大富豪で盛り上がれないと、肩身が狭い

 はてなダイアリの関連エントリという機能で、こういう記事が表示された。
拒食症患者の人生のつまらなさの問題(Dr.KOBAの身もふたもない話)
内容は、拒食症患者に、カードゲームをさせて競わせたところ、健常者よりも興奮しなかった、という脳科学のデータの紹介である。たかだかカードゲームで盛り上がれなかったくらいで、「人生のつまらなさ」とか言っちゃうところが、「心理学のつまらなさ」だよ!とか思ったのだけど、下のコメント欄では、筆者と当事者との間での、真摯なやりとりが記録されている。日々、臨床現場に来る拒食症患者の人生を、面白いものにしようとしている、真面目な支援者の人のブログだった。だから、揶揄するつもりはなかったけれど、やっぱり気になるので、書いておく。

 先日、友人に誘われて、グループ旅行に行ってきた。私は、集団行動がとっても苦手なのだけれど、興味があって参加してみた。すると、夜になると、お酒を飲みながら、トランプゲームの「大富豪」が始まった。
 私は、どうもこの「大富豪」というゲームになじめない。なんか、ドキドキして、しんどくなるのだ。もう、自分が勝つか負けるかで、神経をすり減らすのが、想像しただけでしんどい。このゲームは、勝つとより有利な条件に置かれ、負けるとより不利な条件に置かれる。そして、いつ終るかもわからず、延々と夜が更けるまで、ゲームは続くのだ。まさに、資本主義!ほんと、私は向いてない。全員にカードを分配してくれ!と思う。*11,2回は参加してみるが、「はやく抜けたいな〜」と思う。
 というわけで、私は、同じく「大富豪」が好きではない友人と、二人で抜けた。他の人たちが、延々とゲームをするのを、酒を飲みながらぼんやり眺めていたが、どうしようもないので、隣の部屋で雑談していた。友人は、「旅行にいくと、いっつも始まるねん」と、こぼしていた。まさか、私と友人が、「大富豪」で盛り上がれないくらいで、私と友人の「人生のつまらなさ」を語る人はいないだろう。
 でも、ここでポイントなのは、私と友人は、「イヤだから、抜ける」という行動をとったということだ。あとで、旅行の参加者の一人が「自由気ままなヤツらだ」とあまりポジティブでない言い方で、私と友人のことを言っていたと聞いた。それくらいの、自由くらいは気軽に行使してもいいように思うが、カードゲームは集団で盛り上がることを前提にしているので、「抜ける」というのは「集団の秩序を乱す」ことなのかもしれない。もしかすると、カードゲームとは、相手の持っているカードを読み、集団の中で点数を競うという、コミュニケーションを求められる、社会的なゲームなのかもしれない。
 だとすれば、カードゲームで盛り上がれない拒食症患者は、社会的なゲームを楽しめない、のではないか。たとえば、私はクロスワードパズルが好きなのだけれど、こっちならばドーパミンが出るかもしれない。

 資本主義社会では、社会的なゲームを楽しめないことは、生きづらさの原因になる。しかし、それはつまらない人生であるわけではないだろう。もちろん、タイトルは「釣り」であったことはわかっている。それでも、この記事に限らず、いちいち心理学論文の実験を読むたびに、違和感を持つ。「なんで、これで実証されたことになるんや〜」と、どうも腑に落ちない。カードゲームで、人生を楽しむ能力が測れるっていう、その発想が、私には理解できないんだよなあ。

追記

ブクマ欄で、大富豪談義が始まっててちょっとおもしろかった。で、こういう人も出てくる。

ただのゲームを何故「しんどい」と感じるのか?神経をすり減らすとか、そんなに大事ではないはずなんだが…

そりゃあ、私が敏感だからですわねえええ。生きづらくって大変。……こう書くと嘘っぽいが。
 一応、真面目に書いておくけど、「なぜ?」の答えを考えるのは、「私ではない」です。それが「大事ではない」と思うあなた自身を問うてくださいませ。

*1:でも、「七並べ」は好き。