東浩紀・北田暁大『東京から考える』*1

 『東京から考える』を手に取った。近年、期待される若手の人文科学と社会科学の書き手なので、注目を集めた本だ。ぱらぱらとめくるうちに違和感ばかりが増す。これは、地元情報誌や、フリーペーパーで連載すべき雑文ではないのか。以前、あるMLで批判したチェルフィッチュという劇団の、「三月の5日間」という演劇作品を思い出した。

 「3月の5日間」はイラク侵攻までを、東京ですごす若者達の会話を繋ぎ合わせた、コラージュのような作品である。第49回岸田国士戯曲賞も受賞した作品である。若者たちのリアルな言葉を抜き取った作品として、評価を受けた。ところが、現代の若者であるはずの私は、この作品の上演当時、何を言っているのかほとんどわからなかった。渋谷のランドスケープを延々と語る若者のほとんどの単語が理解できなかったのだ。「そこの交差点にマツモトキヨシがあって」という言葉を外国語のように聞いた。当時の私はマツモトキヨシ松本人志の区別もあんまりついてなかったのだ。この人達は、なんでこんなローカル情報を、新開地の劇場*1で垂れ流すのか意味不明だった。
 という感想を、MLに流したところ、「え?関西ってそんな感じなの?」という反応が返ってきた。東京から関西へ来た人はご存じだろうが、関西はまだまだアンチ東京の風情が強い。多くの関西人は、東京に対するあからさまな敵対心をあらわにする。特に、東京弁に対する風当たりは強く、先日も「関西弁がしゃべれないっていうのはコンプレックスなんだ」と、長く関西に住む東京弁の中年男性の話を聞いたところだ。
 私自身、長くアンチ東京の気質は持っていたし、今もなくなっていない。東京こそが、流行の最先端であり、それが伝播して関西に伝わるというような価値観への対抗心は強い。また、そのことを「地方には、地方のよさがある」とコメントされることへの反発もある。中心/周縁の対立軸を押し付けられることは不愉快だ。関西で生まれ育った私にとって、中心は京阪神都市部であり、東京は外部である。*2その外から来た人間がいけしゃあしゃあと「日本人ならみんな東京に興味ある」という態度を示すことが私の神経を逆なでする。*3
 以上の視点から、私はチェルフィッチュの「三月の5日間」へは、嫌悪感を強く持っていた。しかし、去年から今年にかけて東京に何度か出向いて、なんとなくわかってくるものもあった。チェルフィッチュは正確に言うと、東京ではなく横浜の劇団である。そして、東京と横浜の境目にあるのが渋谷という街なのだ。東京から横浜に新宿ラインに乗って、その身体感覚が初めてわかった。意味無く渋谷の話をしていたわけではないらしい。

 私はなぜ渋谷という街のローカルな情報を垂れ流したのかを、チェルフィッチュのローカリティに還元したとき、初めてわかった。だが、ここで私が問題にしたいのは、ローカルな話のローカリティに気づかず、東京の話さえすれば、すでに普遍的な日本を語れていると思う傲慢さである。東さんと北田さんの会話はこのような調子で進む。

東  とはいえ、恵比寿のガーデンプレイスジャスコ的と言っても、分かりにくいかもしれませんね。あいだにお台場のヴィーナスフォートを挟むといいかもしれない。

北田 ヴィーナスフォートかぁ、うーん……あれも相当ジャスコ的なものに近いような気がするんです。お台場全体がそういう感じもしますが、あまりにも露骨にテーマパーク的で、僕はむしろ「ディズニーランドの縮小版」みたいな感じを受けるんです。

東浩紀北田暁大「東京から考える」NHKブックス、2006年、126P

ジャスコジャスコってなんでこの人達は、ジャスコを目の敵にするんだろうか。
 ジャスコという固有名詞を上手に使ったのは、獄本野ばら「下妻物語」だった。私も映画版で土屋アンナが、ジャージをどこで買ったのか聞かれて、「ジャスコだよ」と自慢げに答えるシーンでは爆笑してしまった。確かに、ジャスコは田舎では、なんでも売っているスーパーである。それが、いかにチープな製品であっても。
 うちの実家の近所にもあった。そして、阪神大震災のときに、自家発電をゴンゴン言わせながら定価で食料を販売しているジャスコは私にかっこうよく映った。(あのとき、たくさんの小売店は、10倍や20倍の値段で食料品を売った。)センスはよくないし、画一的だけれど、その地にはその地のジャスコの歴史がある。知ってるおばちゃんがパートで働くのがジャスコ。職を失って地元に帰ってきたときに、働くのがジャスコ。今は、店長が代って、ちっとも売っているものを買う気がしなくなった、と実家の友人と語り合うのが、私にとってのジャスコだ。ジャスコが無機質で画一的だと切り捨てるのは簡単だけれど、その地のジャスコには、その地の物語がある。どうやって、ローカルな物語を、普遍化させ構造化するのか、それが学問であるはずだ。
 そのゆるさが、北田さんの言葉に表れている。コリアンタウンの現況について

僕としては個性ある、生活に根ざしたコリアンタウンとして頑張ってほしいと思いますが、今後どうなっていくのかはよく分かりません。

ibid、183P

と語る。なぜ「個性ある、生活に根ざした」街が、コリアンに作れなくなっているのか。コリアンが頑張らないから作れないのか。はたまた、コリアンは頑張らなくてはならないのか(北田さんのために?)。ここで言うコリアンってどういう人を指すのか?
 街には人が住んでいる。どんなに無機質で画一的で、個性が無く生活感がなくても、そこで暮らす人は有機的でバラバラで、個性があり生活をしている。そこになんらかの公約数を見いだすのは大事だと思う。けれど、よく分からないなら言わなければいいじゃないか。現在、日本に置かれているコリアンの現況を北田さんが知らないわけではないだろう。

 このように『東京から考える』を批判してきたのは、もちろん、上記の北田さんの発言に端を発している。そこに見るのは、「被害者に声を上げて欲しい」と被害者を頑張らせる、反性暴力運動のあり方であり、被害者のローカルな話を「被害者がこう言ってます」と普遍的であるかのように言ってしまう危険性との、共通点である。*4ぱっと見ると、被害者の話は公約数が見つかりやすい。だけれど、一人ひとりの生き延び方は千差万別で、どんなに悲惨に見えても、繊細で豊かさを持っている。
繰り返すが、ローカルな話は、そのローカリティによって価値を高めている。同じ対談が、ブログや地元情報誌に載っていれば、私はどうこう言わない。これが、学問であり、批評であるというならば、私は批判する。大げさだろうか?最後に東さんはこういっている。

東  僕が言いたいのはごく簡単なことです。たとえば、最近全国で児童虐待が相次いでいますね。他方では、いじめによる自殺も相次いでいる。それが並べて報道されるけど、僕は水準が違うと思う。児童虐待のほうは、子どもが殴り殺されたり餓死させられたり、犯罪性がはっきりしている。他方、いま話題のいじめのほうは、多くが「言葉によるいじめ」、つまり精神的暴力ですね。一九九三年に山形県で中学生が友だちをマットで簀巻きにして殺してしまった、という事件がありましたけど、それは違う。

 このとき、いじめに対しては、自殺者に同情するかしないか、意見が分かれると思います。ちなみに、僕は自分自身がかつて軽いいじめにあったことがあるので、どちらかといえば同情的です。しかし、その感覚が普遍妥当的だと思わない。精神的暴力に焦点を据えたならば、「何をいじめと呼ぶべきか」の議論がはてもしない定義論争、解釈論争に囚われるのは必然です。しかし、物理的暴力を伴う児童虐待については、子どもに同情しないひとはいないでしょう。あるいは、もしいたとしても、そのひとに対して「同情すべきだ」と諭すことは正義だと言えるでしょう。そこらへんに線を引くことでしか、リベラリズムや左翼は生き残れないんじゃないでしょうか。

ibid、270P

暴力に対する線引きは、非常に難しい。たとえば、どこまでを性的暴力と捉えるのかは、個人の問題である限りは、無限に概念を広げられるだろうが、それを社会的に論じるとなんらかの線引きは避けられないだろう。実際、私が突き当たっている困難でもあるし、すでに多くの人が困難さを論じようとしている。「なんでもかんでも性暴力」では、個人のレベルでは問題がないが、社会的に法的措置を講じる段では問題になってくる。
 しかし、その線引きをリベラリズムや左翼のために、引くと言い放つ暴力性を私は問題にしたい。暴力の被害者と被害者でない人を引き裂く一線。そこには苦しみを分かち合った人と、切り離される痛みがある。その痛みを平然と、自分のポジショニングのために押しつけようとするならば―そんな形でしか生き残れないリベラリズムや左翼ならば死滅してしまえ。

 草の根の運動家たちは、運動をしていくうちに、実際の土地よりもそれを表す地図の方が大切だと思うようになってしまったのです。ある土地について知るには、その地図を見さえすればよく、実際にその土地へ行ってみる必要などまったくないというのが、運動の常識になりました。
 そして、どこにどれくらいの高さの丘があるとか、海岸線がどのような形をしているかとか、どこにどれぐらいの広さの森があるとか、道がどこからどこまで続いているのかとかは、「客観的」で価値のある情報だと思われていましたが、一方、そこに立つと、晴れた日には何処まで景色が見えるかとか、どんなに気持ちのいい風が吹くとか、雨上がりには緑がどんなに美しいかといった、地図に載せることのできないものは、「主観的」で価値のないつまらないものとして、どんどん切り捨てられていきました。

高橋りりす「私が地図普及運動から脱落した理由」『サバイバー・フェミニズムインパクト出版会、2001年、206P

*1:神戸アートヴィレッジセンターという劇場での上演だった。新開地は、神戸の福原を中心にしたラブホテルと競艇の街。

*2:このことは、私が都市=中心という価値観を内面化していることも示すが、ここではそれに触れない

*3:サリン事件以降の、阪神大震災の扱われ方の変化を見ると良い

*4:反性暴力運動への批判は高橋りりす(「サバイバー・フェミニズム」等)やマツウラマムコ(「二次被害はおわらない」)によって詳しく論じられてきた。