欲望は禁止できない、しかし…
id:demianさん経由で、東さんの児童ポルノについてのブログの記事を読んだ。
東さんは、児童ポルノを禁止する論理を二つ提示する。
ぼくたちの社会では、児童ポルノの単純所持を禁止する理由が、だいたい二つの論理で語られている。ひとつは、児童ポルノの鑑賞は現実の犯罪を誘発する、したがって禁止すべきだという論理。もうひとつは、児童ポルノの所持はポルノ制作者への金銭の移動を意味する、それは間接的に児童の性的搾取の支援になっている、したがって禁止すべきだという論理。
東浩紀「児童ポルノの単純所持禁止問題」『東浩紀の渦状言論』(http://www.hirokiazuma.com/archives/000368.html)
東さんは、前者はきわめて説得力が低く、後者には説得力が高いとする。児童ポルノ製作者は犯罪集団であり、取り締まられるべきであると論じている。
さらに、東さんは、精巧にできた、実写にしか見えないCGによる児童ポルノができた場合、それを規制できるのか、という問題を論じている。主な結論は下の部分に集約されているだろう。
ぼくの考えでは、そのようなポルノは、いまのAVと同じていどには容認するしかない。それがあるひとびとをどれほど不愉快にするか、ぼくもひとりの親として理解できるが、しかしそれでも容認するしかない。そのとき、「これは鑑賞者に対して実写と同等の効果をもつので、実写の児童ポルノとみなして禁止する」と言うことはできない。それは、鑑賞者の欲望に照準を合わせている点で、前述の論理からはみ出している。みたび強調するが、ぼくたちは欲望は裁けないのだ。
(同上)
詳しい内容は、東さんの記事を読んで欲しいが、私は「欲望は裁けない」という点については同意する。人は何にでも欲望する可能性を持っている。その欲望の対象を序列化するのは、権力である。「生殖可能な成人異性を欲望の対象とすべし」ということは、なんの正当性も持たない。よって、大人が子どもを性的対象にすることは、法的に規制することはできないだろう。
しかし、「現代の日本社会において、大人が子どもを性愛の対象とすること自体には問題が無い」というのは違う。問題は大人と子どもの間に対等な関係を築くのが難しいからである理由は二点ある。
一点目は、権力関係があることだ。子どもと大人の間には、大きな力の差がある。肉体的な力だけではなく、社会的地位や社会経験、性的知識、相手を説得する話術など、個人差はあれども、大人はたいてい子どもより強い立場にある。そのとき、対等な関係を築くことは非常に難しい。権力関係が固定化されてしまうとは、支配関係が生じやすい。「イヤだといえない」「暴力をふるわれても抵抗できない」という、要するにドメスティックバイオレンス状態になりやすい。*1
二点目は、性教育が足りないことである。子どもへの性教育だけではない。大人も性教育がまったく足りていない。*2もちろん、セックスのテクニックではない。ましてや性経験が豊富かどうかではない。単純な、セックスは対等な関係で行う*3ということである。そんなことは誰でも知っているが、そんなことはなかなか理解できないことである。*4誰にも教えてもらえず、そして学ぶ場所がないままに大人になっていく人が多い。*5
この状態で、市場原則に児童ポルノを任せるのはマズイだろう。なぜなら、私たちはあいにく、対等な関係のセックスよりも、対等でない関係のセックスのほうが身近だし、現実味を感じることが多いからである。その上、暴力を振るうことに快感をおぼえるのは、まれなことではない。多くの人間にある欲望である。当然、私にもある。そして、冒頭で述べたように、この欲望を禁じることはできない。
東さんは
ぼくたちの社会では、欲望は裁けないことになっているからだ。殺人の欲望と殺人の行為のあいだには無限の距離がある。同じように、児童との性的な行為は犯罪でも、児童への性的な欲望そのものは犯罪ではない。この原則は動かせない。
(同上)
と述べる。私もこれに賛同する。暴力を振るうことは禁じることができるが、暴力を欲望することは禁じられない。
その上で、私はその立場にあるのならば、次の責務があると考える。それは「欲望を行為に移さないシステムを考える」という責務である。相手を傷つける欲望を持っていても、その欲望をコントロールする方法が必要である。その方法を、いかに習得できるのか、という問題は、今、まったく解かれていない。欲望を肯定し、行為と切り離す以上、いかに切り離せるのかにも言及する必要があると考えている。
もし、東さんとこの点が共有できるのならば、私は心から東さんのこの主張に賛同するだろう。
*1:ここでは、子どもを合意無くレイプする児童虐待と、大人と子どもの性愛関係は別様のものとして扱っている
*2:先日、女性芸能人が「35歳になると羊水が腐る」と発言したようだが、思わず「過激な性教育が必要だなあ」と思ってしまった。また、レイプ被害者は「知らない人についていってはいけない」というしつけが足りていない、というようなことを書いた新聞記者がいるようだ。しつけが足りていないのは、「自分に相手がついてきたとしても、レイプしてはいけない」ということがわからないレイプ加害者のほうだろう。
*3:「セックスにはあらゆる形があり、自由である。そして、誰がセックスの相手であろうとも、イヤなときはイヤだといってよい」
*4:もちろん、私も含めて。
*5:そんなわけがない、ならば、どうしてこんなに性暴力が多いのか。