続・スイーツフォビア、そしてジェンダーという制度

 先日、なぜか反響が大きかった「スイーツフォビア」という記事の続編です。(今回はのろけじゃないよ!)
 実は、脚注でチョロっと触れたのだが、スイーツフォビアについては、トランス活動家の遠藤まめたさんと話したところだった。遠藤さんは、先週末行われた「京都トランスジェンダー映画祭」でパネリストとして、関西に来られていた。。私はあいにく映画祭には参加できなかったが、友人の取り計らいで、遠藤さんと会う機会に恵まれた。

 遠藤さんは、FTMとして、ジェンダー制度と、直面した経験を持つ。akaboshiさんの記事経由で、まめたさんが語っている、次の動画を見つけた。

遠藤さんは、高校時代に「胸があるのが許せない」「スカートをはくのを許せない」と感じた。そこで入ってきた情報は、性同一性障害のものだった。遠藤さんは、とにかく「何かにならなくてはいけない」と迫られた。ありのままではなく、「男になりたい」のか「女になりたい」のかを選択させられるような、辛さがあったという。「女でない」なら「男なんだね」と言われ、「女の子が好きだ」というと「男だからだよね」と言われる。
 大学時代には、カミングアウトしようにも、どういっていいのかわからなかったという。たとえば、スポーツで剣道をしなければならない。剣道の胴着は、男子は黒で、女子は赤だ。もし、ここで「実は、女だとされることが辛いんだ」と言っても、そのあとまた、胴着を着ないといけない。ほんとに、相手が自分の辛さをわかってしまったら、「もう剣道やってる場合じゃない」ことになってしまう。
 遠藤さんは、そこで、何をすればいいのか考えた。わかったことは、「その人が何を思ってるのか?」や「自分のことをどう思っているのか?」という問題は、状況が変われば、問題自体が変わっていくということだった。「男に産まれればよかった」「男になれればよかった」という気持ちではなく、「ちゃんと向き合って話す場所が欲しい」という気持ちが自分の中心にあったという。男子と女子の枠組みで分けるのではなく、そういったものを取っ払って話せる場所があればいい、と述べる。
 と、言いつつ、というのが、今回の「スイーツフォビア」の話である。遠藤さんは、「つぶあん」入り回転焼きはOKだけれど、「クリーム」入りの回転焼きはNGだという。なぜなら、「クリーム」入りの回転焼きが好きだなんて、「まるで女の子みたいだ」と思ってしまうから。
 「デルタG」で連載している「FTM高校生日記」では、遠藤さんは、その感覚をこんな風に表現する。

「憧れ」。おれが憧れているものはいくつかあって、学校で女の子たちが飲んでいる「紙パックのリプトンの紅茶」と「無印良品の文房具」あたりがそれにあたる。自分が飲んだことのない未知のレモンティー、素朴で清純な感じのする文房具、そういうものに、限りなくどきどきしちゃう。なおかつ、自分は絶対に「リプトンの紅茶」や「無印良品」には手を触れてはならないと思っているんだ。
まめた「FTM高校生日記 ルール3」『デルタG』

遠藤さんは、「フルーツはくだもの」「スイーツは甘いもの」と呼びたいという。そういう「女の子みたいな」言い方はしたくない。「クリーム」入りの回転焼きが好きで、「リプトンの紅茶」と「無印良品の文房具」を買って、「フルーツ」や「スイーツ」といっても、遠藤さんがFTMであることに変わりはないはずだ。しかし、自らがFTMであると自認すればするほど、こういった「女の子みたい」なものを拒絶する。

 「女の子みたい」な自分を否定したいという感覚は、多くのFTMが共有し、肯定的に捉えられてきた。それこそが「FTMらしさ」とみなされることもあった。だが、遠藤さんはその「FTMらしさ」もまたラベルの一つであると疑い、「女の子みたい」な自分の否定は、はたして無条件に肯定されるのか、問う。そうして、「男になる」ことを目指すのではなく、ジェンダー二項対立の構造を崩すことを目指す遠藤さんの姿勢であった。
 ところが、「男らしさ」「女らしさ」の呪いはその自意識にへばりつく。「スイーツ」という、もっともどうでもいい、瑣末な「女らしさ」にこそ、自分がとらわれているジェンダー二項対立は、ありありと表れる。そして、取り乱すという。
 お会いして話したところ、遠藤さんが「これを笑って言っていきたいんですよ」と語っていたのが印象的だった。回転焼き一つ食べるのに、男らしく見えるか、女らしく見えるかを気にする自分。でも、「そんな自分も、ちょっと好き」という。そして、黙って隠すことはしたくないという。とても面白い話だった。