児ポ法おぼえがき その3
その1、その2はこちら
「児ポ法おぼえがき」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090713/1247443606
「児ポ法おぼえがき その2」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090716/1247754178
児ポ法規制派を分類しようとしている方がいる。その妥当性はともかく、いい試みかもしれない。
RPM「児童ポルノ規制を権限強化の道具としか見ていない人」『インターネットください』
http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090717
というわけで、私も児ポ法反対派を分類してみよう。
1.表現の自由派
左派を中心とした主張。児ポ法の拡大解釈により、性的表現の検閲が国家により行われることを危惧する。また、警察機関の権力拡大を恐れる。とりわけ児童ポルノの定義について疑問を提示する。(法の運用に対する危惧)
3.単純所持肯定派
児童ポルノの製造・発信は犯罪であるが、それらを所持することは非犯罪だという主張。(法それ自体への反対)
4.ヴァーチャルポルノ擁護派
実写の児童ポルノは規制すべきだが、児ポ法が拡大しヴァーチャルポルノまでもが規制されるおそれがあるという主張。現在の法案は、今後のヴァーチャルポルノ規制への布石であるとする。(将来の立法への危惧)
7.インターネット至上主義
「マスメディアや権力にだまされてはいけない!ネットにこそ真実はある」という主張。識者や活動家は信頼できないが、自分が普段愛読している有名なブログの書き手なら信頼できるとする。
8.インターネットの雰囲気にのまれた層
インターネット上の「児ポ法反対」の強い主張に圧倒された層。
以上、書き落としもあるかもしれないが、大雑把に。
1、2は本格的に論を展開している人も多いので、もう少し詳しく分類できるかもしれない。私は1、2の人たちとは、児ポ法についてもっと議論したいと思っている。ただし、正直、不信感も持っている。
まず、1の主張をする人たちが引き合いに出してきたのが宮沢りえのヘアヌード写真集「Santa Fe」である。確かに政治戦略としては、「おしゃれでちょっと芸術っぽくて、みんなが熱狂したあの思い出のヌード写真集」である「Santa Fe」を持ち出したのは成功であろう。だが、この話題によって児ポ法の議論は「クスリと笑える下ネタ」として扱われやすくなっている。確かに「Santa Fe」について議論するには、さして性的な話題を問題にしなくてよいから、敷居は高くないだろう。「Santa Fe」はまさに性的マジョリティのためのポルノであり、「<私たち>のポルノ」であるからだ。この主張への共感には「あんな小児性愛者どもの児童ポルノと、<私たち>のポルノを一緒にされてたまるか」という気持ちが含まれているのではないか。こうして、成人ヘテロ男性が、小児性愛者を<私たち>のカテゴリーから排除する効果を持ってしまう。なぜ、児童が性虐待をされている写真や動画を取り上げて「この表現を規制するのはよくない」と主張しないのだろうか?おそらく、それでは支持者*1の共感を得られないと考えたからであろう。1の主張をする人たちは、「児童ポルノと成人ポルノの線引きはできない」という言説を二重規範として使っているのではないか。すなわち、「Santa Fe」を選んでいる時点で、社会通念上の児童ポルノと成人ポルノの線引きを見極め利益を得ているにも関わらず、「線引きはできない」という主張により児ポ法に反対しているのである。私はこの点において不信がある。
次に2の主張についてだが、これまでもこうした主張はずっと行われてきた。現在、一部の性暴力被害者が児ポ法に賛成しているが、こうした人たちこそが続けてきた主張である。またマスメディアも小さくではあるが、何度も報道してきた。児童相談所や被害者支援への予算不足は言うまでもない。いまになって、声高にそのような主張を始めたのはなぜか。自らの利権を奪われるとなって、初めて「被害者支援は大事だ」と騒ぎ出したのではないか。もちろん、遅すぎるということはなく、むしろこの騒動で被害者支援が拡大されれば、私もかつて被害者支援の末端で関わってきたものとして素直に喜ぶ。お金をください。だが、そうした支援と児ポ法は両立する。両方やればいいだけの話であるのに、なぜ児ポ法のみに反対するのだろうか?反対のために引き合いに出しただけで、本気で被害者支援をする気などあるのだろうか、と私は疑っている。
さて、3に移る。実は、この主張が一番、根源的な児ポ法への批判となる。犯罪を記録した静止画・動画を所持することは、犯罪となりえるのだろうか?たとえば、「闇の子供たち」*2では、児童性虐待批判として、あえて児童が性的に搾取される様子を実写で描いている。現在、DVD化されているが、「闇の子供たち」は児ポ法が制定されれば、回収されるのだろうか?たとえ、性虐待を批判するために作られたフィルムであれ、それは十分に性的利用が可能である。しかし、児童性虐待の実態を詳しく描くためには、必要であるとの考えもあるかもしれない。また、児童性虐待の研究のためには、児童ポルノを実際に視聴する必要も出るかもしれない。そのとき、児ポ法での扱いはどうなるのだろうか。実は、私にとって一番頭の痛い点は、ここである。
4については、その1にも書いたが、私も疑念を持っている。私は原則児ポ法支持というスタイルをとっているが、ヴァーチャルポルノ規制に対しては絶対反対であるので、議論を続けたい。
5、6は苦笑である。特に6は、もしそんなに熱心なフェミニストがいるなら、一緒にやっていきたいと思う。いまのところ、日本のフェミニズムは児ポ法に対してなんらかの強い主張を取りまとめていないと思う。たぶん、児ポ法支持だとは思うが……ポルノ規制については沈黙しがちな業界である。*3
7、8は私はあまり興味がない層なので、前回引用したマサキチトセさんをはじめとする取り組みを見守るというかたちをとるだろう。実質的な政治行動に、どれだけインターネットが影響を与えるのか、私にはわからない。投票行動とか調査してみたら面白いかもしれない。
追記
id:buyobuyoさんからトラバをいただいて、なんか内容がよくわかんないな、と思っていたら、id:NOV1975さんがフォロー記事を書いてくださいました。NOV1975さん、ありがとうございました。
「スナッフフィルムの作成を批判するのに表現の自由は関係ない」
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090721/p1
「児童虐待と表現の自由」
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20090722/p3
「アグネスの主張自体が政治的にはまずい」という点には、同意します。実際的に児ポ法の一方的な成立を止めるために運動していくには、いかに彼女のような「被害者の代弁者」を叩いていくのかが重要になると思います。ネット上の、アグネス批判は単なる悪口なので、同調する気は全くしませんが。この法案を止める闘いは、被害者(団体)との対決を避けて通れないでしょう。難しいな、と思っています。
ところで、この議論になるとさして主張もないのに、「バカ」と私に言いたがる人がやってきます。ほかに言うことはないのか?ヒマなのか?と思います。
*1:ここで言う支持者では、世論の中枢を占める性的マジョリティである。ちなみに当事者の立場から、政治家を敵味方に分けることは、私は良い戦略とは思わない。政治家の頭にはいかにマジョリティを掴むのかという計算があり、マイノリティはそのために効率的に布置され利用されるだろう。逆にいえば、それができない政治家は、国政では勝って行けない。まあ、そんなの全然好きじゃないけど、一応リアリズムとして、実質的な意味で、マイノリティの味方である政治家はありえない、と考えている。もちろんそのリアリズムと、よりマイノリティに配慮があると考えられる政治家を支持するリアリズムは、両立する
*2:以前評を書いたhttp://d.hatena.ne.jp/font-da/20080929/1222700701
*3:理由の一つに、ポルノを実際に観る負担が大きいということがある。特に、過去、AVを追っていた研究者が自死されているので、余計にプレッシャーもあるのではないか。私も正直、恐怖はあるし、自分の安全を守ることを最優先しながらやろうと思っている。