被害者と労働問題

 被害者支援といえば、何が思い浮かぶだろうか?復讐権だろうか?心のケアだろうか?家族や友人の思いやりだろうか?おそらく現場で、今、一番求められているのは「金」である。資本主義社会ってイヤね。
 支援で急務となるのは、被害者の生活再建である。被害にあっていた人の中には、ショックで仕事を休職したり、退職する人もいる。また、被扶養者が家族内で暴力を受けた場合、一番の被害者の心配事は「これからどうやって生活費を手に入れるのか?」である。
 現在、犯罪被害者と認められれば、給付金が出るようになっている。しかし、一時金だけでなく、生活保障(というか生存保障)をしなければならない。率直に言えば、生活保護をとりやすくするのだ。また、たとえば年配の人が一人で暮らそうとした場合、安全に暮らすために借りられる部屋の賃貸料は、現行の生活保護の給付金では間に合わない。生活保護で暮らす人々は、大変厳しい状況にある。
 また、DV被害者に対して、国から就労支援が始まっている。被害者が働き始めるための手段を得るための支援は確かに必要である。しかし、それが予算削減の口実になってはならない。十分に、被害者が安心を確保できる状態が整って、初めて就労支援が可能になるのだ。前段階もできていないのに、すっ飛ばして、被害者のケツを叩くのは横暴である。
 「被害者のために」という人たちは、ぜひ、このお金の問題に取り組むといいと思う。いったい、どこからどういう予算を引っ張るのが良いのか。国からの一括で資金を出すのが良いのか、地方のニーズに合わせて自治体が出すのが良いのか、はたまた民間で寄付を募るのが良いのか。
 それは「被害者のために」といいながら、死刑や厳罰を求めるより、ずっとクリエイティブで楽しいことだ。なにせ、死刑にしろ、厳罰にしろ、「加害者をいかに不幸にするのか」という発想で考えなくてはならない。しかし、どこからお金を引っ張ってくるのかは、「被害者をいかに幸せにするのか」という発想で考えることである。「不幸にすること」を考えるのが好きな人もいるが、少なくとも私は「幸せにすること」を考えるほうが好きだ。そして、「被害者のために」という人で、「幸せにすること」を考えるほうが好きな人は、けっこういるはず。
 確かに、被害者の状況は悲惨である。それを強調しすぎて、しすぎることはない。被害者が「加害者を不幸にしたい」と呪うのも、仕方がないような現状である。「そして、幸せについて考えることなんてできない」くらい追い詰められても、仕方のない現状である。それでも、周囲の人間は理念を捨てる必要はない。*1私の理念は、「被害者のために」、被害後も、被害者自らが「幸せになりたい」思えるような社会を作ることである。それが、実現されたときに、どんな姿をとっているのか、今はまだわからないけれど。

*1:理念どおりだったら、何やってもいい、なんてわけでもないが。そのへんは、また詳しく。