- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/04/10
- メディア: 新書
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雑誌「演劇人」の連載を、加筆修正したもの。私は、連載時に読んでいた。正直、多くの演劇人は「演劇人」なんて読んでないし、読んでたとしても、民主主義にはさして興味がない*1から、「もったいないなあ」と思っていた。新書になってよかった。
北朝鮮との関係において、「赦せ」(武装放棄*2せよ)という論を展開する。初めて読んだときは新鮮だったが、今は少し違和感もある。
大澤さんは、デリダの「赦し」の概念を引っ張ってきている。しかし、デリダの「赦し」とは、「<私>が<私>の敵を、<私>であるかぎりにおいて、赦す」ことしかできないような、「赦し」である。誰かに勧められて、赦すことは、すでに「赦し」ではない。すなわち、集団的に赦すことは不可能である。
大澤さんが「赦せ」と言ってしまった時点で、私は、私の名において北朝鮮を赦すことはできない、という感覚を持つ。大澤さんは「赦せ」と言明することにより、「赦し」の可能性を開いてしまった。大澤さんが言明した分だけ、「赦し」の不可能性のソリッドさは和らぎ、赦しやすくなってしまったのだ。そのぶん、「赦しえないものを赦す」という「赦し」の崇高さは減る。
政治的・実践的問題ではなく、思想的問題として、引っかかりがある。
ちょっと今、時間が無いので、取り急ぎメモ。できれば、新書版の議論を読んで再考したい。