ケヴィン・マクドナルド「敵こそ、我が友 〜戦犯クラウス・場ルビー」

 フランスで裁かれ、終身刑という判決が出たクラウス・バルビーを取り上げた「敵こそ、我が友」を観た。バルビーは、ナチス親衛隊の拷問の専門家で、多くのユダヤ人や抵抗運動家を虐げた。特にジャン・ムーランを死に至らしめたことで有名である。戦後は、反共戦略のためにCICに雇われスパイだった。その後、南米ボリビアに逃亡し、軍事政権の確立に協力。警察官らに、拷問の方法を教育した。さらに、チェ・ゲバラを暗殺したとも言われる。そして、麻薬を密売して大儲けし、第四帝国をアンデスで復興しようとしていた。
 この悪の権化のようなバルビーを取り上げたドキュメンタリーだが、フランス映画らしく、軽薄なテンポにのって、ひたすらインタビューの素材がコラージュされていく。ある証言のあとには、それに反対する証言、さらに根拠づけの証言、根拠を翻す証言、と言説が高速で布置されていく。観ている側は、大変だった。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのかわからない。何が真実なのか、何を根拠にすればいいのかという混乱に陥れられる。まさに情報のかく乱であった。
 最終部では、バルビーがフランスで裁かれている映像が挿入される。このシーンについて、監督はインタビューでこう答えている。

“バルビー裁判”の映像が劇中で使用されていますが?

フランスの法律では、裁判の映像記録は一切禁止されていたんだ。でも、この裁判のために特別法を通過させて、初めて裁判記録の映像が残せるようにした。ただし、政府から20年間は記録の使用・一般への公開を禁止すること、という条件が付いた。従って、裁判は1987年だから2007年に解禁になった。本作を制作にするに当り、使用許諾を取り付けたんだ。
http://www.cinematopics.com/cinema/topics/topics.php?number=1146

非常に興味深い映像だった。終身刑が宣告された瞬間に、裁判所の傍聴席がワッと揺れるような歓声に沸き、裁判官が制止している。一方で、裁判ではバルビーは「あなたがた全員が、私を必要とした。しかし、裁かれるのは私だけだ」と述べる。バルビーの弁護にあたった弁護士は、ベトナム系フランス人のジャック・ヴェルジェスである。ヴェルジュスは「ナチスは、帝国主義という意味で、ベトナムを侵略し、アルジェリアを侵略したフランスと同じく、残虐だ」という。そして、子どもたちを収用所送りにしたバルビーは残虐であるが、その命令をフランス政府が出していたことも指摘する。
 映画の序盤では、ジャン・ムーランの国葬が、ド・ゴール政権による愛国心昂揚の儀式であったことが指摘されている。フランスは、長らく「ナチスに侵略されたが、レジスタンスの活動により最後まで屈しなかった」という言説が強く生きていた。その結果、当時のフランスのヴィシー政権が、たとえ傀儡であったとしても、国家としてナチスに協力したという、責任をが問われることがなかった。ナチスは残虐であるが、その一端をフランス国民も担っていたのであり、われわれは無垢な犠牲者ではない、という視線が映画の中では通底している。
 そして、監督の強調することは、このような悪は現在進行形で行われているということだ。何度も、現在のアメリカのアフガニスタンへの侵略行為について、映画は言及する。戦犯とは何か、それは「ある人」の責任を問わざるを得ないが、そのほかの人々は「ある人」のおかげで免罪されるようなことはあるのか。そして、この構造を持続することで、私たちが起こしている問題は何か。国家と戦争犯罪人の関係を問う映画であった。
 90分と短く、速い切り替えで映像の快楽があるため、気持よくみてしまった。これだけ、戦犯について裁き、責任を問うてきた国だからこそできる映画なのかもしれない。