聖千秋「いつも上天気」

 「これぞ、メロドラマ!」という家族劇。聖さんは映画好きで、漫画にもよく映画がモチーフとして使われている。この作品は、ジーン・ケリー主演の「いつも上天気」で、ローラースケートを履いて「自分を好きになったのは 彼女が僕を好きだからさ」と歌うシーンが、繰り返し語られる。
 放浪の画家と、小説家の母の間で、崩壊しかける家庭を支えようと、他人を笑わせることで自分を保つ主人公・宝が、そこから抜け出すストーリー。私は、1992年*1に、別冊マーガレットで掲載された最終回だけを読んでいて、宝が「パパ、あれはオレゴンよ!」と電話で叫ぶシーンが印象に残っていた。
 宝は、父と母の幸福な思い出として、虹のかかった山のふもとの風景を大事に覚えている。「あれはどこだったんだろう」という小学生の宝の言葉を偶然聴いていた、宝を想う潮崎君は高校生時代に「あれはオレゴンです」と伝える。本当は、潮崎君は、そこがどこだか知らず、自分の知っている場所を宝の思い出に重ね合わせていたにすぎない。しかし、宝はその潮崎君の言葉を信じる。
 物語の後半で、成人した宝は家族から抜け出し、潮崎君との人生を選ぼうとするが、「私が潮崎君を不幸にする」という呪縛から抜け出せない。潮崎君は宝に手紙でこう綴る。

そして 君に
いわなければいけない
おれのいった あの場所は
オレゴンではないかもしれない
オレゴンかもしれない
それは君が決めることです
君の決断を おれは待つつもりです
一生 待つつもりです

聖千秋「いつも上天気」(集英社文庫、2巻、2003年、57〜58頁)

宝は、何度も抜け出そうと試み、潮崎君の手をとろうとする。

潮崎「お父さんが見つかったら オレゴンへいこう きっとそこでなにもかも始まる」
宝「あれはオレゴンじゃないわ オレゴンじゃない あたし 潮崎くん 好きじゃない
好きじゃない 好きにならない 潮崎くん 不幸にしたくない」
潮崎「またおんなじだ さよなら」

(194〜195ページ)

この後、私が読んだ最終回へのクライマックスはつながっていく。潮崎君を諦め、別の人との結婚を承諾しようとする宝のところへ、行方不明の父から電話がかかってくる。

父「宝… 覚えているかな… 昔のことだ ママとよく3人で旅をしたな…」
宝「うん… う……」
父「大きな高山のふもとで…少し富士山に似ていた…そのふもとを3人で歩いたな…大きな虹がきれいだった……
宝 覚えているかな……」
宝「………… パ…パ… 覚えてるわ…
オレゴンよ オレゴンよ パパ帰ってきて パパ!」

(208〜212ページ)

このシーンでは、潮崎君のカットと「あれはオレゴンです」というせりふが挟み込まれている。宝は潮崎君のもとに向かう、猛スピードで走らせる車の中で、モノローグでこう語る。

もう後ろはみない この先 どんな未来が待っていても
あの日 泣いた海に 誓って
もう二度と 自分に 鎖はかけない
何もいえずに 両親の 背中だけ みていた 子はいない
あの日 海に捨てた あたしの想いを
あたしは 自分で取りにいける

(221ページ)

この漫画の中で、オレゴンは具体的に描かれず、最後までオレゴンだったのかどうかは明らかにならない。オレゴンという言葉は、何も内容を持たない。ただ、宝が、自分の過去を、自分で捉えなおすことを、自分で選択できるまでの過程が描かれる。
 90年代後半から、AC(アダルトチルドレン)という言葉が大流行して、幼少時の家庭環境が問題にされていった。しかし、その直前とも言える時期に、すでに「私は、私を生きなおせる」という物語が描かれていたのだと、いまさら思った。聖さんは、このトラウマを癒す子どもたちの物語として、「すすきのみみずく」を後に描いている。あくまでも、病理でもスティグマでもなく、父と母の過去を手放し、自分の人生を生き直そうとする登場人物が描かれる。

 そんな聖さんの、最近の作品は「正義の味方」。トラウマものでもなんでもなく、性格の悪い姉と要領の悪い妹のドタバタコメディ。私はこちらも好きです。

正義の味方 1 (クイーンズコミックス)

正義の味方 1 (クイーンズコミックス)

*1:当時は、小学生だったので、何の話がさっぱりわかっていませんでした。