飯野由里子「レズビアンである<わたしたち>のストーリー」

レズビアンである「わたしたち」のストーリー

レズビアンである「わたしたち」のストーリー

 1970年代からの、ミニコミ誌から、レズビアンを名乗る人たちの語りを取り出して、記述しなおした本である。これは、これまでフェミニズムで周縁化されてきた、レズビアン活動家たちの歴史を再構成する試みである。
 特に、90年代以降、「わたしたち」という言葉が活動家にとっての禁句となっていった。「わたしたち」と名乗ることは、同時に「わたしたちでないもの」を名指し、周縁化することである。
 この指摘は、とても重要であった。しかし、同時に、活動家たちの連帯を示す「わたしたち」という呼びかけができなくなり、分断されていく側面もあった。この「わたしたち」という名乗りの問題に対し、飯野さんは正面から取り組んでいる。
 飯野さんは、マイノリティが「わたしたち」という名乗りに至るまでのプロセスを考察する。マイノリティはそれぞれに「このような人間は私以外にいない」という孤立状態にある。そして、社会の抑圧により、自己否定せざるを得ない状況に追い込まれる。そこで、マイノリティが集まり、CR(意識覚醒)のワークの中で、お互いの存在を認め合い連帯していく。このとき、強烈に孤独な「わたし」が、遠心力のベクトルが求心力に反転したように、強烈に結びつきあい、「わたしたち」になる。
 この作用が、当時のレズビアン活動家にもたらした力について、飯野さんはアドリエンヌ・リッチを引き合いに出しながら、次のように述べる。

近年、<わたしたち>のストーリーに対しては、さまざまな批判点や問題点が指摘されている。しかし、もしレズビアンとしての<わたしたち>を語ることが、当の語り手たちにとってより積極的で肯定的な何者かへの「転換」を意味するものだったとするならば、また、リッチが証言していたように、そうした「転換」が語り手たちに、「力のようなものを感じさせ」るものだったとするならば、<わたしたち>のストーリーは、少なくともその限りにおいては肯定的に捉えられるべきだろう。
(54ページ)

そして、「わたしたち」のストーリーの排他性に、つねに目配りをしながら、ていねいにミニコミ誌に残された語りを拾い上げる。
 取り上げられるのは、レズビアンフェミニストウーマン・リブレズビアンフェミニスト在日韓国人レズビアン、反「エイズ予防法案」の活動家とレズビアンの間に起きた、対立・葛藤の中での語りである。飯野さんは、確かに語りには対立・葛藤が刻まれており、分断されてきた歴史がうかがえる。しかし、その中でも、対立する相手に対し「わたしたち」と言い続ける活動家がいた。それは、同質性の押し付けともいえ、飯野さん自身も批判する。しかし、批判にとどまらず、そこにあった活動家の息吹もまた、飯野さんは記録に残そうとする。
 こういう本が出版されることは、本当にいいことだと思う。そして、歴史化する作業が進めることは大事だ。ただ、読み手として感じたのは、少し記述が丁寧すぎて、冗長になっていることだ。もちろん、裏を返せば、これまでの運動史を知らない人にとっても手に取りやすい文章になっているともいえる。

 さて、私が印象に残ったのは、引用されている月森銀の文章である。月森さんは、アジア系レズビアンネットワーク会議(ALN会議)の運営スタッフだった。第二回ALN会議では、難しい問題が起きる。「日本人レズビアンは、在日韓国人レズビアンを無視していた」という声が、在日韓国人レズビアンからあがったのだ。月森さんは当時、次のように書いている。

 ALNのあと、私は『れ組通信』(六二号)にALNのレポートを描いた。そしてそこで全大会のことを描きながら、この失言については触れなかった。
 スピーチをした在日韓国人の人に、そのことを電話で指摘された。「前に出て謝ったことは、あなたにとってそれほど軽い問題だったのか。」私はとてもショックを受けた。
 その(抗議)の電話を受けたとき、私はショックで泣いてしまった。今まで自分をマイノリティとしてしか考えてこなかったので、自分の行為が人を傷つけたことにパニックを起こした。自分が、いつも自分を傷つけるヘテロたちのようになったようで、恐ろしかった。何とか傷つけたことを取り繕おうと、ひたすら謝った。
(前掲書の127ページより孫引き)

この件については、飯野さんが詳しく本の中で考察している。
 だが、文脈を離れて、この部分に私はひきつけられた。この引用部分では、マイノリティとして傷つけられている被害者のはずの自分が、加害者になってしまったことに対するショックが、率直に語られている。
 多くの暴力の加害者、特にDV加害者は幼少期に虐待を受けてきたトラウマを持つという。これは、「暴力の連鎖」として知られている。多くの虐待の被害者は、自らもまた加害者になるのではないか、という不安を抱えている。これに対し「大丈夫ですよ」とはとてもいえないくらい、「暴力の連鎖」を裏付けるような事例報告が上がってきている。そこで、DV加害者支援では、加害者の幼少期の虐待のトラウマを癒すために、ケアが行われることが多い。
 だが、一部の加害者は、自分が暴力を振るったことを認めたがらない。執拗に、自分の虐待経験を語り、それに比べて自分のしていることがどんなに軽微であるかを説明しようとする。要するに、自分がされたことと、自分がしていることを、別物としようとするのだ。なぜなら、自分が暴力をふるったと認めれば、加害者は「自分がもっとも憎むもの」と、自分を同一視しなければならないからだ。
 月森さんの取り乱しも似た部分がある。自分が傷つけたことを直視すれば、同時に、自分が味わってきた傷がよみがえる。「こんな思いを相手にさせたのか」と想起させたトラウマの痛みと、被害者の痛みが混同される。傷ついている相手の痛みよりも、自分の痛みに振り回されてしまうのだ。
 私は、これは同情に値することだと思っている。被害者に向き合えない加害者の弱さを責めるのは簡単である。しかし、この混乱を受け止めなければ、加害者は、自らのおかした暴力を直視することはできないだろう。自分が傷つけたくせに、「痛い」と泣く加害者を、第三者は一度受け止めたほうがいいと思う。あなたの加害は、被害とは関係ないとする。そして、たとえ自らの暴力を認め、加害者としての自己を引き受けたとしても、幼少時の虐待の被害経験は何一つ過小評価されない、ということを保証しなければならないだろう。被害者であっても加害は免罪されないし、加害者であっても被害は軽視されない。その前提がある中で、やっと加害者は、自らの加害性に向き合えるのではないか。
 念のために付け加えておくが、これは入念な被害者支援を求めることと、同時に行われるべきことである。