三具淳子「妻の就業決定プロセスにおける権力作用――第一子出産前の夫婦へのインタビューをもとにして」

 20代も後半に入り、私と同世代の女性の友人たちが、出産について真剣に考えはじめた。彼女らは「子どもを産みたいから」と労働市場から退出していく。彼女ら一人一人と話しているときには、それぞれの言葉に重みがあり、選択の自由を手にした個人が、違う理由で退出していく。ところが、マクロな視点で見ると、そこには「女性が退出していった」というデータだけが残る。「女ってそんなもんだ」ですませず、どう論じることができるだろうか。
 今月の『社会学評論』で、「なぜ女性は子どもを産むと仕事をやめるのか」という問題を論じた論文を読んだ。2005年に行ったインタビューデータを元に、分析を行っている。調査対象は、保健センターの両親学級に夫婦そろって参加する都市のホワイトカラー層で、23組の法律婚カップルである。
 そのうち9割が結婚初期では夫婦のどちらもが正規雇用で就業し、妻の収入が夫の収入の5割を超えていたのは、23組中7組である。妊娠判明期には、妻は正規雇用11名、非正規雇用11名、無職1名であった。23組のカップルは、平等志向が顕著である。1組を除く、22組が男性の家事・育児参加を当然視していた。
 では、この関係は出産によりどう変わるのだろうか。第一子出産後の予定は、正規雇用での就業が23組中6名、非正規雇用が1名で、残る3分の2の16名が無職となる。就業継続の7組では育児休業を取るのはすべて妻であった。調査者は、「出産後の夫の仕事の変化」について、夫に尋ねたときの印象と分析を次のように述べる。

 夫の仕事が出産によって変化するかという質問に対して、男性は一瞬何を聞かれているのかという顔をしたり、「そんなばかな」という意味の笑いを浮かべたりする。それほどまでに、仕事と育児のいわゆる「両立問題」は男性にとって他人事でもあり、それまでの働き方を微調整する程度にとどまる問題なのだ。妻の側も夫が育児のために仕事を辞めるなど予想していない。
 これらの発言から、男性の稼得者としての役割が、男性側にも女性側にも強く意識されていることがうかがえる。出産に伴う就業問題は、「夫の就業状況は何も現状と変わらない」、すなわち、「男性は賃金労働から離れない」という強固な前提から出発しているのだ。そこには男性の「主たる稼ぎ手」をあるべき姿とするジェンダーイデオロギーの存在を指摘することができる。

三具淳子「妻の就業決定プロセスにおける権力作用――第一子出産前の夫婦へのインタビューをもとにして」『社会学評論』58、(3)、318ページ

このように妻の就業決定の規定要因に、ジェンダーイデオロギーをあげられている。しかし、就業を継続する妻の中には、ジェンダーイデオロギーと距離をとっている発言もみられる。そこで、三具さんは、「夫婦間の収入さ」と「夫婦の家事スキルの差」を規定要因を付け加え、複合的なものとして分析している。そこには、収入が多いほうが働き、家事がうまいほうが家庭に入る、という合理主義的判断がある。そして、「妻が労働を調整する」という女性の自主判断が、出産後の女性を、労働市場からスムーズに退出させていると指摘している。
 三具さんは、これらの規定要因を「目に見えない権力」として次のように説明する。

 「目に見えない権力」の背景には、強固な男性役割意識が浸透していることが挙げられる。男性側の「きみの好きにしていいよ」というメッセージの裏には、「でも、僕は辞めないし、育休もとらないよ」というゆるぎない決定事項が、語られないままに存在している。
 これは、出産に伴う「両立問題」の解決の選択肢として、現実的には、夫は初めから含まれていないということを意味する。妻の一見自由な選択は、はじめに夫の仕事は変わらないということが決ったあとの、残余部分でなされるに過ぎないのである。そうだとすれば、それは、妻の「自由な選択」ということばと裏腹に、夫側の決定から起こる必然的な結果でしかないだろう。
(322ページ)

 この分析が示唆するものに、「自由な選択」とは何か、という問題がある。「自由な選択肢」が整備されても、それは「自由な選択をすること」には直結しない。意志は、欲望に基づいて選択を為すだろう。しかし、その欲望は社会的に構築されている部分が大きい。つねにすでに欲望は社会から不自由である。
 「私はやめたいから、やめる」と労働市場から退出する女性の選択を「自由な選択」とはみなせないとは、もちろんいえる。しかし、それでは「自由な選択」とはいかに可能であろうか。それは、いかにすれば、私たちは社会的に構築された欲望から自由であるのか、という問題でもある。