性同一性障害医療訴訟 証人尋問傍聴

 京都地裁で行われた性同一性障害医療訴訟の傍聴に行ってきた。原告ヨシノユギは、2006年5月20日大阪医大で1例目となる乳房切除の手術を受けた。しかし、その後、患部が壊死した。ヨシノさんは、適切な精神的サポートも受けられず、苦痛を味わうこととなる。ヨシノさんは、この件を、病院側の医療ミスと連携不足よるものとして、訴えている。*1おそらく、正式なレポートは、支援団体から出るはずなので、以下は素人のメモに基づく雑記であることを前提に読んで欲しい。聞き取り間違いや解釈の間違いもあるかもしれない。
 本日から、証人尋問が始まった。10時半から5時半という長丁場で、大阪医大精神科医、担当医、執刀医、外来担当者、さらに埼玉医大GID医療を専門としている医師の5人が証人であった。
 まず、争点の一つは壊死が医療ミスであったかどうかである。重要になるのは、壊死になった時期である。ヨシノさんは、手術前からGID医療に関する知識があったので、壊死について不安を訴えていたし、敏感であった。5月20日に手術があった後、5月27日に退院。しかし、5月28日にはすでに変異を訴えて形成外科に電話をかけている。しかし、本日の証言台に立った医師たちは、6月11日〜12日にかけて壊死が起きたと主張する。術後良好であった患部が、手術から日数がたってから急激に悪化したことを鑑み、壊死の原因は「手術にあった」のではなく、「退院後のヨシノさん自身の生活にあった」、または「特定できない」としている。
 医療ミスであったかどうかは、また、術式の選択や、主治医・執刀医の手技の問題にも疑いが向けられている。しかし、これらは医療技術の議論になるので、私には詳細はわからない。後日、原告側に立つ医師の証言もあるので、議論の中で明らかになるのだろう。
 証人、被告・原告両側の弁護士、裁判官がヨシノさんの患部の写真を見るために、ワイワイ集まっているのは、滑稽で傍聴席でも笑いが起こった。確かにユーモラスな場面ではあったが、そこに映っているのはヨシノさんの胸である。傍聴席にもこの資料の写真がちらちらと見え、尋問終了後に、ヨシノさんの支援者が被告側弁護士に、写真が傍聴席に見えないように配慮するよう、声をかけていたのが印象的だった。本当にこの裁判は、原告の負担が大きい。
 本筋ではないが、ヨシノさんの担当医のオペレーションレコードに不備があることもわかった。担当医は2006年4月に形成外科に配属されたレジデントであった。不慣れだとはいえ、修正液で3か所の書きなおしをしている上、明らかな表現の間違いもある。その上、上司からもらうべきサインも「忘れていました」と証言。その理由も「覚えていない」「忙しかったから」という。これは、本件に直接関与しなかったとしても、一般の医療業務としてまずいだろう。
 また、もう一つの争点である連携不足について、精神科医が証言した。大阪医科大ジェンダークリニックは「ガイドラインに沿った医療」をうたっている。その中に「性同一性障害を持つ当事者に対する種々の検討は、専門を異にするメンバーが医療チームを作って行う」とされている。しかし、実際にはヨシノさんの症例自体に対するカンファレンスは持たれず、カルテも共有されていない。まず、GID医療をどう進めているのかについての検討会はあるが、個々の症例に対する検討会はない。次に、手術に関して身体治療が必要であるかどうかの診断に至るまでは、精神科の範疇であり、形成外科は関与しない。そのため、精神科医が判定会議で「手術適合」とみなし、手術の依頼書を形成外科に出したきり、両者の連絡はとられなかった。そのため、精神科医はヨシノさんが手術した日程すら知らなかった。
 ヨシノさんと精神科医は3年以上も面談を重ね、性同一性障害の身体治療にむけて、ともに歩んできた。ヨシノさんの壊死への恐怖を、精神科医もよく理解していたはずだ。だが連携不足により、手術後、とりわけ28日以降のヨシノさんの壊死への恐怖は、精神科医に伝わらず、ケアがなされなかった。精神科医は、性同一性障害精神疾患には入っているが、判断能力があるとして、自ら精神科に出向き受診することができたと主張する。対するヨシノさんは、壊死への恐怖により冷静な判断を欠き、助けを求めることもできなかったと主張する。そうした状況に対応するために、チーム医療が組まれ、精神科医との連携が必要だとガイドラインでうたわれているのではないか、と言うのだ。精神科医は、連携不足を認め、ヨシノさんへのサポートができなかったことを悔い、謝ったという。だが、精神科医によればガイドラインはあくまでも理想であり、現代のGID医療の現状では、すべてを実現するのは不可能である。そのため、ガイドラインに沿った医療を求めたヨシノさんの期待を裏切ったことは認めても、損害賠償責任は生じないと、精神科医は主張した。
 精神科医と患者の間の信頼関係はとても強い。それが裏切られたときの患者の痛みは尋常ではない。もちろん、連携不足自体も大変な問題ではあるのだが、ヨシノさんの被った精神的苦痛は甚大だと思う。精神科医は謝罪したという。しかし、ヨシノさんはこうして裁判の場でその痛みを訴えなければならなかった。これは謝罪がなされたと言えるのだろうか。その重みは、精神科医自身はもちろん、精神医療を支持し、精神的サポートを推進している社会を作る私たち自身も背負わなければならないだろう。いま、精神科で何が起き、それらがどう処理されているのか。ヨシノさんの主張はそうした問題も提起する。
 こうした医者と患者の関係は、この裁判で重要な問題である。6月12日にヨシノさんは外来受診し、患部が壊死していることを告げられる。動揺し、過呼吸を起こして泣いているヨシノさんに、外来担当者は「鼠径部の皮膚を移植すればいい。そんなに深刻に考えることはない」と言う。ヨシノさんは尋問で、「性同一性障害者にとって性器を見せることも苦痛である。そのうえ、性器近くを手術することがどれだけの負担かわかっているのか」と外来担当者に迫った。すると「動揺する原告に、形成外科医としてできる限りのことをした」と答える。ここでの最善策は「形成外科医として」ふるまうことだったのだろうか。
 ヨシノさんは、精神科医に対して、「私はこの3年、1000日間、暗夜行路を続けてきました。あなたは私が地獄にいる間、楽しいこともうれしいこともあったんでしょうね」と質問した。精神科医は沈黙した後、「楽しいことはあったでしょね」と答えた。この質問が、裁判という場で行われるべきかどうかはわからない。ただ、問われたのは精神科医だけではない。裁判になるまで、問題がこじれてしまったのは、もちろん病院側の責任ではある。だが、それだけではないだろう。
 ヨシノさんは、トランスジェンダーの活動家として、関西では名が知られている。一般的に流布する「男になりたい女」「女になりたい男」という性同一性障害者のイメージを否定する活動もしてきた。ヨシノさんの主張や、パフォーマンスには、性同一性障害者からの批判もある。また、この裁判のせいで、GID医療に医師が弱腰になったとして、訴えたこと自体への批判も出ている。必ずしも、ヨシノさんは「かわいそうな被害者」ではない。しかし、ヨシノさんの主張や、尋問の詳しい内容を聴き、この裁判とは何であるのか、GID医療で起きたことは何であるのかは、もっと知られることはよいように思う。次回の反対尋問は9月28日。ついにヨシノさん本人の尋問である。

性同一性障害医療訴訟 証人尋問日程」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090905/1252137307

*1:詳しい経緯はこちら→http://www.geocities.jp/suku_domo/