「演劇」と「労働」

 ここのところ、演劇の話題が続いている。演劇人が新型コロナウイルスの影響で公演や稽古を中止せざるを得ず、経済的影響が劇場、劇団、舞台の技術スタッフ等多岐にわたり大きいため、支援を訴えているのである。野田秀樹鴻上尚史横内謙介といった著名な演劇人が声を上ているが、いま、もっとも注目を集めているのが平田オリザである。平田さんは、その発言に対して批判が殺到し、炎上し続けていると言ってもいいだろう。

 特に議論を呼んでいるの、平田さんがNHKの「おはよう日本」で日本の政府による支援策の課題を指摘した点である。平田さんは、以下のように製造業と比較して、演劇に対する支援策の難しさを述べている。

製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たち(引用者注:演劇人)はそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。

「文化を守るために寛容さを」劇作家 平田オリザさん(NHK NEWS おはよう日本

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html

 以上で平田さんが指摘しているのは、産業構造が異なれば、経済支援のスタイルも変えなければならないということである。これまでの日本政府の経済支援は、主に製造業を中心としてモデル化されてきた。製造業の場合は、一時的に減産しても、インフラへの投資や商品開発、業務効率化などを通して増産することができれば、収益をあげることができる。そのため、政府の支援策も増産のチャンスを増やすような投資を助けるための、低金利融資や補助金のスタイルになりやすい。たとえば、経産省の施策の一つである「持続化補助金*1」はまさにこのスタイルであり、現在も新型コロナウイルスの影響を受けた事業者への補助金を増額している。他方、演劇をはじめとした芸術分野や観光業*2では、そもそも「増産」ということが難しい。そのため、「増収によるリターンを目指す投資」とは異なる支援策が必要だと言うのである。

 しかしながら、この平田さんの発言は「製造業」に対する無理解であるとして、厳しく批判されることになった。なぜならば、製造業はもちろん、あらゆる業界が新型コロナウイルスの影響で苦境に立たされている状況だからである。確かに製造業の工場の多くは自粛の対象となっておらず、稼働しているところも多い。だが、すでに工場で従業員での感染例は出ており、この状況で出勤して働かなければならない従業員は感染リスクに直面している。また、今後はウイルスの影響で世界的な不況に突入する可能性が高く、減収も予想される。従業員も今後、雇用が不安定になる不安も大きくなっているだろう。決して、新型コロナウイルスの状況が好転すればもっと儲けられるという楽観はできない。

 もちろん、平田さんも製造業を貶めるという発言意図はなかっただろう。しかし、この状況において、製造業の苦境を過小評価しているというふうに、ネット上で捉えるひとが多く激しい拒否反応が起きた。平田さんはこれらの批判に対して、次のように補足記事を書いている。

「NHKにおける私の発言に関して」

http://oriza.seinendan.org/hirata-oriza/messages/2020/05/08/7987/

 上の記事の中で、平田さんは自らの発言が製造業を貶めているというのは悪意的な切り取りによる解釈であり、実際には産業構造に合わせた支援策が必要だとしか言っていないと主張している。また、政府も芸術分野における支援策については検討中であり、今後の採用可能な異なる支援スタイルとして「座席稼働率をもとにした演劇人への支援策」の例示もしている。

 私は演劇は全くの専門外なので、詳しいことはわからないが、平田さんのこの主張はおおむね妥当なのだろうと思う。他方、私は専門外とはいえ、大学の学部生の時には演劇を研究し、文化政策についても興味を持って本をよく読んでいた。だから、平田さんの主張は「だいたいわかる」と同意するのであって、そうでない人に文化政策やアートマネジメントからのアプローチであることや、その意義は伝わらず、ただただ「批判を受け止めない人」であるという印象が強まったようだ。平田さんと批判者の間の話はあまり噛み合っていない。

 さて、平田さんの発言の意図や妥当性の話はさておき、「演劇人が製造業の人を見下しているのではないか」という疑念は、ある程度、多くの人に共有されているのではないだろうか。つまり、今回の平田さんの発言はきっかけにすぎず、もともと、演劇人は「労働者を見下しているのではないか」と怪しんでいたが、それが爆発したということである。では、なぜそのような疑念が広がっているのだろうか。

 この点について、姫田忠義『ほんとうの自分を求めて』を取り上げて考えてみたい。なぜなら、姫田さんはまさに「製造業」の労働者であったが、演劇の魅力に取り憑かれ、会社を辞めてしまったという人だからである。 

ほんとうの自分を求めて (クリエ・ブックス)

ほんとうの自分を求めて (クリエ・ブックス)

  • 作者:姫田 忠義
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 姫田さんは1928年に神戸で生まれた。姫田さんの父親は8歳から丁稚奉公をし、朝鮮半島へ船に乗って出稼ぎにいき、兵役を果たしたあと、ガス工場で70歳まで勤め上げて、結核で倒れて亡くなった。姫田さんは子どもの頃から父親に「遊び人(あそびど)になるな、働き人(はたらきど)になれ」と言い聞かされていた。ここで言う「遊び人」とは、無職の人やぶらぶら遊んでいる人、ばくち打ちなどに加えて、音楽家や画家、小説家なども含んでいる。当然、演劇人も「遊び人」であった。

 姫田さんは戦争が始まると16歳で少年飛行兵に志願し、軍隊に入った。そこでは上官に殴られ、敵襲がくれば死を覚悟した。また、地雷を抱えて敵の戦車の前に転がり出る対戦車肉弾攻撃の訓練もしていた。ところが突然終戦の知らせを受け、姫田さんは呆然とする。そして、故郷に帰ると兄の支援もあり神戸高等商業学校(現在の兵庫県立大学神戸商科キャンパス)に入学した。入試にある「デモクラシー」という言葉に面くらい、授業もまだろくにないので旅に出る。あまりの社会変化に呆然としながらも、哲学書を読み漁り、卒業論文では「価値とはなにか」について必死に書こうとするが書ききれずに卒業した。まだ勉強したいという気持ちはあったが、食うためにとにかく新扶桑金属工業(現在の住友金属工業)に1948年に就職する。

 姫田さんは研修で工場で働いた後に、労務課の賃金計算係に配属される。しかし、計算が苦手でよくミスをして周りの女子社員に助けてもらっていた。そんななかで姫田さんは、会社の演劇部の若い女子社員に「演出をやってほしい」と頼まれる。しかし、姫田さんは父親の影響もあり、芝居など大嫌いで、学校の演劇部も「なんてにやけたやつらだ」と思っていた。だから断ろうとするが「あんたは理屈いうさかい。理屈がいえれば演出ぐらいできるでしょ」という意味不明な理由で押し切られ、仕方なく引き受けることになってしまう。

 姫田さんは会社の演劇部に入ると、それまで「遊び人のすること」として嫌ってきた芝居の世界に魅了され始める。姫田さんはその理由は、誘ってくれたのが同じ会社働いている人々であり、かれらが「ひと一倍まじめな働き手」たちであることを知っていたからだという。姫田さんは以下のように書いている。

 そのひと一倍まじめな働き手たちが、昼間の仕事が終わり会社のクラブにあつまってけいこをはじめると、まったく人がかわったようになった。せりふのひと言、ひと言に敏感に反応し、笑い、泣き、おこった。そしてその感情の高ぶりが、けいこの外まではみだし、本気で笑い、泣き、おこった。勤務ちゅうにはぜったいに見せることのないはげしい感情の起伏だ。私はそれに目をみはり、心をうたれた。そして私自身も、そのはげしい感情のうずのなかにとびこんでいった。(116頁)

 姫田さんは、芝居を始めるまでは会社員として感情をあらわにしないようにして生活してきた。仕事に感情は邪魔だからだ。だがそうやって感情を抑制することで、感受性が鈍るのではないかとおそれるようになる。また、姫田さんは身の回りの人々が押し殺してきた感情を、演劇作品の中で代弁したいと考えるようになる。たとえば、職場で知らないうちに事件に巻き込まれ、仕事を失って悩み苦しむ弟の代弁を試みた。自分たちの置かれた状況を演劇を通して表現することの面白さにのめり込んでいくのである。

 その姫田さんの転機となるのが、会社内に発生していた「珪肺患者」を作品にとりあげようとしたことである。珪肺は製鋼業に起こりやすい職業病であるが、当時は法律で取り扱いが決まっていなかった。そのため、会社は社員が珪肺病であると訴えても、肺結核であると退けようとする。その珪肺患者と会社側の攻防戦が社内では起きていた。姫田さんはそこで「なんで珪肺とみとめてくれんのや! おまえらはわいを見殺しにする気か!」という声を聞いた。また、ほかの人からは珪肺患者が会社の診療所の医師に「会社がみとめてくれへんのはおまえのせえや! おまえが診断書を書かんからや! わいはおまえを殺すぞ!」と迫った話を聞く。患者の数は多くなかったが、その人たちの生命にかかわることとして姫田さんは重く受け止め、せめて芝居の中で代弁してあげたいと思うようになった。そのための台本を書き始める。ところが、そこで次の壁に直面した。

ひとつのことばが私の耳おくになりつづけていた。「わいはおまえを殺すぞ!」、珪肺患者が、診療所の医師にむかってなげつけたことばだ。このひと言に、どれだけふかい、重い思いがこめられていることか。おれが代弁しなきゃならないのはこれだ、これだけだ、と私は思った。そしてそのためには、舞台の上でこのことばをしゃべらせてはいけない、患者を演じるものがこのことばをしゃべれば、そのとたんに、このことばにこめられた思いのふかさが、重さがすっとんでしまう、ただのおしゃべりになってしまう、と私は思った。芝居の演技者は実際の患者ではない、だからどんなに真剣に熱烈に、演技者がその患者の気持ちになろうとしても、しょせんはまねをしているにすぎない。とするなら、こういうもっとも大事なことばをつかわないで、しかもこのことばのもっている思いのふかさ、重さをあらわす方法はないだろうか。幾晩も私は考えつづけた。そして思った。そうだ、医師を殺すことだ。ことばでしゃべらず、じっさいに(芝居のなかで)医師を殺す。そういう方法でしか実際の患者の思いのふかさ、重さをあらわせないと思った。(122頁)

 このように、姫田さんは苦しんでいる当事者が心から発した言葉を、他者が「演じる」ということについて、考えを掘り下げていったうえで「殺す」という表現に転化することに思い至る。これはまさしく演劇的な転化であると言えるだろう。当事者の声を代弁するだけであれば、シンポジウムを開いて活動家や研究者、支援者などが語ることもできるだろう。だが、姫田さんは、当事者の叫びとしか言えない「極限状態の言葉」を、他の人が代わりに語ることはできないと考える。だから、それを語るのではなく「実際に殺してしまう」という虚構の物語に書き換えるのである。それを演じることにより、当事者の「思いのふかさ、重さ」を表現しようとした。だが、姫田さんは次の壁に直面する。

会社の勤務がおわると寮にとんで帰り、書くことに熱中した。医師を殺す場面まではそうとうなスピードで書いた。が、そこへきたとたんにペンが進まなくなった。いざその場面になると、どうしても医師が殺せないのだ。私はあせった。「これは芝居や、絵空事や。現実の殺人とはちがうんや」、なんど自分にいいきかせたことか。だが、だめだった。たとえ絵空事のなかでも、私はどうしても人が殺せないのである。「なさけないやつやなあ、おまえは」、私は自分がはがゆかった。とうとう殺しの場面はやめてしまった。できあがったものは、患者や医師の真理をごたごたとしゃべるおしゃべり劇でしかなかった。「おれはなんで殺せなかったんや」、書きおわったあとも私はそう自分に問いつづけた。昼間の勤務ちゅうなのに、ぼんやり思いにふけっていることがあった。そしてあるとき、その昼間の勤務ちゅうに、はっと思いあたった。「そうや、おれはなにかに遠慮してるんや。それで思いきって書けなかったんや。なにに、だれに遠慮してるんや? 会社や! おれは会社に遠慮してるんや!」(122-123頁)

 姫田さんは、自分が「殺す」場面を書けないのは、会社に遠慮があるからだと思い当たる。もちろん、自分がこんな脚本を書いたことで批判されるおそれもある。それに、会社の演劇部の作品であるから、演じた同僚も批判されたり、社内の立場が悪くなったりするかもしれない。姫田さんは自分がそうしたことをおそれていることに気づく。そして、次のような心境に陥る。

「こんなことじゃ、おれは思いきった芝居が書けへん。いや、芝居が書ける書けんの問題やない。おれが思いきった自由な考え方、生き方ができるかでけへんかの問題や。こんな右を見、左を見しているような生活をつづけていたら、おれはきっとあかん人間になってしまう」(124頁)

 姫田さんはこのように思い悩むようになる。先輩からは「なれ」の問題だと言われるが、このような生活になれてしまっていいのかとさらに逡巡する。そして、もっと生きている実感を得たいという気持ちはますます強くなり、ほかの事情も重なり、退職して東京に出て演劇をやって暮らしていくことを決意する。ところが、会社の上司は頑なに退職願いを受け取らず、阻止しようとする。その上司は与謝野鉄幹と晶子の子どものうちの一人だった。ついに姫田さんの退職が決まった後、この上司はのみ屋でこんなふうに語った。

「君、芸術家というのはよくよく貧乏を覚悟せなあかんぞ。おれはそれをよう知っとる。おれの親はもう徹底的な貧乏やったからな、おれにはそれがこたえた。芸術家になんかになるもんかと思うた。それで君をそういう道にすすませとうなかったんや」「住友には川田順歌人)や源氏鶏太(小説家)がいる。みんな会社につとめながらやってる。君もそうやれ、とおれは思うてた」「これからの日本は、おれの親の時代のようにこじきしてても食えるというようにはいかんとおれは思うてる。戦前までの日本は、十年周期ぐらいで景気がようなったりわるうなったりしよった。それでおれの親のようなひとでもなんとか食えよった。けど、これからはちがう。この会社にしても日本全体にしても、これからさきどう生きのびていったらええか、考えてみればお先まっくらや。そんな時代に、おおそうか芸術家になるか、しっかりやれ、いえると思うか」(139-140頁)

 上司は芸術家の家族に生まれ、現実を知っているからこそ、姫田さんを止めようとした。この上司の言葉に頷く人が、現代では多いかもしれない。これは1953年ごろの話である。経済的に先行きが見えない社会で、若者が芸術家になろうとするのを親心として止めようとしたのである。

 また、姫田さんの両親も演劇をやっていくことには反対した。父親は「遊び人」になることに怒り、母親は泣いた。また、姫田さんが高等教育を受けることを支援した兄も怒った。兄は学歴差別の中で苦しんできたからこそ、姫田さんを無理してでも進学させたのである。だからこそ、住友金属工業への入社は家族の誇りであった。姫田さんはこれらの家族の期待を裏切り、仕事をやめ、演劇のために東京に出ていくのである。

 その後、東京に出た姫田さんはどうなるのだろうか。ここから先の姫田さんの人生はさらにあちこちに転がり続けるので、気になる人はぜひ本を読んで欲しい。姫田さんは、アイヌの暮らしを記録したことで有名な映像作家であり、日本の映像人類学の先駆者であると位置づけられ、国際的にも高く評価されている。

 では、この姫田さんの話から何が言えるのだろうか。第一に、少なくとも1950年代には演劇人は「遊び人」であるとされ、冷ややかな視線が注がれていたということである。勤勉な労働者によって、芝居をして遊んでいるようなものは、唾棄すべき存在なのである。今でも日本社会では、汗水流して働くことこそが、人間にとって大事なことであるという規範は強く、勤労意識も高い。近年はワークライフバランスなどの言葉も取り沙汰され、「労働」と「余暇」、または「職場」と「プライベート(家庭)」の両方が人間には必要であるという主張も強まっている。しかしながら、まだまだ労働を重視する価値観は根強い。

 だが、姫田さんの話を見ていくと、まさに労働から表現の欲求が生まれているのがわかる。演劇部の活動で、ふだんは見られなかった同僚たちの人間としての生々しい感情の表現に触れ、自らも押し殺してきた感情を解放させ始める。また、身近な人や職場で起きている問題を、演劇の表現を通して代弁しようと試みる。姫田さんの話の中で、労働と演劇は全く切り離されていない。むしろ、労働の経験こそが、姫田さんの演劇作品を生み出しているのである。ここで、両者は繋がっている。

 その意味で演劇は、本来は労働者にとって必要なものでもあるはずだ。多くの人は賃金を得るために働く中で、自分を押し殺し、意に沿わぬ行為もせざるをない。たとえば、学校でのいじめであり、職場での差別であり、家庭内の暴力であり、近所でのいさかいであり……その息苦しさや抑圧を感じていたとしても、言葉にすることは難しい。その中で演劇を見ることは、自分たちの葛藤が舞台上で演じられているのを目にすることになる。舞台上の虚構の物語の中に入り込むことで、普段から抱えている、言葉にならないような何者かが語られ、俳優の演技によって解放されていくのを擬似的に体験できる。そのことにより、観客もまた生の実感が得られるのではないか。

 第二に、それでも演劇は労働者としての生活の規範を逸脱しうるということである。もし、労働者演劇こそがすばらしいとすれば、姫田さんの退職を止めた上司のように、働きながら芸術を続ければよかった。だが、姫田さんは労働の中で自分の生きる実感は奪われていき、感受性が鈍り、「あかん人間になってしまう」と感じるようになる。だから、姫田さんは職場をやめてしまうのである。そして家族の期待を裏切ることになる。

 労働者としての生活を守るためには、珪肺病の問題も見なかったことにして、職場の仕事を感情殺して淡々と行うべきだろう。だが、姫田さんは演劇を通してそれができなくなっていく。目の前にある問題を代弁し、その当事者の思いのふかさ、重さを表現したいと考えるようになる。だが、それを決行すれば労働者としての生活は破綻してしまうかもしれない。そのため、姫田さんは演劇と労働のどちらかを選ぶしかなくなって、仕事をやめてしまう。その意味で、演劇は労働を否定するものになり得る。

 その意味では、演劇人は現代社会の「生贄」であるとも言えるかもしれない。観客となった労働者は、客席から演劇を観ることで、「生の実感」を擬似体験することはできるが、実際の労働者としての生活は失わずに済む。演劇人が安定しない経済状況で、作品生活に魂を削って打ち込むことで、労働者はその成果を対価を払って受け取ることができる。だからこそ、演劇は社会で必要とされるのではないだろうか。ふだんは心を殺して働かねばならないとしても、劇場に行き、生の実感を得て擬似的に解放される。その倫理的善悪はおいておくとして、それは(今よりもっと)多くの人たちが求める経験になり得ると思われる。

 第三に、では日本の演劇は実際に、そのような社会の問題に向き合うような作品を制作しているのだろうか。また、そのことを姫田さんのような水準で語れるのだろうか。私はこの点についてはまったくわからない。そもそも、私が第一と第二に述べたような演劇への期待は、実際の演劇人の実情とはかけ離れたもののようにも思う。姫田さんの本が出版されたのは1977年であり、今よりずっと実存の悩みが真剣に取り扱われた時代である。また、私はロスジェネ世代にあたり「自分探し」世代でもあるので、姫田さん本の表題にある『ほんとうの自分を求めて』というテーマは共感するが、現在は「本当の自分なんてない」というニヒリズムのほうが優勢である。私は姫田さんの言葉は深く受け止めるし、心が動かされるが、それが今の演劇にそぐう話題であるのかわからない。ただ、世代にかかわらず、このような姫田さんの語る演劇の経験こそが、心に刺さり、演劇に引き付けられる、という人も一定数はいるように思う。

*1:「持続化給付金」が最大200万円を給付し、その使用目的を問わないのに対し、「持続化補助金」は最大50万円(新型コロナウイルスの影響がある場合は100万円)を、設備改修、商品開発、業務効率化などに対する投資を補助する。補助金の書類では新型コロナウイルスの期間を増産に向けた「助走期間」であるとみなすことが推奨されている。

*2:しかしながら、「持続化補助金」では宿泊業への補助の強化は明記されているので、経産省側では観光業でも増産が可能だとみなしているということだろう。実際に、Wi-Fi環境の整備や多言語対応、会計処理の整備等で補助申請をする観光業の事業者も多いと思われる。