新・言文一致体

 NHKの「クローズアップ現代」(9月27日)は、「ケータイ小説」についてだったので、ぼんやり見ていた。一応、「Deep Love」は人に借りて読んだことがある。ネットに飛び交う感想はchikiさんのが一番面白かった。(http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040404#p1

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版

 「Deep Love」以降も、ケータイ小説は爆発的に売れている。さすがに、楽しめないので、ぱらぱら立ち読みでみているだけだ。(気になるから、みるのはみてしまうのだけど)
 番組に出ていた学者が、これは明治以降の日本人が追及していた「言文一致体」が進化した「新・言文一致体」と主張していた。(どこまで本気かは、よくわからなかった。)内面の告白(「内なる声」)という意味では、言文一致を目指しているともいえなくもないか…。
 でも、私は、ケータイ小説はどう読んでも、「ティーンズハート文庫」の延長線上にあると思う。「ティーンズハート文庫」はピンク色の表紙が目印で、カバーは少女漫画の絵になっている。内容も、少女漫画の小説版といった具合だ。それも、大塚英二が「乙女チック」と呼んだ作風である。
 宮台真司なんかは、「乙女チック」はバブル期に滅んだ、と論じているようだが、媒体が代わっただけである。私も小学生の時(1990年代)に愛読していた。特に、折原みと*1

自然学校でまわし読みしてました。実は1990年代には、少女漫画は冒険壇が大流行している。少女漫画の「BASARA」「ふしぎ遊戯」もこの頃。中で描かれる女の子は、「乙女チック」でありながら、異世界を飛び回っていた。その中で強調されたのは、主人公の成長。ファンタジーというよりは、児童文学のノリだった。
 と、いいつつ、「乙女チック」路線保守ともいえる作品も多い。

これは、心臓病の少女が、療養先で男の子に出会い…という小説。こういう病気を美化して恋愛を描く話も愛好された。

 ただし、私はそこからよくわからない路線にいってしまった。

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記

復刊されたらしい。確かに、「病気+愛」だけど…。無駄にラディカルだったので、より激烈な描写に向かってしまったらしい。または、

ここに地終わり海始まる(上) (講談社文庫)

ここに地終わり海始まる(上) (講談社文庫)

こんな方向に走った。病気がちな女性が、恋愛に向けて一歩を踏み出すんだけど…不倫…。中学生には刺激がありすぎて、それから、ガンガン宮本輝ばっかり読んでいた。

 私はこうやって、「新・言文一致体」からどんどん離れていったのだけれど、もし、あのままティーンズハートに留まっていたら、「ケータイ小説」の書き手になってたかもしれない。私は、自分がああいうのを書く素養がある…ていうか、書くのが好きだと思う。
 どっちにしろ、文学少女でなかったことは確かです。だから、どうも「ケータイ小説」を馬鹿にしつつ、馬鹿に仕切れない。私は、他人を笑えるような読書歴ではないなあ、と思う。

*1:「おりみと」って呼んでたよ…忘れたい過去