「大阪に住んでいる18歳以下のあなたへ」(「となりの801ちゃん」)

 漫画「となりの801ちゃん」でおなじみの「801ちゃん」が、今回の大阪でのBL規制について、記事を書いています。

801ちゃん「大阪に住んでいる18歳以下のあなたへ」
http://indigosong.net/2010/04/post_246.html

となりの801ちゃん (Next comics)

となりの801ちゃん (Next comics)

 私は、801ちゃんと、ほぼ同じ世代だ。本屋にはBLが並んでいたし、同人誌即売会ではヤオイ作品が販売されていた。私が10代だった90年代には、ある程度こうした文化は、愛好者の中では浸透し、文通や即売会での交流を通して、「オタク友達」と趣味について語り合うこともできる状態だった。
 それでも、自分が「ふつう」であると思ったことはない。キモいと言われ、そう言われれば、確かにキモいのだろう、と思っていた。クラスメイトが、テレビドラマでヘテロの関係性を見て、興奮している中で、自分は生々しいセックス描写のあるヤオイにしか興味がないこと。抑圧されている、と思ったこともない。外側から、クラスメイトを眺めているような気分だった。「みんな、ああいうのが好きなんだな」と、理解し納得していた。そうやって、自分の世界に閉じこもることで、自分を守ることができた。無理やり、ヘテロラブロマンスの世界に合わせなくてすんだ。私にとって、ヤオイはシェルターだった。
 いま、実際に18歳以下の人たちが、どのような気持ちで、こうした作品を楽しんでいるのかは、わからない。普遍化はできないし、おのおの違う理由で愛好しているはずだ。私の場合は、ヘテロの枠組みから出ることのない、いわば「古い層」としてのヤオイ読みである。そうした価値観にとらわれず、ヤオイを楽しんでいる人たちもいるはずだ。
 それでも、私は、801ちゃんの記事を読んで、ふるえずにはいられない。

でも、あなたは、あなた自身に対して引け目を感じないでください。
自分の好きなものを好きな自分を、自分では否定しないでください。
そして何より、今回の事で傷ついたりしないで下さい。

私も、「18歳以下のあなた」に「大丈夫だよ」と言ってあげたい。歪んでいるのかもしれない。不健全かもしれない。でも、あなたには、傷つかないでほしい。傷ついたとしても、それはあなたが悪いのではない、と伝えたい。
 私は、やはり、性描写について、無批判ではいられない。ハードなヤオイ・BL作品を、子どもの目に触れる状態にしたままでよい、とも言い切れない。でも、それは黙って子どもの手から取りあげることで、解決する問題ではないはずだ。私は、とても矛盾した立場にある。子どもとのセックスの描写の、法規制に反対しながら、それらの描写の氾濫を批判する。子どもがヤオイ・BL作品を読むことを肯定しながら、否定する。本来、一義的に決められることではないからだ。個別的に、自分が何を読み何を読まないのか、子どもにどう関わるのか、について、個々人が考え、行動していくしかない問題だ。ただ、それで、「みんな好きにすればよい」とも言えないだろう。私たち大人は、個別的に性について考えながら、一つの社会を作っていかざるをえない。「私にとって性とは何か」と、「社会は性をどう扱うのか」との二つの問いを、つないでいくしかない。それは、本来的にアクロバティックな作業である。諦めてはならない。諦めることは、性についての自由を放棄することである。
 801ちゃんは「大人として慎重によく話し合って決めねばならないことだと思います。でも、今回は本当に唐突に、奪われました。とても許しがたい事だと思っています」と書く。この言葉の重みを、どれだけの大人が共有していけるのだろうか。規制の報道がなされるたびに、無力感に襲われる。私もまた、何ができるのだろうか、と打ちのめされる。それでも、諦めず、議論を続けるしかないのだろう。それが、何の役に立つのか、と聞かれても、私は答えられない。わかっていることは、考えることをやめ、「仕方ない」と受け容れていくことは、とても心地よく簡単だが、後戻りのできない道であることだ。