ブログを書く楽しみ

 id:komoko-iさんが、ブログを書くことについて記事をあげています。おもしろかったです。

komoko-i「普通の人のブログが読まれるようになるにはどうしたらいいか。」
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100213/p2

1.ブログを書くときの気持ち

 私は、できればブログは楽しく書きたいと思っています。お金を払うわけでもなし、お金をもらうわけでもなし。このブログは扱う題材がハードなことが多いので、読んだ人が陽気になるような記事は少ないですが、私自身は陽気に書いています。数年前に、ガタリの「闘走機械」という本を買ったことがあります。

闘走機械

闘走機械

私はそのころ、まったく元気がなかったので、その本についていた「元気全開!」という帯の煽り文句に吸い寄せられるように買ったのです。しかし、ガタリが元気なだけで、私は読むとさらに元気がなくなりました。いまだに、ガタリが何を言ってるのか、私にはさっぱりわかりませんが、印象に残っています。それ以降、私が元気だということと、誰かを元気にすることとは、あまり関係ない、ということを念頭に置くことにしました。それで、ブログに関しては、私は誰かを陽気にすることよりも、自分が陽気であることを優先しています。だから、記事に対する反応よりも自分の状態のほうが気になります。私はブログを書くことで、陰気になるくらいなら、ブログを書くのはやめたいです。
 このブログを始めて、3年くらいたちます。定期的に読んで下さる方も多いですし、ブクマが集まったり、ニュースサイトにとりあげられたりすると、アクセス数がガッと多くなります。ただ、何度か書いてきたことですが、私は7年くらい、一日のアクセス数が20くらいの日記サイトをやっていました。だから、アクセス数が少ないことはweb上で文章を書くのをやめる理由にはならないですし、最終的には私以外の読んでいる人がゼロにならないかぎりは、書いていけばいいんじゃないかと思います。私はたった一人でも、私のことを知らない人が、私の文章を読んでくれることがうれしいですし、その気持ちがweb上で文章を書いていくきっかけになりました。*1
 ブログをやっていて、「私は文章が下手だ」とか「私の考えてることはつまらない」とか、そういう気持ちになって凹むことは、アクセス数の多少に関わらず、あることではないでしょうか。もちろん、プロの文筆家の文章を読んだり、古典作品を読んだりすると、いっそうのことです。どんなにガタリの言ってることが意味不明でも、私はガタリのようには書けません。それで陰気になります。そういうときは、おとなしくガタリの前に屈服して、ガタリの文章を読むことにしています。いつか、もっと良い文章が書きたいものだ、と思いながら、書くのをやめて読みます。
 私は、書くというのは、「アタック25」のパネルを埋めるみたいなものじゃないかな、と思うことがあります。「アタック25」とはテレビのクイズ番組です。素人の挑戦者4人が、早押しクイズで競います。一問解くと、正答者はパネルを一枚獲得できます。それで25枚のパネルで陣地取りをして、いちばんたくさんのパネルを取った人が勝者です。勝者は、海外旅行を賭けたVTRクイズに挑戦できます。そのとき、自分の獲得したパネルの部分だけにVTRが映し出され、他の人が獲得したパネルの部分は目隠ししたままです。なので、一枚でも多くのパネルを獲得しておくと、最後のこのVTRクイズは有利です。
 私が文章を書くイメージはこうです。パネルの向こうでは、私の書きたいものの、青写真がVTRで流れています。それで、一つ文章を書くと、一つのパネルを獲得できます。全部のパネルを獲得しなくても、青写真が何なのかを類推で当てることはできます。でも、パネルが獲得されていればいるほど、青写真が見やすいのです。一つ一つの文章の内容が青写真と関係しているのではなく、その青写真をみるためには関係ない(かもしれない)文章でもたくさん書いておきたい、という具合です。
 なので、私はブログであまり「これ」というものを決めずに書いています。それは「やりたいことがわからない」ということではなくて、やりたいことは明確だけれど、辿り着くにはとても先が長いことがわかっていて、一つ文章を書くと、少し近づいたかもしれない、と思えるから書いているということです。実際に近づいたかどうかはわからないのだけれど、なにも書かないよりははるかにマシだと思えるくらいには、気持ちの慰めになります。そういうふうに考えて、ブログを書いています。

2.ブログで書評を書くこと

 数年前に、ある著述家に「よい文章を書きたいなら、書評をやりなさい」と言われたことがあります。その人は、ブログについて話していたわけではなかったのですが、できるだけ実行しようと思っています。具体的には、前半で<自分の言葉で>要約し、後半で自分のコメントをするのを、基本的なスタイルにしなさいと言われました。抜き書きは避けたほうが、訓練になるようです。
 ブログで書評を書く上で、一番良いことは、作者の目に触れる機会があることです。恐ろしいことに、インターネット上の書評をチェックしている著述家は少なくありません。私自身、作者からレスポンスをいただいたこともあります。有名作品でしたら、web上の山のような書評に埋もれて気付かれないかもしれませんが、マイナージャンルや学術書の場合は、検索で簡単に引っかかってチェックされます。私はいつも、自分の要約が、誤読に基づいているのではないか、とドキドキしながら書いています。一人で読むぶんには、自分に都合のよい箇所だけ抜き読みすればいいですが、要約するとなると、作者の意図を汲みながら全体像を拾いこぼさず読まなければなりません。こうやって緊張感を持って、本を読めることはいいことだと思って、書評を書くようにしています。
 次に、ブログを読む人の多くは、私が紹介する本を読んでいないということがあります。身近な人と本の感想を交換するとき、たいていはその作品に関する前提情報を共有する人を選んでいます。言葉足らずでも、向こうが共有している情報で埋め合わせをしてくれるので、伝わります。しかし、ブログの書評はその本にまったく興味のない人の目にも触れます。その人が、読まずにでも理解できるように注意を払って要約やコメントをしなければなりません。こうした経験を、手軽にできる場として、ブログは便利だと思っています。
 もちろん、上のようなことをブログの書評でいつもこなせているわけではないですが、目標にはしています。もし、ほかのひとに「ブログを始めたいが、何を書けばいいのかわからない」と相談されたら、私は書評を書くことをすすめるかなあ、と思います。

*1:これは、私が「読んでもらうこと」と「反応をもらうこと」とを分けて考えている、ということでもあります。もちろん目に見える反応は、私も大きく影響を受けますし、動揺します。でも、その動揺に負けず、反応を表に出さずに、黙って読んでくれてる方がいるので、そちらに向かって書きたいと思っています。それは反応は必要ない、というわけでもなく、優先順位の問題です。