同和問題と運動

 大阪人権センター*1が解体されるそうだ。

同和対策の象徴消える…大阪人権センター解体、入居団体移転へ

部落解放同盟大阪府連などが移転し、府が閉館予定の大阪人権センター部落解放同盟大阪府連などが移転し、府が閉館予定の大阪人権センター

 「大阪人権センター」(大阪市浪速区)に事務所を構える部落解放同盟大阪府連が今年4月にも、港区波除の民間ビルへ移転することが9日、分かった。センターに入居している府人権協会や府地域支援人権金融公社など約20団体も同時に移転する。センターは約40年前に大阪府が建設。同和対策事業が終了した後も無償貸与してきたが、耐震性に問題があることなどから、府が退去を求めていた。移転後、府はセンターを解体するといい、同和対策事業の象徴的な建物が姿を消すことになる。

(2010.1.9 14:27 MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100109/lcl1001091434005-n1.htm)

上の報道によれば、府連側のコメントは以下。

府連は「府からの一方的な退去要求には異議がある」としながらも、「部落解放運動はまだ行政依存体質から抜け切れていない。特別対策事業の終了により、部落解放運動離れが加速し、同盟員の減少につながっていることも否定できない。公的施設から退去し民間の施設に転居することで運動スタイルそのものを転換させたい」としている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100109/lcl1001091434005-n1.htm

 関西では2000年ごろから、灘本昌久*2が京都部落問題研究資料センター所長のポジションでありながら、解放運動の批判をしていた。所長の任を離れた今も、発言は続けている。最近、灘本さんはテレビにも出演しているようだ。*3


 私は、以下の本が印象に残っている。

部落の21家族―ライフヒストリーからみる生活の変化と課題

部落の21家族―ライフヒストリーからみる生活の変化と課題

この本では、1990年代に行われたインタビューの記録が、分析の素材として使われている。21家族57人の人びとへの聞き取り調査の結果である。膨大な語りの記録の書き起こしが行われたようだ。とにかく、現代を生きる当事者が、いかに多様であるのかの片鱗がうかがえる本だという感想を持った。
 だが、このたびweb上で、この本に対して、福岡安則*4から厳しい批判が寄せられていることを知った。

福岡安則「カテゴリー化しているのはどっちだ――『インタビューの社会学』と『部落の21家族』をめぐって――」
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/index-j.html

福岡さんは、調査・分析を中心に社会学を研究している。福岡さんは、この本で採用された聞き取り調査の分析とその方法を批判している。特に、インタビューによる調査がインタラクティブであることについての、注意が欠けていることが指摘する。インタビューされる人は、さまざまな思いを抱えながら語っている。「語られていることを事実としてみなす」のではなく、「なぜそのようなことに語るのだろうか」ということを、理解しようと努めなくてはならない。しかし、福岡さんによれば、この本では、「部落の人々の語り」の中から、共通する部分を断片的に抜き出され、「これが特徴です」というふうに提示されている。上のリンク先の中から、福岡さんが書評として発表した部分を、引用する。

書評 部落解放・人権研究所編,2001,『部落の21家族――ライフヒストリーからみる生活の変化と課題』解放出版社

 『部落の21家族』は,500ページを超す大著である.大阪府下の被差別部落8地区の21家族,計57人から生活史の聞き取りをおこなったまとめであり,分析の結果である.聞き取り,テープおこし,研究会での議論など,本書ができあがるまでに費やされた時間と労力が膨大なものであることは,すぐわかる.しかし,残念なことに,本書はわたしにとっては読みやすい本ではなかった.著者たちの採用した方法論が,わたしにはしっくりこなかったからである.

 まず第一に,著者たちは,「集団としての生活史」を浮かび上がらせることに主眼をおいたと述べているが,被差別部落を対象として「集団としての生活史」を描くというのは,どうすれば可能なのだろうか.わたしには,8つの被差別部落での「語り」をひとまとめにして分析することで,「部落の生活様式」の「特徴」を取り出そうとするのは,ムチャだし,やってはいけないことだと思われる.

 「被差別部落というカテゴリー」は「押し付けられた」ものである,というのが,部落差別を不当と考えるわたしたちの共通理解のはずだ.1985年に広島県でおきた差別発言事件で,差別発言をくりかえす女性とむきあった部落出身のMさんは,「部落だからこうだ,いうて型にはめられるもんは,なんにもない.部落だからこうだ,というのは,差別をされている現状があることぐらいしかないでしょう」と批判していた.わたしは,このMさんの言うことを支持する.

 「集団としての生活史」を描くということは,8つの部落を一緒くたにすることではなく――それは,「実体」として部落なるものが実在するという見方を採用していることになってしまう――,ひとつひとつの部落の暮らしぶり,生きざまを描くことだと思う.

 本書への批判ばかりを書いてきたが,中川ユリ子さんが書いた「自分のムラに対して違和感を表現するとき」の章は,読後感がスッキリしたものだった.それは,彼女が,語られたことを安易に「事実」として取り扱うのではなく,あくまで「語り」は「語り」として取り扱い,部落に暮らす人たちが「ムラの人々への批判や違和感」を語ってくれたのはなぜかをこそ,読み解こうとしたからだと思われる.こういった視点が共有されていれば,本書はもっと違ったものになっていたのではないかと惜しまれる.(福岡安則)
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/review2.html

また、リンク先では、ライフストーリー/ヒストリー研究で著名な桜井厚とのメールのやりとりも掲載されている。


 福岡さんの研究も、web上で読めるのだが、とても面白い。特にweb上で同和問題についてやりとりする人が興味を持ちそうなデータを発表している。
 まず、運動を支持する・しないを決定する変数はなにか、についての研究である。

福岡安則「部落問題をめぐるアンビバレントな意識――1998年度千葉県内3市町住民意識調査から――」
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/ambivalent.html

部落問題に対して「運動否定の意見」と「運動肯定の意見」を持っているのかについて調査したところ、一貫性を欠いたアンビバレントな意識を持っている人が6割以上いるという結果が出た。この研究では、「アンビバレントな意識を持つグループ」「運動支持グループ」「運動否定グループ」に、回答者を分類する。そして、どういった理由で、3グループのうちのどのグループに入るのかを、分析している。その結果のうち、属性の部分だけを抜き出しておく。

「運動支持」グループは,若い人(30代でその割合が高い),学歴の高い人(大学・大学院卒でその割合が高い)に多くみられる.

「運動反発」グループは,やや高齢層の人(50代でその割合が高い)に多くみられる.

 「運動反発」グループは,「社会啓発への参加経験」に乏しく,「社会啓発への参加意欲」も乏しい.たとえ社会啓発に参加しても,問題の理解を深める「プラスの印象」をもつことが少ない.

「極度にアンビバレント」なグループは,高齢層の人(70代でその割合が高い),低学歴の人(義務教育卒でその割合が高い)に多くみられる.

 次に、同和問題を知っている・いないことを決定する変数はなにか、という研究である。

福岡安則「『無知』と『差別する可能性』――1998年度千葉県内3市町住民意識調査から――」
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/ignorance.html

上の調査・分析を踏まえて、福岡さんは次のように書く。

 従来,ともすれば,“若い人たちには部落問題を知らない人が増えてきた.知らなければ,差別もしないはずだ”と考えられがちであった.このような考え方が,西日本に比べて東日本でいつまでも学校同和教育の取り組みが消極的なままに推移していることの大きな原因となっていたと思われる.しかし,以上の分析の結果は,むしろ,部落問題を知らないからといって,結婚問題で差別はしないという保証はなにもないこと,また,目の前で差別発言がなされても見過ごしてしまいがちであることを示している.それだけでなく,パーソナリティのありようにかんしても,いくつもの特徴がみられた.

 それから、同和問題からは離れるが、福岡さんは論文に書き方について書いた文章もwebで公開している。

福岡安則「レポート・論文の書き方(簡略版)──わかりやすい文章を書くために──」
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/ministyle.html

読みながら、とても耳が痛かった。*5

 ところで、先日、関東に旅行に行った。どことなく関西と風景が違うような気がしてずっと考えていたのだけれど、途中で気づいた。「スローガンの看板」がないのである。関西に住んでいると、あちこちに「守ろう人権、なくそう差別」だとか、「人権宣言のまち○○」だとかの看板が、あちこちに立っている。特に意識化することもないほど、見慣れた風景である。もちろん、看板があるから差別がない、ということはありえない。だが、こうしたスローガンが日常的に可視化されているというのは、全国共通ではないのだ、ということは念頭に置いておいたほうがよいと思った。*6
 また、私は一時期、大阪に住んでいた。近所の人権センターの図書室にはよくお世話になった。大きな道路に面したセンターの建物には、「身元調査を許さない」という垂れ幕がかかっていた。そして、図書室の利用者登録をするときにも、当然のごとく身分証を求められなかった。公共図書館の多くでは、身分証を提示することなしに、利用者登録をすることができない。それには多くの理由があるし、今すぐに身分証提示を廃止することもできないだろう。だが、身分証提示を求めずに、運営されている図書室は確かにあるのだ。もちろん、人権センターでは識字教室が開かれ、子どもの託児などの活動も行われていた。

*1:http://www.osaka-jinkencenter.jp/

*2:http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/

*3:修正済み。灘本さんが所長を務めていたのは2000年から2004年です。誤解を招く表現であるとの指摘をブクマコメントでいただき、表現を修正しました。

*4:http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/index-j.html

*5:この記事じたい……

*6:関東の人に「同和ってなんですか?」と聞かれて衝撃を受けた。え〜?あ〜?は〜?と思うんだけど、相手は(調査にもあるが)本気で知らないだけ、だと理解するまで時間がかかった。