「橋下は」ではなく「私は」何をするのか、と言いなおしていく

 橋下大阪市長が、新しい仮想敵として、「学者」を設定している。「学者は現実を知らない」というのがスローガンである。学者なんてカテゴリーは、本来はあまり意味をなさない。在野の学者もいるし、運動に加わっている学者もいるし、国際政治の裏側で動いている学者もいるし、アカデミズム内の政治ばかりしている学者もいる。けれど、橋下さんは、そうした現実を捉えるわけでもなく、なんとなく世の人が抱く「学者は暇そうで、好きなことばかりしていて、専門バカ」というイメージと、それに対する怒りや反発、嫉妬をつなぎ合わせて、見事に「学者がダメだから世の中ダメなんだ」という気分を盛り立てている。
 学者の側が苦しいのは、半分は本当だからである。現場のことを知らず、放言している学者は山ほどいる。私の学者に対する恨みは、橋下さんの比ではないくらい深い。だけれども、私は「学者が学者だから」問題があるのではなく、大学という制度が問題を抱えているのだと思う。これは、たぶん、民営化や補助金カットでは問題は解決できない。あえていうなら、東大を解体すれば、よくなるかもしれない。でも、そんな性急な解決策は新たなヒエラルキーと、恨みつらみを残すだけだろう。これから学者になる若い世代が問題化して、がんばるしかないと思う(そんなことする若い世代が、これから学問を続けるかどうかも、はなはだ疑問だけれど。そして、その学問の魅力の減失には、学者の責任がある)
 学者の世界では、「学問に意味なんかあるのか?」という議論は散々やってきた。なぜなら、学問の世界に足を踏み入れようとするときに、少しでも社会に関心がある人が必ず通る疑問だからである。世の中を変えるために、学問なんかやっても仕方がないし、せめて実学のほうが意義があると感じる。それをラディカルにやったのが、大学紛争の若者たちである。そして、もっと大規模にやったのが文化大革命である。不思議だけれど、橋下さんは共産主義とは縁がなさそうなのに、まるで文革みたいなことをやる。「観念的で、個人的」なことを禁止して、「実践だけに価値があり、集団に忠誠を誓う」なんて。でも、独裁者が考えることは、まず、批判精神を養う機関をつぶすことなので、人文・社会科学の学者や芸術家の発言を禁止し、人々のそれに対する信頼を奪おうとするのは、基本なんだろう。一党独裁で、党の指導の下で改革が進められるさまは、わかりやすくファシズムの道を歩んでいる光景だと思う。
 ドイツの劇作家のブレヒトは、政府や一般の人々が、ある政治に熱狂的になることを抑制するために、芸術が必要だといった。そんな理念を掲げる演劇が、今の日本にあるのかはわからないが、私も芸術がそういった役割を果すことはありえると思う。「批判ばかりする」ことで、出鼻をくじいて、熱狂的になった気持ちを盛り下げ、冷静に政策が理にかなっているのか検討することは、良い政治に必要だろう。「いやいや、そんなことは理想論で、人々は熱狂したがっている」と言ってみても、やっぱりそれを私は主張する。それは、私が二十代をかけて出した結論である。
 私が大学に入学したのは2001年だ。入学して約半年後に9.11が起きた。あれこそ、熱狂だった。当時首相であった小泉純一朗は、即座にアメリカの報復行動に賛同した。日本の人々も口々に「テロ国家を許さない」と口走っていた。そこから、数年にわたり、アフガニスタンイラクへの米兵の侵攻が始まり、今も事態は収束しない。私は、ずっと混乱し続け、戸惑い続け、迷走し続けた。自民党民主党の議員に会う機会もあった。私の中にある、「戦争はよくない」という素朴な思いと、あまりにも熱狂的に盛り上がっていく人々の報復感情(それも内発的にはみえない、煽られ酔っ払ったような)に飲み込まれるような気持ちがあった。それに、実存的な「自分は何ものか」という問いがあわさって、「私は何をするべきなのか」という不安と疑問で鬱屈した生活をしていた。いつも「私には何もできない」という無力感と隣り合わせだった。
 大学の学問の場では、それまでの、多文化主義を称揚する政治思想が色あせて見えた。唯一、サルトルを研究していた政治思想の非常勤講師が、私の話を聞いてくれた。それでも、自分の言葉がどんどん壊れていくような感覚で、苦しくてつらかった。私には、熱狂に対抗するだけの論理も知識も、気力もなかった。学問に何ができるのか、と思いながら、本を読むしかなかった。次の瞬間に、本なんか読んでも、この社会は変わらないという言葉が自分の中でぐるぐる回り始める。そのとき私が思ったことは「強くなければ、自分の言いたいことは言えない」ということだ。人々が寛容であるとき、他人と違うことを考えていても聞いてもらえる。だけれど、こうした熱狂状態になったら、かれらの情念に立ち向かうだけの強さが必要だと思った。学問は武器だ。そう思いながら、ズブズブと、自分の悩みと情緒不安定の中に沈み込み、私は何年も、「私は何をするべきなのか」という問いの泥沼にはまった。
 上の私の経験を「青春」や「自分探し」、「モラトリアム」と呼べる類のものだ。私が模索していたのは、私のアイデンティティや将来像で、社会とのかかわり方である。そして、これは個人的な苦悩でありながら、社会の情勢と密接にかかわっている。私は、私のやり方で、時代を生きた。10年経ってみて思う。
 そして、橋下さんのやり方をみるたびに、小泉さんを思い出す。小泉さんが標的にしたのは「官僚」だった。そのあと「拉致被害者家族」「犯罪被害者遺族」が当事者としての像を作られ、「当事者」として偶像化された。世の中の人々は深くかれらに同情を寄せ、「北朝鮮」や「凶悪犯」を憎んだ。米国の当時のブッシュ大統領は、「9.11の犠牲者」を偶像化し、「アラブのテロリスト」を悪の象徴に設定した。わかりやすい構図だ。悪をやっつければ、平和が訪れる。でも、今になってみればわかる。北朝鮮を追い詰めても、凶悪犯を死刑に処しても、アフガニスタン空爆しても、フセインを殺しても、世の中はよくならない。いまの日本の不景気は、世界金融危機の影響を受けており、それは米国の格付け会社が高く評価した金融会社が発端となっている。世界に危機をもたらすのは、アラブのテロリストでも悪の枢軸国でもなく、アメリカのローン会社だったのだ。
 こうした規模の大きい「偽の対立」「偽の敵づくり」に比べれば、橋下さんのやっていることは、地方行政レベルでスケールは小さい。しかし、ある意味では独裁者の「いつもの手」である。これまで標的にされたことがあまりない「学者」の中には動揺して「自分は学者ではない」とか「学者が勝つためには」とか、言い出す人もいるかもしれない。だけど、私が学んだことは、こうしたときは具体的な論点だけで話をすることだ。少なくとも、府知事時代の橋下さんの改革は、実害があった。私は2008年にこうした記事を書いている。

橋下知事は被害者を見捨てるつもりなのか?」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080408/1207659453

フェミニズムの運動の成果で、ドーンセンターは維持されることになった。しかしながら、人件費の削減により、女性のための相談窓口のスタッフは減らさざるをえなかったという話も私は聞いている。余波は当然、被害者がこうむることがある。カウンセリングの予約は一ヶ月先待ちとなり、緊急に助けを求める性暴力被害者のうちには、サービスを受けることを諦めた人もいる。さらには、性犯罪者への処遇については、橋下さんの提案は問題がある。

「性犯罪前歴者にGPS、大阪府も検討」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20110302/1299069655

橋下さんの提案は、一時期西欧諸国で流行った、環境犯罪学のアイデアの輸入である。犯罪を起こすことができないように、環境をデザインしていく政策だ。それらの結果がどうであったのかは、そろそろ調査が出ている。昨年の国際犯罪社会学会でも、韓国の性犯罪前歴者にGPSをつけるという処遇について、韓国の研究者から、凶悪犯に対する世論の憤りに煽られた結果の政策であり、効果については疑問がもたれているという報告があった。こうした政策は学問的見地から、批判が可能である。
 それぞれの持ち場で、地味にやるしかない。学者という生き物がいるのではなく、それぞれの領域で、それぞれの研究をしている。抽象化してしまえば、「政治家VS学者」の構図で、学者に勝ち目はない。なぜなら、政治家は勝つためのプロだからだ。政治家は、何が真実で何が正しいのかよりも、何を言えば勝てるのかを考えている。丁寧にものごとを読み解こうとすればするほど、政治家に負ける。だから、勝負には背を向けるしかないだろう。そして、たとえ負けたとしても、一人でも多くの人に、こちらの言っていることに耳を傾けてもらえるように、語りかけるしかない。政治家は、人々の望む現実を描いてみせる。学者は、人々の望まない真実を描こうとする。人々は、前者に飛びつくかもしれない。けれど、どこかでいつも後者を求めている。その良心に訴えるしかない。
 たぶん、こんなことは、政治とかかわっている学者にとっては、当たり前かもしれない。けれど、10年前の私のように、どこかで学問の力を疑いながら、学問に賭けたいと考えている人がいるかもしれないと思って書いた。
 こんな言葉では心もとないので、私が10年前に励まされた本をあげておく。

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

(前略)わたしが主張したいのは、知識人とは、あくまでも社会の中で特殊的な公的役割を担う個人であって、知識人は顔のない専門家に還元できない。つまり特定の職務をこなす有資格階層に還元することはできない。わたしにとってなにより重要な事実は、知識人が、公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、姿勢なり、哲学なり、意見なりを表象=代弁(レプリゼント)し肉付けし、明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人であるということだ。(37ページ)

(前略)わたしは知識人として、観衆あるいは支援者のまえで自分の関心事を披露するわけだが、ここには、わたしがいかにして自分の論点を明確にするのかという問題のみならず、わたし自身が、自由と公正という理念を促進支援しようとする人間として、何を表象(レプリゼント)するかという問題ともからんでくる。わたしは、これこれのことをしゃべったり書いたりするわけだが、それは熟慮のすえ、そうしたことがらこそ、自分の信ずるところのものであると納得したからであり、同じ考え方をしてくれるような他人を説得したいからである。したがって、私的な世界と公的な世界とは、きわめて複雑なかたちで混ざりあっている。いっぽうには、わたし自身の歴史があり、わたしの経験からひきだされたわたしの価値観や、わたしの書いたものや、わたしの立場がある。そしていまいっぽうには、こうしたことがらを吸収する社会的な世界があり、そこでは戦争や自由や公正について人びとが議論したり決断をくだしている。私的な知識人と言うものが存在しないのは、あなたが言葉を書きつけ、それを公表するまさにその瞬間、あなたは公的な世界にはいりこんだことになるかだ。しかし、かといって、ただ公的なだけの知識人というものも存在しない。目的なり、運動なり、立場なりの、たんなる表看板、たんなる代弁者、たんなるシンボルとして存在する人間などいないのだ。つねに個人的な曲解があり、私的な感性が存在する。そして、個人的な曲解なり感性が、いま語られつつあることや、書かれつつあることに、意味をあたえるのである。また、観衆に迎合するだけの知識人というものは、そもそも存在してはならない。知識人の語ることは、総じて聴衆を困惑させたり、聴衆の気持ちを逆なでしたり、さらには不快であったりするべきなのだ。
 したがって、結局のところ、重要なのは代表的(レプリゼンタティヴ)〔=代弁する〕人物としての知識人のありかたである――なんらかの立場をはっきりと代表=表象(レプリゼント)する人間、また、あらゆる障害をものともせず、聴衆に対して明確な言語表象をかたちづくる人間。わたしの論旨は、知識人が、表象=代弁する技能を使命としておびた個人であるということにつきる。この使命は、どのようなかたちで実現されてもよい。おしゃべりでも、ものを書くことでも、教えることでも、テレビに出演することでも。そして、この使命で重要なのは、それが公的に認知されたものであり、それには責務とリスクがともない、また大胆さと繊細さも必要となるからである。たしかにジャン=ポール・サルトルバートランド・ラッセルの書いたものを読むとき強く迫ってくるのは、その論じかたではなく、彼ら特有の個人的な声であり、その存在感であるが、これは、彼らが自己の信ずるところを臆せず語っているからである。彼らが、顔のない役人や事なかれ主義の官僚によもやまちがわれることはあるまい。
(39〜40ページ)

なぜか、当時、緑色のペンで線を引いたので、ちょっと読みにくかった。