言いがかりの付け方

 哲学者を萌え少女のキャラクターに造形しようという企画があって、面白く読んだ。
哲学者を萌え擬人化しよう!
分析哲学はよく知らないけど、ここが吹いた。

セカイ系同人マンガを描きまくってるグッドマンたん*8

部活間予算争奪合戦に頭を悩ます生徒会長ローティたん*9

夢見がちで移り気なパトナムたん*10、の3人で、ネオ・プラグマティズム三人娘。

特にローティー

 それはいいのだけれど、コメント欄での議論で少し疑問がわいた。id:Brittyさんが次のように書いている。

いやでもフェミニズム哲学で「哲学の男性的性格」があんだけ批判されているのにそういう男性目線で哲学を語るというのはどんだけ無神経なんだろうというのが第一印象なのは事実です。

それに対してid:kugyoさんが次のようにレスポンスしている。

確かにファロゴセントリスムがもろに出た結果になっていますが、擬“人”化と言いながらほぼすべてが女性キャラになるのは、むしろいままでネット上で行われてきた“萌え擬人化”の汚点だと思います(だからそれ以前の問題ですよね)。
ただ、哲学者や批評家としてではなく、私的な場で遊びとして行われていることである以上(ですよね? >皆様)、そんなに目くじら立てることでもないのかな、と思います。
むろん私的なことこそ政治的なので、フェミニズムはそういう点をも批判していくわけですが、そういう戦略はじつは、フェミニズムの意図することを達成できない戦略なのではないでしょうか。
なぜなら、ファロゴセントリスティックなこういう営みに対し、単にバッシングを目的としてバッシングするだけでは、「また糞フェミどもがくだらんケチを……」となるだけで、フェミニズムの重要な議論のほとんどが知られずに終わってしまう。それよりは、一見バッシングに見えない、ともすれば相手に迎合するような言説を立てながら、そのなかにフェミニズム的思考の萌芽を忍び込ませ、批判したい言説の受容のされかたや今後の流れを変えてしまう、という戦略のほうがよいと思います。いや、もはや萌芽では遅い、男根主義者には我々の議論など知らせぬまま滅んでもらうべきだ、という論者もいますが、それではフェミニズムの目的は達成されても、フェミニズム的思考によって救えるはずの、抑圧されたほかの人々が救われない。だからたとえば……

ここで、「イリガライたん」みたいな例をさらさら書くことによって上のエントリを脱構築できるとかっこいいんですが、エクリチュール・フェミニンには残念ながらあたくしあまり精通しておりませんので、このへんで言語活動を投げすて場所を譲りたいと思います。(うまくいったかな?)

フェミニズム的思考は、抑圧された人を救うためになされるはずかどうかは別にして*1、相手には「一見バッシングに見えない、ともすれば相手に迎合するような言説を立てながら、そのなかにフェミニズム的思考の萌芽を忍び込ませ、批判したい言説の受容のされかたや今後の流れを変えてしまう、という戦略」を求めながら、自分は相手のフェミニズムを、ばりばりとバッシング*2するのはナンセンス。
 これまでのフェミニストの戦略がうまくないところもあっただろうし、それを批判するのは大切だと思うが、「じゃあ、あんたこそうまくやってみせなさいよ」といつも思う。*3もし、これが釣りでブッチなフェミニストキャラに、ブーツのヒールの踵で踏みつけられるのが望み*4だったのなら、引っ掛かりましたとしか言いようがないけど。

*1:私はそういう認識はないなー。「抑圧されたほかの人々」って、誰よ?というかんじ。「どこかにいるかわいそうな人」を救うのではなく、ここにいる「私とあなた」が何をするのか、について考える思考のはず。

*2:だと思ってないんだろうか?

*3:自戒をこめて

*4:こりゃあまた、偏った典型例だけどさ。