PEACE ON「トークセッション 古都の視線から」

 京都の思文閣美術館で、現代イラクアート展が開かれている。

【展覧会】『イラク現代アートの先駆者たち in 京都』

〜Selections of the Iraqi Art in Kyoto〜
会期:2008年2月9日(土)〜17日(日)11:00〜19:00
会場:思文閣会館 2F 催事場
京都市左京区田中関田町2-7/ 075-751-1777)
http://www.shibunkaku.co.jp/map_hyakumanben.html
入場無料
主催:NPO法人PEACE ON
http://npopeaceon.org/
共催:「中東とアジアをつなぐ新たな地域概念・共生関係の模索」プロジェクトチーム

西洋絵画の技法を用いた、抽象美術が多い。アラビア現代書道も何点かある。
 私は、参考においてある、70年代のイラクの写真がとっても楽しかった。ぴたっとした襟付きカラーシャツに、ラッパズボンで、いかにも当時の若者が写っている。このころのイラク都市部はイケイケで、不良っぽい若者が多くて生き生きした街の様子が写真に残っている。それから、爆笑したのはみやげ物屋の写真。安っぽい金メッキのみやげ物の横に「EXOTIC IRAQ」という看板が出ている。自分で言っちゃってる!いいなあ、こういういの。

 ふらりと入ったのだが、夕方からトークセッションがあるというので参加してきた。

………2月10日(日)……… トークセッション「古都の目線から」

出演:香緒里(PEACE ON)×岡真理さん(京都大学教員/現代アラブ文学)
進行:相澤恭行(PEACE ON)
日時:2月10日(日)18:00〜20:00
参加費:500円(お茶・菓子でます)
♪19:30くらい〜 友枝良平さん 楊琴ライブ演奏会

少人数で円座で話を聞く形。特に何も準備していなかったので、メモもとっていないし、ちゃんとしたレポートは書けそうにない。あまり、良い気持ちがするイベントではなかった。以下、参考までに。

 話題は、イラクが何千年もの古都であり、イラクの人々はそれを誇りにしているということが中心。香緒里さんは、京都出身なので、自分のルーツであると京都に対して持つ感覚と、イラクの人たちがバグダッドに持つ感覚が直感的に共通すると認識したという。そこから、かわいそうなイラクの人々と扱うのではなく、文明を持ち生活をしているイラクの人々とかかわろうとすることなどについての話などがあった。
 私が終始、気分が悪かったのは、次のような発言が繰り返されたためである。それは、湾岸戦争でのイラク攻撃について、「バグダッドは、日本の京都のような街。イラクの人々がバグダッドが破壊されるときに感じるのは、日本人が京都を破壊されるような感覚」といった発言や、「日本の人々は都市が破壊されることを経験していないから、バグダッドのような人々の感覚を失いがち」という発言である。
 湾岸戦争は1991年だが、1995年には、阪神・淡路大震災が起きている。まさしく都市の破壊である。イラクと日本という単純な二項図式にのっとって、「私たち日本人は」で始まる言説が撒き散らされて、非常に不愉快だった。また、何度もイラクの人々の「人と人とのつながり」が強調され、日本人からそれが失われているとする、典型的オリエンタリズムも不愉快だった。結局、イラクの人々を、自分たちの日本人としてのアイデンティティの源泉として利用しているというように、感じた。

 また、歴史と愛着を持った都市だから破壊されるとショックを受けるのではない。破壊されたショックでこそ歴史と愛着は生まれる。*1壊されてしまったからこそ、「昔のこの街は、こんなにすばらしかった」と懐古的に美化され、回想される。また、支援の手を差し伸べる人の、憐れみの視線に対して「いや、本当のこの街の姿は、あなた方に同情されるどころか、羨望のまなざしを注がれるべき都市である」という抵抗の言説として、「私たちのすばらしい街」が語られる。言うまでもなく、これはパトリオティズムの典型例である。そして、このように語らねばならない気分にさせるような状況は、決して肯定されえない。*2
 そもそも、京都が日本の古都としてのアイデンティティを持つ/持たされるのは明治以降に顕著な動きである*3京都が日本人にとって重要だとされていくのは、国家にとって歴史が必要だからである。また、京都を「古きよき日本」として保持することで、心おきなく東京は西洋化できたのである。東京から来て、「京都は昔ながらの日本人の心を残している」というのは、未開人を見て喜ぶ近代人のオリエンタリズムそのものである。

 ということを語りたかったが、喋りが下手なせいで、私は、単なる傷ついてるかわいそうな被災者っぽくなってしまった。しかし、次の発言者が「私は故郷を持たない」という話をしてくれて、うまくつながった。よかった。
 しかし、次に返ってきた岡真理の応答は疑問符がつく。まず、岡さんは、「バグダッドが日本の古都」というのは比喩にすぎない、と発言する。だが、そんなこと言うと、「日本は神の国」も「女は産む機械」も比喩である。比喩だから、なんなんだ?と思った。
 次に、岡さんは、延々と自分のゼミ生(神戸の被災者)の話をしていた。そのゼミ生は、パレスチナの話を聞き、家を奪われるパレスチナ人に対し、「戦争で家を失うことと、天災で家を失うことは同じにはできないけれど、パレスチナの人びとの痛みが、ほんの少し共通できた気がする」とゼミの感想シートに書いたらしい。岡さんはそれに感動したらしいが、なぜそんな話を私にするのだろうか?「こんなすばらしい被災者がいる。お前も被災者なんだから見習え」ということだろうか?それで発言がぶちっと終わり、座談会は打ち切られたので、岡さんの意図は不明である。とりあえず、「なぜ、あなたは、今ここにいる私と話さずに、ゼミ生の思い出話にひたるのか?」という疑問が残った。
(しかし、このやり取りも記憶を元に書いているだけなので、どのようなすれ違いがあったのかは、明確でない)

 PEACE ONの芸術作品を、日本に紹介する試みは大変面白いと思うし、その活動に携わる熱意は尊敬する。しかし、発言内容は不十分な点もあったと思う。途中で、香緒里さんに、ほかの東京人のスタッフが「京言葉でしゃべって」とふざけていうのも、私は不愉快だった。マイノリティの言語をネタにするのは楽しいかもしれないが、「関西にきたら君たちがマイノリティであることは覚えておけよ」と思った。
 それから、せっかくアート展をやってるんだから、アートの話がもっと聞きたかったな。

*1:でなければ、9.11以降の、ニューヨークに対するアメリカの人たちの愛着は何なのだ。

*2:パトリオティズムを肯定することと、パトリオティズムにコミットせざるをえない状況を肯定することは別のことである

*3:佐藤守弘は、「京都と平安文化を結びつける言説の起源を、近代国民国家イデオロギー的なトポグラフィのなかに見いだす」分析を、写真資料を通じて論証している。佐藤守弘「伝統の地政学」『美術京都』中信美術奨励基金、2005年、26〜52P