今年の10冊

 今年も大晦日に、「なんとかこれだけは書こう」と決意して、大急ぎでアップすることに。(今年発売した本、という意味ではなく、今年の私の心に残った本という意味です)

大野更紗「困ってるひと」

困ってるひと

困ってるひと

今年の大ヒット作。大学院生だった大野さんが、突然の難病にかかり、生死の境をさまよいながら、生きていく術を身につけていく様子をつづったエッセイです。そして、大野さんが気付いたのは、難病患者は生きていくための社会制度が全く整えられていないということです。家族や友人に頼っていては、かれらが疲弊して潰れてしまう。だからこそ、国や地域の支援制度が必要なのだということを、命の危機に瀕しながらも理知的に解明していきます。それと同時に、大野さんが追い詰められて生きる意欲を失いかけたとき、救いになったのは(ご本人も茶化さずにはいられないほどの)純愛だっということも率直に書いています。社会制度を撃つ理性と、弱い自分に直面する感情の間を揺れ動くさまが、よく伝わります。
 というわけで、とても良い本なのですが、社会での受容のされ方は、私の感想と異なるものでした。大野さんを追い詰めたのは、社会制度の貧弱さです。それは、この社会のマジョリティが社会的弱者に無関心であったことに起因します。それを大野さんは責めることなく、共に考えていこうという姿勢でいます。その大野さんの姿勢を、社会の側は「こんなデキのいい難病患者もいる」という感嘆でもって迎えたように、私には見えます。私はそれは違うのではないかと、思います。これまでも、障害者団体は再三、社会制度の整備を求めてきました。難病であるALSの当事者やその家族もです。にも関わらず、行政の側は十分な制度を作ってきませんでした。それは、障害者団体の「言い方が悪かった」からではありません。言い方がなんであれ、「とりあげるべき問題を、マジョリティが無視してきた」のです。
 上の点を踏まえて、併せて読みたい本を挙げておきます。

生を肯定する倫理へ―障害学の視点から

生を肯定する倫理へ―障害学の視点から

関西障害者運動の現代史―大阪青い芝の会を中心に

関西障害者運動の現代史―大阪青い芝の会を中心に

この二冊は改めて取りあげる予定。

石井光太「ルポ 餓死現場で生きる」

ルポ 餓死現場で生きる (ちくま新書)

ルポ 餓死現場で生きる (ちくま新書)

これもとても売れた本です。貧困国の子どもたちの生活を、ジャーナリストで現場に取材にいった石井さんが、経験談を交えながら紹介しています。ストリートチルドレン、児童婚、児童労働など、出てくるエピソードはとてもハードです。石井さんは、それらの子どもたちを可哀そうで保護すべき存在とみなすのではなく、かれらの生きていく力強さとつらさに焦点を当てます。子どもを売ったり、働かせたりする大人たちもまた貧困の状態にあり、子どもたち自身もそれを理解しています。その中で、より良い生を求めて結果、かれらは売春婦になったり、子ども兵士になったりします。私がこの本の一番好きなのは元売春婦のラミラのエピソードです。ラミラは、児童売春をしていたのですが、その後自分で美容室を開くようになりました。今では、定期的に、売春する女の子たちの相談に乗り、必要なお金を渡してやってています。彼女は、周りの女の子たちの「理想の先輩」です。ラミラは石井さんに次のように語ります。

「 女の子はいろんな事情があって売春をしているの。私だってそうだった。働いていた先で何年も性的暴行を受けつづけ、悩んだ末に自分の意思で売春婦になることに決めたの。まだ十四歳のときだった。それから十年近く一生懸命働いてお金を貯めて、今のお店を開き、成功した。私はそんな自分の過去を否定したくない。自分で決めて、自分でやって、自分で成功したことに誇りをもって生きていきたい。だから、私は過去を隠して生きるつもりはないし、ここにいる売春婦たちに『私のように成功して』って言ってあげたいの。今の仕事を恥ずかしがるのではなく、自信をもって成功につなげればいいってことをみんなに教えてあげたいのよ」(87ページ)

石井さんもこの後に述べていますが、ラミラの伝えるメッセージがいいことなのかはわかりません。お金を払って子どもに性行為させることは、子どもに対する暴力でしょう。しかし、子ども時代にそうしてきたラミラの側は「成功するためのチャンスである」といいます。その背景には、ほかに貧困から抜け出す手立てがないという厳しい現実があります。もちろんその背景を変えなければならないが、明日、解決しないことも確かです。石井さんは次のように述べています。

 児童労働、あるいは児童売春はなくしていくように努めていくべきです。しかし、それをせざるを得ない人々もいるわけで、彼らはできる範囲で、よりよい状況をつくりだそうと懸命に努力しているのです。今すぐ児童労働をなくすことが理想論にすぎない以上、頭からすべてを否定するのではなく、彼らの立ち位置や感情、それに努力といったものを認める視点を持つことも大切ではないでしょうか。
(88ページ)

カリヨン子どもセンタ・子どもセンターてんぽ・子どもセンターパオ・子どもシェルターモモ「子どものシェルターの挑戦」

居場所を失った子どもを守る 子どものシェルターの挑戦

居場所を失った子どもを守る 子どものシェルターの挑戦

  • 作者: カリヨン子どもセンター,子どもセンターてんぽ,子どもセンター「パオ」,子どもシェルターモモ
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2009/11/27
  • メディア: 単行本
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今日の下の記事でも紹介しました。

「京都に子どものシェルターができるそうです」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20111231/1325321402

帰る場所のない十代の子どもたち支援するための取り組みです。この本には具体的な利用者のエピソードも掲載されており、シェルターで自立の準備をする子どもたちの話が出てきます。また、何度も就労してはやめてしまい、トラブルになって、シェルターを出なければならなくなった子どもも、出てきます。何度も失敗をしながら、シェルターを出た後も生き場がなくなり、出戻って体力を養って、もう一度チャレンジしてという繰り返しで、トントン拍子にはいかなくても、ゆっくり育っていく子どもの姿がそこでは描かれています。
 支援につながることができなかったり、厳しい環境で折れてしまった子どもたちの本も今年は出ました。今まで、あまり知られることのなかった女子少年院のルポルタージュ「少女は、闇を抜けて」です。

少女は、闇を抜けて―女子少年院・榛名女子学園

少女は、闇を抜けて―女子少年院・榛名女子学園

出てくる子どもたちは、家庭で苦しい思いを抱えながら、少年院に送られ、自分を見つめ直そうと七転八倒します。女子少年たちが、家庭でDVに巻き込まれたり、虐待を受けた経験があることは良く知られています。特に、性暴力の被害経験を持つ女子少年もたくさんいます。けれど、それに対する支援は、少年院にはほとんど整備されていません。
 男子の少年院出所者の状況を書いた本「家のない少年たち」もでました。
家のない少年たち 親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル

家のない少年たち 親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル

鈴木さんは「家のない少女たち」の作者でもあります。虐待家庭に育ち、行き場のない少年たちは、勝ちあがるために、犯罪を繰り返します。ただ、鈴木さんは女子よりも男子に共感しながら書いているのか、前二作より突き付けられるものは少なく感じました。
出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで

出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで

 関連して、少年院の出所者たちの自助グループも立ち上がっているので、紹介しておきます。
セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

セカンドチャンス!―人生が変わった少年院出院者たち

すぎむらなおみ「エッチのまわりにあるもの」

エッチのまわりにあるもの―保健室の社会学―

エッチのまわりにあるもの―保健室の社会学―

これは、10代の子どもたちに向けた性教育の教材として、とてもよい本です。まず、構成がとてもよいです。まず、各章のはじめにLLページ(やさしくよめるページ)があります。これらのページは、ふりがな付きで、言葉もやさしいものが選んで書かれています。日本語を読むのが苦手な人はもちろん、本を読む習慣がなくて、文字を追うだけでしんどくなってしまう子どもたちにも、よい手引きになります。そして、各章のおわりに「ことばのせつめい」で、どこがポイントになる問題だったのかまとめられています。こういう性の情報は、「一人でこっそり読みたい」と思っている子どもたちはたくさんいると思います。恥ずかしかったり、見るのが怖かったりする世界だからです。そうした子どもたちが、手にとってくれたらいいなあ、と思いました。
 内容は、避妊やセクハラ、DV、性被害などのスタンダードなものから、セクシュアルマイノリティやニューカマー、男性の性被害など広範囲にわたっています。やさしい言葉で書いてありますが、脚注の参考資料は豊富で、目配りの利いたものだと感じました。そして最後の二章の「スクールセクハラ」と「援助交際」の問題は、大人に向けての提起だと思いました。学校内でセクハラが起きた時に、政治的に誰がどんなふうに振舞い、大人同士の事情に当事者が黙らされていくさまが描かれています。また、援助交際について、教員同士がロールプレイで生徒を演じて議論したところ、売春肯定論が飛び出し、正直な気持ちを言い始めます。けれど、かれらは終わった後に「こんなことは、生徒には言えない」と建前の援助交際批判を始めます。性の問題で混乱しているのは、子どもだけではありません。大人もよくわかっていないのに、子どもに「正しい性教育」はできないのです。そして、はたして「正しい性教育」ってなんなのか、そんなものはあるのか。そうした疑問まで突き付ける、よい本だと思います。

信田さよ子「増補 ザ・ママの研究」

増補 ザ・ママの研究 (よりみちパン!セ)

増補 ザ・ママの研究 (よりみちパン!セ)

こちらも、中学生くらいから読めるように、女の子たちに向けた本です。ママが分類されており、「あなたのママはどのタイプ?」と問います。その中で、ママも人間で、たくさんの問題を抱えていることを子どもたちに伝えます。その上で、ママの問題を、あなたが一緒に背負う必要はないんだよ、というメッセージが発せられます。虐待を受けている子どもたちや、そこまでいかなくても、母親との関係で苦しくなる子どもたち自身の、セルフヘルプ本と言えるかもしれません。
 信田さんは、母親の問題を抱え続け、大人になってから苦しくなり、危機的な状態に陥った女性たちについても書いています。
母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時

さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時

後者には、娘にストーキングする母親が出てきます。しかし、信田さんはその背景には、社会進出を阻まれた世代の女性という、母親の一側面があることを示唆しています。

水島広子「トラウマの現実に向き合う」

トラウマを負った人の援助について、医療モデルからのアプローチを強調して書いた本です。豊富な臨床例が元になっており、トラウマを負った人に接するときに直面する援助職の戸惑いをよく捉え、分析して対処法を明示しています。冒頭から被虐待経験のある人の「ゆるし」の話が出ているのですが、それは「自分自身をゆるすことであるのだ」とまとめられています。心理学による治療を念頭に置いた本ですが、専門用語もほとんど出ておらず、とても読みやすく伝わる本でした。

上岡陽江+大嶋栄子「その後の不自由」

その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)

上の医療モデルによるアプローチは、重要だと思いつつ、なんだか辛気臭い気持ちになります。それに対照的なのが、ダルク女性ハウスをフィールドにして、当事者が生きることを正面に据えた「その語の不自由」です。私の周囲では、みんなこの本を持ち、絶賛していました。私も10回くらい読みました。ダルクは、薬物依存者の自助グループですが、そこに参加する女性たちはみんな大きな対人トラウマを抱えています。だから、人間関係を作るのが、とても大変。その大変さを、なくしてしまうんではなくて、そこそこ生活できるレベルにまで調整していくのが、この本で言うところの「回復」です。挿絵がかわいいのも、とてもよいです。ドキリとする言葉がたくさん出ているのですが、私の印象に残っているのは、次の個所です。孤立していて、他人とうまく関われない当事者が、「自分はとても大変だった」という気持ちと、「私はたいしたことじゃないことで、大騒ぎしている」という気持ちの間でグルグルまわり、自傷や依存症に陥ることについて述べています。

大嶋 グルグル回ってる。
上岡 そう。みんなグルグル。ただ、そのスパイラルに守られている面もあるんだよね。たとえば、性虐待の話を相談すると、専門家から「あなたは悪くなかったのよ」って必ず言われるわけ。みんなそこで混乱してる。
大嶋 私が悪くないなら、なんであんなことが怒ったんだろうって。
上岡 うん。それと、今まで「自分が悪い」という立場に立ってたのに、今度から立ち位置をどこにしようって。
――ああ、グルグルしながらどうにか生きてきたのに土台を切られたみたいな感じですか?
上岡 そう。悪者側に立ってきたのに、あなたが悪くないって言われるとどこに立っていいかわかんなくなる。「先生に今日こういう話をしたら、あなたは悪くないって言われちゃって、いま私はどこにいるんでしょう」みたいにパニクられることがある。だから「大丈夫だよ」って。どこ立ったらいんですかって言うから、「今までのところに立ってればいいよ」。え、いいんですかって言うから、「何も変わんないよ」って。そうすると、よかった〜って感じだよね。
 だから自分のなかの整理がある程度できてこないと、このグルグルを取り去って立ち位置を変えることって難しいだと思うんだよね。
大嶋 「あなたは悪くない」っていう言葉を、どのタイミングでどういう状況の人に投げかけるかってことを考えないと、言葉だけが独り歩きしてしまうんだね。
(249〜250ページ)

たぶん、当事者に接したことのある人は、よくわかる話ではないでしょうか。もちろん、性虐待に会った人は「悪くない」のだけれど、かならずしもそれを伝えることで、相手が「あ〜よかった」と思うとは限らない。それはコミュニケーションだから、当たり前のことなんだけれど、「性虐待にあってる人を前に、なんて言ったらいいのか!」というときの常套句として「あなたは悪くない」が流通してしまっている面もあります。「あなたは悪くない」をどう伝えるのか、はとても難しい問題です。

中井久夫「こんなとき私はどうしてきたか」

こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく)

こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく)

精神科医の中井さんが、エッセイ調で支援について述べた本です。「希望を処方する」という言い回しにあるように、病気を得た人が、そこからどう生きていくのかにつなげていくような視点があります。今年は震災もあり、中井さんの本が再注目される機会もありました。私も真っ先に、中井さんの本を取り出しました。

「【震災】トラウマケアに関する読みもの」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20110314/1300092512

私が好きなのは「『安心して治れる』ために」という項から始まるエピソードです。ここでは、「長男の嫁」としての重圧で、心身症になった女性の話が出てきます。中井さんが、重圧がかかる間、女性を実家に帰省させると、病気はよくなりました。それについて、次の「病気と治療の政治学」の項で、中井さんは次のように言います。

 これが仮病でなく心身症、つまりからだが悶え叫んでいるのはおわかりと思います。医者のなかにはこれを「疾病利得」といって毛嫌いする人もありますが、「疾病利得と正面からたたかって勝ち目はない」と断言してよいと思います。
 「せっかく病気をしたのだから少しはいいこともなくちゃ」と私は言い換えます。こう言い換えることによって、誰も損をしない状況に変えることができます。「疾病の政治学」があり、治療の政治学」があります。病気自身も独自の政策(ポリシー)があるように行動します。医療者にも政治学が必要です。
 統合失調症でない例をあげたのは、深刻身が少なく、わかりやすくもあるからです。よくみると皆にかわいそうと言われ、憐れまれ、やっかい扱いさえされている患者さんが、じつは家族がバラバラになることを防ぐキーパーソンの役を演じていることが少なくありません。そして当の患者さんは、そのことを重々知っていることが少なくないのです。「だから安心して治れない」と。自分が病気であるあいだは両親が離婚しないと考えて耐えている患者は決して少なくありません。(176〜177ページ)

井上理津子「さいごの色街 飛田」

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田

この本もまた改めて取り上げたいと思っています。「売春行為」が行われていると広く知られながら、温存されている飛田の料亭について、女性のルポライターの井上さんが、なんとか取材しようと奮闘して書いた本です。飛田と言えば、「カメラを出したら怒られる」ので有名で、ちょっと変わった情緒を残す街として観光地のように訪れる人も増えています。しかし、内部の事情については、ほとんど明らかにされていません。
 井上さんは、飛田の料亭組合とも掛け合い、飛田の歴史や実際に街で生きる人々の生活を明らかにしようとします。けれど、かなりの苦戦。飛田で働く「女の子」にはほとんど接触できず、断片的に話を聞くことしかできていません。むしろ、元料亭の一人息子で、居酒屋を営む原田さんの話が一番まとまっています。飛田に生まれ、飛田で死ぬのだ、と言う原田さんは、料亭組合でのトラブルで、最後に飛田から出ていかざるをえませんでした。元料亭の建物の「あかずの間」のエピソードなど、過去に相当なことがあったことを示唆する話もありました。
 売春をヨシとせず、買う男に共感もできない井上さんのルポは、その地の貧困にも目を向けています。ブックファーストで平積みになっており、売れているようです。

パウロ・コエーリョアルケミスト

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

まったく関係なく、目にとまったから読み始めて、えらく熱心に読んだ小説です。羊飼いの少年が、託宣を受けて宝物を探しに砂漠に旅に出ます。そして、錬金術師と出会い、砂漠をわたっている中での次の一節を。

 さらに二日の間、二人は黙ったまま砂漠を渡った。錬金術師は前よりもいっそう、注意深くなった。最も激しい戦いが行われている場所に、近づいていたからだった。進みながら、少年は自分の心に耳を傾けようと努力した。
 それはやさしくはなかった。最初は、彼の心はいつも物語を語ろうとしたが、今はそうではなかった。彼の心が何時間も、悲しみを話続ける時もあった。また、他の時には、彼の心は砂漠の日の出を見て感傷的になり、少年は涙をかくさなければならなかった。宝物のことを少年に話す時、彼の心は早鐘のようにどきどきしていた。少年が砂漠の限りない地平線を眺めてうっとりしていると、彼の心はゆっくりと脈打っていた。しかし、少年と錬金術師が沈黙している時でさえ、彼の心は決して静かにならなかった。
「どうして僕たちは自分の心に耳を傾けなければならないのですか?」その日、キャンプの支度をしたあと、少年はたずねた。
「おまえの心があるところが、おまえが宝物を見つける場所だからだ」
「でも僕の心はゆれ動いています」と少年は言った。「心は自分の夢を持ち、感情的になり、砂漠の女を思って情熱的になります。そして僕にいろいろなことを質問し、僕が彼女のことを考えると、何日も僕を眠らせてくれません」
「おやおや、それは良いことではないか。おまえの心が生きている証拠だ。心が言わねばならないことを、聞き続けなさい」
 次の三日間、二人の旅人は、たくさんの武装した男たちともすれちがった。そして地平線上にも、他の武装した男たちの姿を見かけた。少年の心は恐怖を語り始めた。そして少年に、大いなる魂から聞いた物語を話した。宝物を探しに行ったものの、成功しなかった男たちの物語だった。そのために、少年は時々、宝物を見つけられないのではないか、この砂漠の中で死ぬのではないかと考えて、こわくなった。またある時には、心は自分は満足した、夢と富を見つけた、と少年に告げた。
「僕の心は裏切り者です」馬を休ませるために止まった時、少年は錬金術師に言った。
「心は僕に旅を続けて欲しくないのです」
「それはそうだ」と錬金術師は答えた。「夢を追求してゆくと、おまえが今までに得たものすべてを失うかもしれない、と心は恐れているのだ」
「それならば、なぜ、僕の心に耳を傾けなくてはならないのですか?」
「なぜならば、心を黙らせることはできないからだ。たとえおまえが心の言うことを聞かなかった振りをしても、それはおまえの中にいつもいて、おまえが人生や世界をどう考えているか、くり返し言い続けるものだ」
「たとえ、僕に反逆したとしても、聞かねばならいのですか?」
「反逆とは、思いがけずやって来るものだ。もしおまえが自分の心をよく知っていれば、心はおまえに反逆することはできない。なぜならば、おまえの心の夢と望みを知り、それにどう対処すればいいか知っているからだ。
 おまえは自分の心から、決して逃げることはできない。だから、心が言わねばならないことを聞いた方がいい。そうすれば不意の反逆を恐れずにすむ」
 少年は砂漠を横断しながら、自分の心の声を聞き続けた。すると彼は心のごまかしや企みがわかってきて、それをそのまま受け入れられるようになった。彼は恐れをなくし、オアシスに戻る必要を忘れた。ある日の午後、彼の心が自分は幸せだと言ったからだ。「時々私は不満を言うけれど」と心は言った。「私は人の心ですからね。人の心とはそうしたものです。人は、自分の一番大切な夢を追求するのがこわいのです。自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。永遠に去ってゆく恋人や、楽しいはずだったのにそうならなかった時のことや、見つかったかもしれないのに永久に埋もれた宝物のことなどを考えただけで、人の心はこわくてたまりません。なぜなら、こうしたことが本当に起こると、非常に傷つくからです」
「僕の心は傷つくのを恐れています」ある晩、月のない空を眺めている時、少年は錬金術師に言った。
「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求しているときは、心は決して傷つかない。それは追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだから」
「夢を追求する一瞬一瞬が神との出会いだ」と少年は自分の心に言った。「僕が真剣に自分の宝物を探している時、毎日が輝いている。それは一瞬一瞬が宝物を見つけるという夢の一部だと知っているからだ。本気で宝物を探している時には、僕はその途中でたくさんのものを発見した。それは羊飼いには不可能だったと思えることに挑戦する勇気がなかったならば、決して発見することができなかったものだ。
(151〜155ページ)

私の心象風景と重なって見えて、引きこまれたんでしょうね。論文を書くのと、少年が宝物を探しに出かけるのは似ています。これで全部失敗かもしれないと思うし、こんなことはやめればいいのにと思います。そして、それを決めるのは全部自分です。その中で、発見することが豊かだと思うから、続けているように思います。

去年の10冊はこちら↓
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