「加害者であった」「被害者であった」からできること

永井陽右さんのインタビュー記事を読んだ。5年前に収録されたものではあるが*1、ご本人のキャラクターや明るい語り口が全5回にわたって記録されており、よく伝わる記事だった。

next.rikunabi.com

 永井さんは、高校生の時にツバルの記事を読んだことで、ものの見方が一変した。それまでは、いじめの加害者であったが、そのことを痛悔し、別の生き方をすることを決意する。そして、世界で苦しんでいる人を救おうと猛勉強を始めて大学に入り、学生活動としてソマリアのギャング更生プログラムを現地の人たちと開始する。永井さんは、紛争解決の知識も英語力もないまま「若者」として、ギャングの若者たちと直接つながりを持つ。そして、かれらが地域のリーダーになり、治安をよくするための活動の担い手となるよう、支援するのである。

 偶然だが、私は修復的正義の実践者である、ブラジルのDominic Barter*2の話をオンラインシンポジウムで聞いたところだった。Barterは、ブラジルのスラムで暮らす子どもたちと対話サークルを始めた。Barterが強調するのは、外部から入る「支援者」は万能の救世主として振る舞ってはならず、そこで暮らす人々の話に耳を傾ける必要があり、かれら自身が対話の中で問題解決をしていく道を見つけ出すのを手伝うことを仕事としなければならないということだ。そのBarterの話と、永井さんの活動はオーバーラップして見える。私にとって、永井さんの活動は修復的正義の一環として捉えられる。私の関心のある領域なので、とても興味深く読んだ。

 永井さんは、大学卒業後はイギリスのLSEに進学して専門知識を身につけた後に、紛争地域での大人のテロリストの社会再統合に取り組むようになる。当然、危険の伴う仕事ではあるが、その原動力には過去のいじめに対する自責感があるという。永井さんは、加害者であったからこそ、加害者になった人を止めることで、被害者になる人たちを救おうと奮闘できる。永井さんの強さの根底には、「加害者であった」という過去がある。

 正直に言えば、私は永井さんに共感するところがなく、ほとんど何を言っているのかわからないし、同じ行動を取れるとも全く思わなかった。私は、たぶんソマリアに行ったらすぐに心が折れるか、死んでしまうかだろうと思う。それでも、からりとした語り口と失敗を隠さない率直な言葉に、何度も笑ってしまって、記事は面白く読んだ。私はこういう仕事を続ける人たちの強さと勇気を心から尊敬する。

 それでは、私が弱くて勇気がないかと言えば、そういうわけでもないだろう。私の出発点は「被害者であった」ことである。永井さんは、紛争の渦中に飛び込んでいくが、私は紛争が終わって何年も続く、被害者の恨みや憎しみにいつも心惹かれる。私は紛争の「アフターの研究者」なのである。もう物理的な紛争は終わっているので身体的には安全だが、被害者たちの底のない沼へ沈んでいくような語りを聞き続けることは、精神的に危険である。一緒にズブズブと沈んでしまえば、死の甘い誘惑が迫ってくる。私もそれが怖いことがあるが、今のところは元気に研究している。これはこれで、私の強さではあるし、その根底には「被害者であった」過去がある。私自身が、強い感情に焼き尽くされてそのまま破滅するような感覚で何年も生きていたので、そういうものへの忌避感が薄い。

 永井さんは、死の恐怖を「明るいニヒリズム」で乗り越えてきたという。どうせ死んでしまうのだから、それまでは必死に生きることに夢中になればいいとうことだ。それになぞらえて言えば、私は「明るいタナトフィリア」である。タナトフィリアとは、死や絶望的な状況に対して性的興奮を感じる異常な性癖であるとされている。私はさすがに性的興奮はしないが、そういうものに惹かれるわりに、「わあ、大変」と妙に明るく受容するところがある。自分に起きたこともとても楽しく語ってしまう。なぜなら、私は絶望的な状況の中にあるキラキラしたものを見つけ出すのが得意だからだ。たぶん、どんな人生にも統一された「暗黒」というものはなく、どこかに破綻があり、突破口はある。もちろん、自分の人生に対してはそれを見つけ出すのが難しいことはあるが、他人の人生について「ここに実はこんな素敵なものが」と気づくことはできる。ただ、私の残念なところは「うまくいってる人生」では、その能力が発揮されず、とても「大変な状況にある人生」にだけ働くことである*3。そういうわけで、私はいつも災害や暴力、戦争、犯罪などについて考えているが、別にいい人ではない。むしろ、悪い人かもしれないと思う。だからこそ、できるだけ当事者に良い形で利益が還元できるように活動したいと思っている*4。私は、私のやるべき仕事をしていきたい。

 そして、永井さんと私は年がちょうど10歳違う。下の世代にあたる。私には、永井さんの姿勢や行動は伸びやかで、眩しく見える。私は大学に入ったのが2001年で、すぐに9.11のテロが起きた。それまで「多文化主義」が称揚されていたのに、一変して「テロとの戦争」が始まった。日本社会もすっかりと「報復」が正義とされる雰囲気に席巻されてしまった。それと重なるように被害者の権利運動は盛り上がり、死刑を求める声が世論の中にも広がっていった。私はその中でひたすら混乱し、自分の進むべき道を探し続けた。それが形になったのは大学院博士後期課程に進み、博士論文を書いた2016年ごろであるから、15年くらい私は悩んだだけであった*5。そのあいだに、永井さんは次々とアクションを起こしていたのだと思うと、「なんという違い」と感嘆する。いま、2021年に大学に入った学生たちも、コロナ禍のなかで大変だと思うが、永井さんのような先輩たちと新しい社会を作る道を探して欲しい。それができなくて、混乱して暗いことしか考えられない学生は、ようこそ、私たちの世代の世界へ。いつでも歓迎します。

 本当はこうして、いろんな道があることを、若い人たちに伝える必要があるのだろうと思う。過去を忘れる必要も、隠す必要もない。これから生きていくために、向き合い、糧にしていくしかない。取り返しのつかない過去のない人間はいないのだから。

*1:2021年のインタビュー記事もある。こちらは類似の内容がコンパクトにまとめられているが、永井さんの独特の語り口はカットされているので、リクナビの記事の方が面白かった。

https://ampmedia.jp/2021/03/13/accept-international/

*2:Barterの紹介記事 https://www.euforumrj.org/en/dominic-barter

*3:もし、私のこの能力にもっと汎用性があれば、コーチング業やコンサルタントの道もあったかもしれない。残念ながら私は日常生活の話に対してはもうひとつ勘が働かない。

*4:研究はそれがけっこう難しく、悩むことも多いが、たまに役立つと言われるととても嬉しい。

*5:そういう時期は大切だと理解はしている。