近況

 拙著をメディアで取り上げていただいています。毎日新聞共同通信での取材記事は、ネットでも公開されましたのでご覧いただいた方もいらっしゃるかもしれません。

 書評サイトHONZでは、首藤さんに引き続き、中野亜海さんも拙著を取り上げてくださいました。

honz.jp

 レイバーネットでは、大西赤人さんが評を書いてくださっています。赤西さんは、以下の記事でも書いてあるように、「『当事者性』からなるべく距離を置き、悪く言えば第三者的、良く言えば客観的な立場で関わりたい」と考えてこられました。それに対して、私の当事者丸出しの立場は相反するわけですが、そこを正面から取り上げてくださっています。

www.labornetjp.org

 ほかにも、雑誌「新潮」で津村記久子さんが取り上げてくださったり、京大生協の書評誌「綴葉」がご紹介くださったりしています。障害者問題資料センターりぼん社の季刊「しずく」には、私の大学院のゼミの先輩にあたる野崎泰伸さんが書評を寄せてくださっています。本当にありがたいです。

 また、図書新聞では批評家の川口好美さんが、拙著の書評を書いてくださいました。そのなかで以下のように述べられています。

「当事者」の立場に固執することだけが重要なのではないし、様々な立場を認め、それらに平等に目配りすることだけが重要なのでもない。出来事の瞬間、ひとは否応なくひとつの立場に立つ。立たされる。しかし他人たちと共にこの世界に存在している以上、ひとつの立場にしか立たない、立てないというのはナンセンスである。「私」とはこの容赦のない背理によって引き起こされる葛藤・抵抗・ねじれの”場”そのものではないのか。そうして本来「物語」とは、ねじれをねじれのまま、架け橋不可能なものを架け橋不可能なまま引き受ける意志と努力と屈惑と驚きを語ろうとする、「私」のぎりぎりの表現行為ではないのか。

 この箇所いいなあ、と思います。自分の本が媒体となって、こういう文章が生まれてきたのは作者冥利につきます。私は批評は、批評対象と独立して、完結できるだけの強度を持つべきだと思っているのですが、まさにこれはそうだなあ、と。「私の本は関係ないやん」みたいな話に飛んでいってるんですが、批評として読んでいて面白いです。川口さんは私と同世代のようですし、似たような人文系カルチャーにいたのだろうと想像します。

 川口さんは、静岡県川根本町でカフェをやっておられるそうです。私は恥ずかしながら静岡は海側しか知らなかったので、地図で検索して、「予想以上に山側に広がる静岡県」と思いました。

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 私は、ベルギーでの滞在が2年目に入りました。今年からは、もっと積極的に共同研究に取り組もうと決意して、あれこれとプロジェクトに入っています。英語でのコミュニケーションは今も苦手ですが、なんだかんだやっています。Covid19による規制もどんどん解除されてきているし、研究棟にいる人も増えてきたので、やっと「在外研究」っぽくなってきました。よかったです*1

 

*1:ただ、いまだに住民カードが更新できていません。もう4月なかばなんですが……