告訴取り下げは珍しいものではない
しばらくネットから遠ざかっている間に、件の性暴力事件の当事者が、告訴を取り下げた。また、いろいろと勘ぐる人たちによる、悪者探しが始まっているようだ。id:muffdivingさんが以下の記事をあげている。
・・・えーと、性犯罪の被害者の告訴取り下げって決して珍しいもんじゃないんですね。残念ながら。
muffdiving「花岡信昭は
ホモ強姦魔6人に肛門掘られたほうがいいんじゃねえの?」『NC-25』(http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080301/1204456745)
ここから先に続く記事は、私が書きたかったこととほぼ同じである。(ただし、芸風があんまりにも違うので、ちょっと困った。)
前回書いた記事では棚上げしていた、日本の司法システムの問題である。GORDIASにこの件について書いたことがあるので、紹介しておく。
公判まで持ち越せる犯罪被害者は多くない。1999年の時点で窃盗の不起訴率は58.5%、交通関係業過*2の不起訴率は87.8%である。*3そして、犯罪人地件数は2000年で窃盗が65.5%、交通関係業過は25.0%を占める。もちろん、殺人や放火などのほとんどは起訴されるが、実際の刑事事件の総数を占める割合は決して多くない。
また、起訴か不起訴か、という判断は
検察庁検察官[追記コメント欄でご指摘頂きました。]に一任されており、被害者はその審査のあいだ大変不安定な心理状態におかれる。不起訴処分になった場合は、検察審査会に申し立てすることができるが、ここで起訴相当・不起訴相当の議決が出ても拘束力はない。つまり、多くの被害者は公判までたどり着くことができない。もっと言えば、性犯罪は親告罪であり、被害者が公判を求めなければならない。しかし、現在の日本の状況では、裁判を起こす中での二次被害は避けがたく、そのダメージも甚大であるために、多くの被害者が公判を断念する。こういう状況を生み出す社会情勢や司法システムは批判しなければならないが、被害者が公判を断念することはなんら批判されることはないし、「公判を多くすることによって社会を変えるべきだ」と外から強制されることがあってもいけない。