「迷走する両立支援」2010 〜格差と少子化の国のワークライフバランスは、いま〜 

 こんな電子書籍が発行されています。無料で読めます。

「迷走する両立支援」2010 〜格差と少子化の国のワークライフバランスは、いま〜 
http://p.booklog.jp/book/40576

 この電子書籍は、『迷走する両立支援』の作者である萩原久美子と、「イクメンプロジェクト」を推進してきた厚労省の山口正行の対談を記録したものです。

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

こうした対談は、出版社が販促として企画することが多いですが、これは読者の側からの発案で行われたものでした。電子書籍の前書きで、企画の中心となり、当日の対談の進行も務めた山口理栄は、初めてこの本を読んだときに「仕事と
育児の両立支援と、男女雇用機会均等推進とが『つながっていない』と指摘してくれた」ことに感銘を受けたといいます。そして山口さんは、ツイッターで一人のワーキングマザーが、家事・育児と仕事の両立についての葛藤を呟き始めたとき、この本を紹介しました。その結果、ツイッターを通して多くの人が『迷走する両立支援』を手に取り、感想をネット上に書き始めました。読者の輪が広がるさまを見ながら、山口さんは、ここに一つの読者共同体が立ち上がったことに気づきます。そこから、読者共同体と作者をつなげるためにプロジェクトを立ち上げ、スポンサーを見つけて萩原さんと山口さんの対談を実現します。
 山口さんが拾い上げようとしたのは、「仕事を辞めずにすんだ」ことに感謝して、「この社会で、子どもを育てながら働ける私は恵まれている」と感じながらも、「でも……」と語りだそうとする女性たちの声です。なかには、「でも」と言葉を続けると、目からポロポロ涙をこぼした女性もいたといいます。子どもを産むと選択したのだと自覚し自分に言い聞かせながら、責任ある仕事や昇進から遠ざかっていく自分の立場に葛藤を抱える女性たちです。
 企画にかかわる人の中には、まさにその葛藤の最中の当事者もいました。id:kobeni_08さんはその一人で、企画を進めていた頃の心境を振り返ってこう回想しています。

■イベントを振り返って… やっぱりあの本に救われたところがある

私が復職したのが2009年の10月で、『迷走する両立支援』を読んだのが2010年3月ごろでした。当時、復職後はじめての評価の時期で(※下がりましたねー、案の定)、心身共に弱ってたのをよく覚えてます。
2009年は、リーマンショック後で、「育休切り」なども横行していました。そういう世間の空気や、復職の直後で子供が病気を繰り返し、何度も会社を休んだり、他にも色々なことがあり、私は自分が悩み落ち込んでいるのは、すべて、「子供を持ち働くことを選択した自分のせい」と思っていた(思わされていた)ような気がします。
でも心のどこかで「それじゃあまりにも辛いじゃないか」と感じていたんでしょう。『迷走する両立支援』は、帯に「仕事に打ち込み、生活と呼べるだけの経済的基盤を持ち、子供や家族との時間を大切にする。ただこれだけの暮らしが、なぜこんなにも遠いのか」と書かれています。この本では、「自己責任」で終わらせることなく、ちゃんとミクロとマクロの両方を行き来して、問題点を解き明かしてくれていました。なによりも「愚痴すら社会のありようなんだ」と言わんばかりの、働く親たち個人に寄り添った内容。なんだかずいぶん救われた気がしました。
「『迷走する両立支援』対談をまとめた電子書籍を出します/発刊にあたり思うこと」(http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20120109/1326122989

この企画を通して、働く母親同士のつながりを作り、さらにはもっと多くの人たちに、「苦しいって言っていいんだ」ということを伝えようとする読者のない内発的な動機によって、新しい営みを生み出されました。そして、パブーという電子書籍を無料で発行できるサービスを通して、上のように対談を出版するに至っています。
 対談の内容は、萩原さんから女性の労働の現状が報告され、山口さんが自らも男性として育児参加をした経験を通して、単に男性の意識を変えるだけでは状況は変わらず、労働のありかた自体を問わなければならないんだという話を語っています。ワークシェアをしましょう、と言ったところで、単純に正規雇用者の賃金をカットして、非正規雇用者にまわす、という話にはなりません。各業界の賃金格差があるし、正規雇用者の中でも総合職と一般職の間にも格差があります。この電子書籍では、女性の家事・育児と仕事の両立を考えるときにも、日本がずっと続けてきた、雇用制度をどう考えていくのか、どうしたあり方を望むのか、についての議論が必要だということが、明らかにされます。(政策についての議論が多く、とっつきにくい部分もあるので、先に1000人の母親へのインタビューを行ったという『迷走する両立支援』を読んだほうが、より自分に引き付けて考えやすいかもしれません。)
 しかし、私のほうから一点付け加えておきます。私の身の回りのことを言うと、ちょうど友人たちが、30前後になって続けて出産しています。ほとんどの友人は、仕事をやめました。もともと、契約社員派遣社員として、非正規雇用で働いていました。私たちの世代は、ぎりぎりロストジェネレーションに入り、就職は非常に厳しかったです。大卒の友人も、新卒採用で正規雇用者で入社しても、多くはブラック企業で体や精神を壊し、辞めざるを得ませんでした。その後、非正規雇用で食いつなぎ、正規雇用の男性と結婚したケースが多いです。配偶者の収入に頼り生活を立てる彼女たちを、「男に依存している」といえるかもしれません*1。彼女たちが、最初の会社を辞め、正規雇用の地位を手放したのは、男女差別ではなく、単純な労働環境の劣悪さによってです。男性も辞めるし、女性も辞めます。
 「両立」が贅沢だとは思いません。もちろん、当然、支援が必要だし、その苦しみは語られるべきだと思います。その一方で、「両立なんてしたくない、仕事はやめたい。お金がなくても、専業主婦をしたい」と切実に願う女性たちがいて、彼女たちの中には、ブラック企業での劣悪な環境で打ちのめされ、逃げるようにして辞めるしかなかった経験から、正規雇用での労働に対してトラウマを負っていることも少なくないことを、書き添えておきたいです。過剰労働によるうつなどの精神疾患の問題だけではなく、劣悪な労働環境の経験が、それ以降の就労意欲や自信に影響するという問題があるということです。そして男性の側には、たとえトラウマを負っても、生活を保つために労働をやめることは許されず、働き続けなければならないことに絶望し、結婚して辞めたり、育児で休暇をとったりする女性に憎悪を向ける人たちがいます。
 こうした諦めや怨念のようなものは、おそらく「両立」を果そうとする人たちを応援するよりは、批判するエネルギーになるでしょう。こうした、両立を必要としない人たちや、賃労働しない人へ憎悪を抱く人たちへ、「両立」の話をどうやって伝えていくのか。また子どもを持たない人たちや、シングルやいわゆる家族制度に当てはまらない人たちの受けているプレッシャーに、どう配慮するのか。こうした問題を射程に入れた議論が、「両立」について考える上でも必要ではないでしょうか。少なくとも、私が「なぜ若者は、子どもを持たないの?」「なぜ、女性は仕事をやめるの?」と聞かれたとき、こうしたネガティブな感情の渦のような問題をはずして考えることはできないと思っています。
 

*1:ある男性学の学者が、先日、ツイッターでそのように表現していました