1月17日をどう過ごすか

 阪神淡路大震災から14年目。私は、あのとき、何もできなかった。12歳の小学生が、現場に行っても迷惑になることは、テレビの画面を見ただけでわかった。私が住んでいたのは神戸市の北区で*1、ありえないことに、ガスも水道もその日の夜には復旧した。暖かな家でテレビを見ている自分が異常に感じた。父や母は、被災地のど真ん中で働いていた。大人になったら、こうした現場にすぐに向かえる人間になりたいと思った。
 今、パレスチナの地で、多くの人たちが殺されている。私は、今も暖かな家で、テレビを見ている。どうしようもなくて、家を出て、パレスチナの問題に取り組む企画の宣伝活動に協力しに行った。私の負い目を解消するために、パレスチナ人たちが存在するわけではない。そして、パレスチナで起きていることと、14年前に神戸で起きたことはまったく別のことだ。
 結論もオチもない。私は、今年の1月17日をこのように過ごした、というだけのことだ。

阪神淡路大震災はてなハイク

*1:もちろん北区の中でも、被害の大小はかなり幅があります。あくまでも私が住んでいたところ、です。