「中部ヨーロッパにおける諸宗教間対話」
2008年3月24日に同志社大学今出川キャンパスで行われた公開講演会に参加してきた。講演者は、チューリヒ大学神学部教授のサムエル・フォレンヴァイダー(Samuerl Vollenweidar)で、専門は聖書学だと自己紹介していた。フォレンヴァイダーさんは、自分は宗教社会学者ではないとしながら、社会学的分析を交えながら、スイスの宗教情勢について話した。*1
スイスでは、フランスやオランダほどではないにしろ、教会離れが進んでいる。教会の規則から解き放たれる人たちが増え、主要なプロテスタントやカソリックの教会に所属している人は年々減少している。代わって、イスラム教は増加し、無所属(affiliation)は1970年から2000年の間に10倍になった。これは社会情勢と直結し、人口動態や移民、学歴化などが理由にあげられる。宗教の多元化とも言うべき状況が始まっている。
一方で、フォレンヴァイダーさんは、スイス国民には超越的なるものが、残っていると指摘する。
従来の制度的宗教は、教義を厳格に定め、戒律を守らせてきた。しかし、昨今はuniversalな宗教概念、すなわちゆるやかな連帯を推し進めるための宗教概念が用いられている。
人々は教会の規範に順ずるのではなく、自分自身の生き方を、自分で考察し、解釈する。そして自己発見にいたる。そのときの素材として、宗教が用いられる。これは宗教の主体化である。
このような状況において、スイスの人たちは、宗教から好みのパートを自己選択していく。仏教や原子物理学、イスラム教や秘境神学などから、役立ちそうな部分を取り出し、コラージュする。そうやってできあがった自分の人生への意味づけは、一つ一つ違う個別なものであり、人生の中で変わっていく。これはパッチワーク・アイデンティティと呼ばれている。そして、スイスには、パッチワークのためのパートが集められたスーパーマーケット化しているような、社会状況がある。
しかしながら、これらの主体化・個別化の流れがあっても、なお「自分探しはコミュニケーションから生まれる」という側面が残る。存分に「自分探し」を安全にできるオリエンテーションの方向を維持するために、コミュニティへの参加が必要になる。「自分探しをすること」への指針こそが、宗教によって与えられ、コミュニティを保障されるのだ。
確かに、主要な教会に所属している人は減少しているのだが、宗教がなくなろうとしているわけではないことを、フォレンヴァイダーさんは指摘する。
さらに、トポロジーが紹介された。社会調査によると、スイスの人の宗教傾向は5カテゴリーに分類される。
(1)exclusive Christian(排他的キリスト教徒)(12%)
伝統的で、死後の世界を認め、宗教についてクリアーな見解を持っている。
(2)syncretic Christian(折衷的キリスト教徒)(24%)
意味のある人生を模索し、パッチワーク・アイデンティティを構築する。秘境的な教義を好み、女性の比率が高い。
(3)New religious(新興宗教)(24%)
キリスト教徒と距離をとっている。いわゆるニューエイジと呼ばれる。
(4)Religious Humanist(キリスト教的ヒューマニスト)(26%)
死後の世界は認めないが、キリスト教の人間像・超越的な存在は信じる。ニューエイジとキリスト教を足したような人々である。男性、年金生活者、保守層、ロータリークラブの人々が多い。
(5)irreligious(無宗教)(15%)
しかし、3分の2は教会に所属している。女性は男性の2倍である。
上記の結果は、疑わしいが、一つの座標は示していると考えられる。
さらに若者にはself-designという考え方が顕著である。これは「柔軟に選択できる」という規範を指す。現在に目を向け、不確かな未来について、豊富で柔軟なオプションを用意しようとする。同時に、義務(obligation)もよくわかっている。男女平等、身体文化への配慮、夫婦間コミュニケーションの積み重ねなど、ネットワークを大切にしようとする。彼らは固定的(static)なコミュニティを否定し、制度宗教を否定する。この傾向に対し、トーマス教会などの活動が目立ち始め、よりゆるやかな、排除の少ないコミュニティを作る都市部の動きがあらわれている。
以上の講演を聴き、私が感じたのは、「信仰のためのコミュニティ」から「コミュニティの為の信仰」へと移行していることである。
従来の宗教観では、信仰を持つ人々が集まることで、コミュニティが形成されると考えられた。しかし、「信じるに値する宗教はあるのか?」というニヒリズムの蔓延した現代社会においては、このようなコミュニティ形成は難しくなっている。(日本であれば、支持政党の多様化=無党派層の増加*2を見ればよい。)
そこで、逆に、「コミュニティを形成可能な最低限の規範とは何か?」が問われる。「これくらいなら共有できそう」という最低ラインが引かれ、しかも流動的に変更されながら規範が維持される。この信仰のスタイルの延長線上に、AA*3の12ステップ*4なんかがあらわれているんじゃないかと思う。