姥捨て山の尾根を歩く

 ある主婦が私に囁いた。
「私、ボケたおばあちゃんを施設に入れてあげたかったの。」
在宅介護で、看取った女性は私に、近所の目を避けるように小声で言った。

私自身は、姥捨山問題とは、端的に「嘘つき・欺瞞」の問題だと考えている。すなわち、「出来るのに、しない」ということを、「出来ない」と言い放ってしまうことに問題があるのでは、と考えている。私が苦しむがいやだから他人を見捨てるのだと、言えばいいのではないか。もしくは、私はそう言わせたい。「いやだから、しない」ということを、「出来ない」と言い放っておけばとりあえずは「許される」、ここに姥捨山問題の萌芽があるような気がしている。「本当は、出来るでしょう?」という声を封殺してしまうこと、ここにもまた姥捨山問題が論及する暴力が潜んでいるのではないだろうか。

x0000000000「姥捨て山問題をめぐって」『G★RDIAS』(http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070406/1175824830

すでに、在宅介護を、嫁の仕事とすることへの批判は膨大にあるので、その議論は当然、x0000000000さんも踏まえている。その上でx0000000000さんの話を考えようと思う。
 認知症介護の問題は、徘徊や寝たきりなど物理的介護の困難が強調されがちだ。しかし、家族が介護するとき、おそらく多くの人が経験するのが、「愛する人から自分の存在が消えていくこと」の受け容れがたさだ。もう何冊も、そのことに関する本は出ているのだが、実際に介護する家族に、そのことを口にする場所は限られている。どこにいけば、聞けるのか。主婦が集まる場所である。
 私は、一時期、スポーツクラブのサウナルームで延々その話を聞いていた時期がある。嫁として、夫の親を在宅介護している女性たちが、一種の当事者グループに似た空間を作っていた。
「本当におじいちゃんには悪かったと思ってるの。最期は本当に苦しませてしまって。」
「でも、そこまであなたがしたことは、喜んでもらえたんじゃなの?」
「そうかしら。恨まれてるかもね。」
多くの女性が、在宅介護に従事し、そのことへの負い目を口にしていた。「施設に入れてあげればよかった」とそこでも同じ言葉が繰り返される。

 姥捨山行為がもたらす苦しみから逃れるもうひとつの道は、私が苦しまないような方法で他者を捨てることであった。そのためには、自分に言い聞かせる「言い訳」があればよい。たとえば、「施設に入ってもらうことが結局は痴呆性老人のためになるのだから」という言い訳によって、自分を十分納得させることができれば、私はさほど苦しむことなく老人を捨てることができる。もし社会の中に、「施設は老人のためになる」という共通了解が形成されていれば、この言い訳はさらに効果的に機能するだろう。共通了解は言い訳を裏付け、より説得的なものにする。
 ところで私たちの住んでいるこの社会には、実は、このような働きをする共通了解が、津々裏々まで、はりめぐらされているのではないだろうか。共通了解という形で、私の目をうまく閉じさせる仕組みが、この社会には備わっているのではないだろうか。

森岡正博「姥捨て山問題」『Life Studies Homepage』(http://www.lifestudies.org/jp/ubasute.htm

この論考が書かれたのは、1988年である。そこから、認知症の家族を取り巻く環境は大きく変わっていった。施設に入れることから、家族での在宅介護へと、理想の介護はシフトしていった。そこでは、介護にまつわる言説も大きく変わっている。「在宅で介護することが、結局は認知症老人のためになるのだから」と呪文のように唱えながら、家族で看取ろうと奮闘する。
 そこで、少なくない家族が、認知症者と向き合い、死と直面し、大きなものを得たのだろう。そのことについての本も何冊も出ている。だが、私が耳にした嫁という立場の女性のつぶやきは、「自分(たち)が満足するために、認知症者を利用した」という悔恨がにじんでいた。彼女たちは、苦しみを避けずに、認知症者と向き合い、苦しみ、そして苦しんでおわった。もちろん、苦しみだけではなかっただろう。しかし、それを同じ立場の者へと語るときに苦しみが前面に出され、最後に「できるなら施設に入れてあげなさいよ。夫は反対するだろうけど」と付け加えるのだ。「私(たち)は在宅介護をして、認知症者を捨てなかった」と言いたい/思いたいがために、在宅介護をしたのだ、という苦しみが、嫁という立場の中で語り継がれていく。
 私はここで、女性に介護労働を押し付ける近代家父長制を批判したいわけではない。私は何人もの男性が、愛する両親から自分の存在が消えていくことに取り乱し、受け入れることが困難になり、結果として嫁という立場の女性が介護を引き受ける過程をみてきた。夫が嫁を差別しているから、嫁という立場の人に介護が押し付けられる、だけではない。もちろん、それは乗り越えられない困難さではない。それでも、難なく乗り越えることができるわけではないし、それがうまく乗り越えられないときに「本当はできるでしょう?」という問いは向けられるのだろうか。
 「本当にできるかどうかは、やってみなくてはわからない」もちろん、それはそうだ。それで、やってみて「やっぱりできませんでした」では済まない。だからこそ、苦しむ。しかし、そこで苦しむことを目的としない形で、倫理を語らなければならない。そうでなければ、介護=苦しみという言説は、「もっと苦しめ、苦しまなければ<本当の>介護ではない」という不幸の美学が入り込んでくる。不幸の美学の中では、「私は<本当は>できたはずだ」という思いの中で、目の前の認知症者とのかかわりは精彩を失い、「こんなダメな介護者としての私」ばかりが浮かび上がる。そして、オルタナティブとして施設が再び理想化されて「施設にいれてあげなさい」という結論が導き出される。
 「本当にできるでしょう?」という問いをむける必要がないとは思わない。だけれど、どう問うのか、それが問題だ。誰に?いつ?どんな形で?問うこととは、問う態度を問われることでもある。
 森岡さんは2007年に書いた新しい論考でこう述べる。

 もうひとつの道は、たとえそれらの絶望と苦しみを経験したとしても、人はその絶望と苦しみを抱えた人生の全体を、いつかきっと心の底から肯定することが可能であるし、自分は生まれてきて本当によかったと心の底から思うことも可能であるということを、論理的に示して、人々に伝えていくというものである。
 これはきわめてロジカルな作業になる。まず、人生では、「あのときああすればよかった」とか「あれをしなければよかった」という後悔がたくさんあるのが普通である。しかしそれにもかかわらず、「それらたくさんの後悔をまるごと含んだ人生を、これまで生きてきたこと」それ自体についてはまったく後悔していない、という心境に人は至ることができるのであった。そしてそれが、限りある人生を悔いなく生き切るということなのであった。

森岡正博「生命学とは何か」『現代思想文明学研究』(http://www.kinokopress.com/civil/0802.htm

問うことは必要だ。しかし、問う以上は、答えられた後、どうするのか。問うた側は、問題の外部にいることはできない。
 「本当はできるでしょう?」と問うたあと、その問いを向けられ取り乱す問われた側を、どうするのか。問う側が問われるのは、その覚悟である。*1

*1:別にx0000000000さんが、覚悟がないというわけではないです。こちらのコメント欄でのやり取り参照→http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070405/p1。私が指摘した点もここで議論になっています。私がこのエントリでは、ダレソレが、という話ではなく、ブログを書くとはどういうことか、という意味でx0000000000さんの話を持ち出しています。