性暴力被害について考えること

 今日のニュースで流れているが、広島女児殺害事件について、広島高裁で「審理差し戻し」となった。この事件の被害者である木下あいりさんの父親が、ニュースなどで胸の内を訴えていたので、記憶にある人も多いのではないだろうか。死刑が求刑されていたのだが、差し戻しとなった。この判決がどういう意味を持つのか、まだ私にはわからない。ただ、この事件は、光市母子殺害事件、奈良女児殺害事件と同時期に、被害者運動と共に取り上げられていた。一連の流れの中にある。
 昨日から今日にかけて、小林美香さんのお名前で検索して、私のブログを訪問してくださった方がたくさんいる。友人が教えてくれたのだが、昨晩のニュースジャパンに出演されたらしい。(私は見ていない。)
小林美佳「性犯罪被害にあうということ」
被害者参加制度がスタートし、これから被害者である/になる人は、多くの問題に直面することになる。法案が可決され、制度が実施された後も、被害者のたたかいはずっと続く。お名前と姿を出して、性犯罪被害者として名乗り出る小林さんに勇気づけられる被害者も多いのではないだろうか。小林さんの勇気と行動に敬意を払いたい。
 そして、何度も繰り返し書くことだが、性暴力被害者は生き延びただけで勇気を持ち尊い存在だ。声をあげることはすばらしいことだけれど、そうしなくたって、十分にすばらしい。だから、ずっと生き続けて、幸せになってほしい。
高橋りりす「サバイバー・フェミニズム」(著者の紹介文)
 同時に、そうできる社会をどうすれば作れるのか、という疑問はいつも出てくる。大事なのは当事者に頑張らせないことだ。結局は、援助者や研究者が、当事者に批判されながらも、おのれの立ち位置でできる仕事をやるしかない。
 あるサバイバーに「専門家に必要なのは、(当事者から)逃げないことだね」と言われてドキッとした。専門家と当事者の違いは、専門家は当事者から逃げられるが、当事者は自分の被害経験から逃げられないことだ。*1ここで生きるしかない当事者に対して、自分はどう生きるのか。大切なのは、「決めてしまわないこと」だろう。片足を泥沼に突っ込みながら、あとの片足は逃げる気満々で平地においてるんだけど、その不安定な姿勢を取り続けること。
 特に性暴力の被害への取り組みは大変ハードで、私自身、「あなたは一生やるつもり?スペシャリストになるの?」と言われて、ウッと答えに詰まってしまったことがある。正直もう逃げたいし、先のことに自信も持てない。だけど、ここで「やります」と言わないと関わらせてもらえないような切迫した状況が目の前にあった。嘘もつけない。それで黙ってしまった。でも、この答えないという答えが、一番大きな「当事者からの逃げ」になるのかもしれない。
 私はそうこうしているうちに、支援から研究へとポジションは移してしまった。しかも性暴力に特化した現場から、「被害者」という大きなくくりの人たちがいる現場へと、対象も変えてしまった。どうすれば性暴力被害の当事者から逃げないことになるのか。
 とにかく、当事者にこれ以上頑張らせてはいけない。当事者が頑張らないと社会は注目しない現状があるが、それに甘んじてはならない。性暴力の問題は、被害者と加害者の問題ではない。私たち社会を構成するすべてのひとの問題であり、そのことを専門家は告発しなければならない。そう自分に課しながら、私は今の自分の研究を続けるしかないと思っている。そして、それぞれの現場で自分の仕事をしている専門家がいることに励まされる。まだ、答えはないが、「お前は逃げるつもりか?」という当事者の目からだけは、逃げないように、やるべきこと/やりたいことを続けるしかないだろう。

リンダ・ジンガロ「援助者の思想」

*1:上山和樹さんもひきこもり当事者と臨床家の件で指摘されていたように思う。