となるのだ。
 しかし、当時、城田さんの声が政治的解決に結びつかなかったことは確かであろう。そう判断できる。だが、私たちはそのことを恥じなければならない。私たちがあまりにも鈍感であるから、彼女の声は届かなかったのだ。行動する主体の責任はもちろん問われなければならない。しかし、その行動を受ける客体もやはり責任を問われる。なにかを伝えようとする人たちの声を感受する責任が。しかし、それは消極的な責任に過ぎず、やはり聞こえないこともある。私たちはあまりにも鈍感でありつづけ、そうであることを問われることすらない日常を生きているからだ。だからこそ、耳をすまそうとする態度が求められるのだ。
 私もまた、政治的問題が「政治」で解決できないことを知っている。どうやっても、「慰安婦問題」という政治問題の中で、声を上げられない人々、届くほど大きな声を出せない人はこぼれおちていく。城田さんのように。
 私たちはもう一度問い直すべきだ。政治的行動を駆動するものは、政治的主張なのか?私は直接的な政治行動を肯定し、支持する。と同時に、私をそれに突き動かすものは、直接化されなかった「政治」、すなわち、いまだ政治と未分化な何かである。

追記

 mojimojiさんから返答いただきました。たぶん、私とmojimojiさんは社会認識が違う。「政治的直接性への蔑視がはびこる」社会という認識は私にはありません。むしろ、「政治的直接的性への依存がはびこる」社会という認識です。すなわち、「直接的に政治参加可能な主体」以外は主体と見なさない社会です。それは、直接でなければ、政治性を感受できない鈍感な社会です。
 当たり前ですが、私が城田さんを例に挙げたのは、現在において城田さんが「政治」でないと言いたかったからではありません。過去において「政治」でなかったものが、現在において「政治」になりうる例です。そして「政治」になりえなかった過去にあった営み/また今起きつつある営みを、不可視化する傲慢さを問いたいということです。

追記2:衝撃の新事実。

 id:toledさんのツイッターを眺めていたら、こんなコメントが。

エルサレム賞って、イスラエル政府をdisりそうな知識人を呼ぶための賞じゃないかどう考えたって見てよこのリストw → http://en.wikipedia.org/wiki/Jerusalem_Prize
http://twitter.com/toled

そして、なんと第一回受賞者はバートラント・ラッセル先生である。シモーヌ・ド・ボーボワールにアイザィア・バーリンアーサー・ミラー。吹いた。なぜ、ここに村上春樹が??うーん、どうもエルサレム賞選考委員こそが、春樹さんの政治性を評価しているということか。こりゃあ、大責任ですね。大変だ。(先に過去の受賞者くらい見ときゃよかった)

追記3

 mojimojiさんからお返事をいただきました。

……たぶん、私とmojimojiさんは社会認識が違う。「政治的直接性への蔑視がはびこる」社会という認識は私にはありません。むしろ、「政治的直接的性への依存がはびこる」社会という認識です。すなわち、「直接的に政治参加可能な主体」以外は主体と見なさない社会です。それは、直接でなければ、政治性を感受できない鈍感な社会です。

 僕が言う政治的直接性は、別に本人に限らない。金学順さんが訴えたのが政治的直接的なものであるならば、それに応答するのも政治的直接的なもの。学術、芸術その他、方法を問わず。そして、政治的に直接的なものであるならば、それはこの社会のすべての人になんらかの問いただしをすることであり、それはひたすら忌避されている。被害を受けた本人に対しては、その傷をえぐるような言葉が投げかけられ、本人でない場合には、他人のクセに、正義に酔いたいだけ、と言われる。その意味で、「政治的直接性への蔑視」はある。それとは別に、金学順さんのような被害当事者が語ることなくして問題が問題として扱われないような状況はある。その意味で、被害当事者への依存ははびこっているとは思います。「政治的直接性への依存」というのが、このような意味であるなら、この点での社会認識はそう違わないようにも思いますが。

当たり前ですが、私が城田さんを例に挙げたのは、現在において城田さんが「政治」でないと言いたかったからではありません。過去において「政治」でなかったものが、現在において「政治」になりうる例です。そして「政治」になりえなかった過去にあった営み/また今起きつつある営みを、不可視化する傲慢さを問いたいということです。

 僕の考えるところでは、「過去において「政治」でなかったもの」ではありません。城田さんの声は、過去も現在も一貫して政治です。ただ、それを受け止める政治的直接的な応答がなかった、ということ。

 以上読んでもらった上でfont-daさん自身に判断してほしいのだけど、単に言葉の定義が違うだけであるように思うのですが。政治的直接性とは、被害当事者の訴えのことだけをさしているのではなく、第三者のそれも含めて、明確に政治的な立場を表明することを意味しています(僕が最初に引き合いに出したのが金学順さんであったから、誤解されたのかもしれませんが)。また、政治とは、それが応答されるかされないかによらず、政治です。その形式が洗練されているか否かによらず。

以上を読んで、現段階で私はこの議論を総括はできていないのですが、私なりの納得がいきました。ので、この件は一度筆を置こうと思います。また新たな論点が出れば書こうと思います。

*1:いや、ほんとのこというと、私が西堂さんにお会いして、何度かお話したことがあるので、実感に基づいてる部分もあるのですけれども