日本社会における「女性に対する暴力」は少ないのか?

追記:
以下のサイトで最初は「ジェンダー社会学者」という肩書きになっていたのですが、「フェミニスト」にご変更いただきました。

日本では女性への暴力は少ないと言う調査結果に困惑するフェミニスト
http://www.anlyznews.com/2018/10/blog-post_29.html


 昨日、龍谷大学で行われた犯罪学のセミナーに参加してきた*1。テーマは日本社会における「女性に対する暴力」で、2016年に行われた統計調査をもとに分析がなされるということで、大変楽しみにしていた。報告者は、調査を実施した一人である津島昌寛氏で、直接、その報告を聴くことができた。概要については、以下のサイトからワードファイルでダウンロードできる。

龍谷大学社会学部 津島昌寛教授と法学部 浜井浩一教授が女性に対する暴力被害の実態として「女性の日常生活の安全に関する調査」(2016)の調査結果を発表
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-860.html

 これは、EUが実施している「女性に対する暴力*2」の日本版調査である。同様の調査を日本で行うことで、「女性に対する暴力」の国際比較研究ができることになった。非常に重要な調査である。EU版の調査結果は以下のサイトで閲覧できる。

Violence against women survey
http://fra.europa.eu/en/publications-and-resources/data-and-maps/survey-data-explorer-violence-against-women-survey?mdq1=theme&mdq2=3506

 このセミナーで、私は一点だけ疑問を持ったので、そのことをメモがわりに書いておきたい。津島さんの分析では、日本社会において「女性に対する暴力被害は、EUと比較すると、少ない」と結論づけている。その点については、調査概要のワードファイルにも以下のように記されている。

女性に対する暴力被害は、EUと比較すると、少ない。暴力の形態に限らず,EUのほぼ半分である。
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/archives/001/201708/記者発表の概要.docx

 確かにデータ自体では、日本社会で暮らす女性が性暴力やDVを受けていると回答する割合が低い。しかし、性暴力やDVの問題で、重要なのは「暗数」である。
 たとえば、EUの調査のデータを見ると、「女性に対する暴力」の割合は、北欧・フランス・ドイツなどのいわゆる「先進国」では高く出て、東欧などの「発展途上国」とみなされる国は低く出る。では、前者は「女性に対する暴力」が蔓延している社会なのだろうか。こういうデータについては、通説として、女性の人権が守られ、十分に性暴力やDVの知識が広まっている国では、被害者が「自分は暴力を受けている」と認知するのがたやすくなる。他方、性差別が強く性教育が行き届いていない国では、被害者が自分が暴力を受けていてば、それに気づかず、「暴力であること」自体を認知できない。つまり、「自分は不当に扱われている」ということを自覚しにくいのである。そのため、「女性に対する暴力」の割合が高い国は、「女性に対する暴力」についての情報発信や支援制度の樹立が進んでいると解釈されるのである。
 これについては、津島さんはEUのデータについては、私と解釈を同じくしていた。そうであるならば、「女性に対する暴力」の割合が低く出る日本もまた、暴力の実数が少ないのではなく、「女性に対する暴力」についての対策が遅れている国ということになるはずだと、私は考える。そして、その認識については、多くのDVや性暴力の被害者支援に関わる人たちは肯首するだろう。
 何をもって「進んでいる」「遅れている」というのかは難しく、DVや性暴力は文化や社会構造の影響が大きいため一概に「こういう対策を取るべき」だとは言えないが、北欧・フランス・ドイツなどの「女性に対する暴力」の割合が高い国に比べて、日本の対策が十分だという人はほとんどいないだろう。日本にはレイプクライシスセンターも少なく、被害者の支援をする専門家の数も足りず、刑務所の加害者治療のプログラムは始まったばかりであり、DVについては加害者を拘束するための実効的な法制度が乏しい。私は「女性に対する暴力」については「日本は発展途上国である」と認識されたとしても、異論はない。
 私のその指摘に対して、津島さんは、日本の調査では女性が「自分の被害」だけではなく「身近な人の被害」についても「聞いたことがある」と答える割合が低いことから、日本社会においては「女性に対する暴力被害は、EUと比較すると、少ない」ことが裏付けられると説明する。調査概要のワードファイルには以下のように記されている。

4人に1人の女性が、親戚・友人など自分の周りで、DVの被害にあった女性を知っている。23%の女性が、親戚・友人など自分の周りで、DVの被害にあった女性を知っている(図17)。先の自分自身の暴力被害の申告(被害)率にくわえて、EUと比較すると少ないことから、日本における女性に対する暴力の被害がEUよりも少ないことが読み取れよう。
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/archives/001/201708/記者発表の概要.docx

 その理由として、津島さんは、暴力を受けている女性は、自分自身の被害については話すことが難しくても、他人の被害であれば話せるはずであることを挙げていた。だから、日本で暮らす女性が、自分の被害だけではなく、他人の被害についても身近に聞いた経験の割合が低いことは、「女性に対する暴力被害は、EUと比較すると、少ない」ことを裏付けるとするのである。
 しかしながら、以下の三点によって私はその解釈は採用できないと考える。
 まず一点目は、論理的な理由である。「自分の被害経験を話す女性が少ない」ということは、「周りの女性が他人の被害経験を耳にする機会が減る」ということである。性暴力やDVの特徴は、多くが密室で行われ、証人がほとんどいないことである。(このことが裁判での立証を難しくしている)そのため、被害を受けた女性本人が話さなければ、周りはその人に何がおきたのかを知らない。だから、論理的に考えると、「自分の被害経験を話さない」社会であることは「他人の被害経験を聞く機会が少ない」社会であることである。ここから、このデータからは「女性に対する暴力被害は、EUと比較すると、少ない」のではなく、「女性に対する暴力被害への対策がEUに比べて日本は不十分である」という結論が導かれることになる。
 次に二点目は、実態的理由である。「暴力を受けている女性は、自分自身の被害については話すことが難しくても、他人の被害であれば話せるはずである」ことを裏付けるデータは全くないことである。そもそも性暴力やDVの知識が十分にない人は、自分であっても他人であっても、おきている事態が暴力であることに気づかないだろう。苛烈な環境で生まれ育った女性が、自らの周囲は暴力に満ちていたが、それが当たり前すぎて暴力であると気づいていなかったと語ることは、支援現場ではよくある。そういう状況にある女性は、身近な女性が暴力について語っていても、それが暴力だとは気づかない。その結果として、今回の調査でも「身近な女性が暴力に受けているところを見聞きしたことはない」と(他の人が見ると見聞きしていると認識するにもかかわらず)答えている可能性がある
 さらに、暴力には「否認」の問題がある。自分の身に起きたことを暴力であると認識することで、被害者は精神的に厳しい状況に追い込まれることがある。そのため、被害者は意識的または無意識的に「これは暴力ではない」と思い込む。その結果、自分に起きた暴力も、他人に起きた暴力も、暴力と認識されない。今回の調査でも、そういう状況にある女性は「身近な女性が暴力に受けているところを見聞きしたことはない」と回答している可能性がある。(付け加えると、この「否認」は暴力を受けている人が用いるサバイバルスキルの一つであり、否定されるようなものではない)
 最後に三点目に、統計的な理由である。もし、身近な女性対する暴力を、女性が耳にする機会が少ないというデータが、「女性に対する暴力」の実数が少ないことを裏付けられるならば、それは国際比較調査によって実証されなければならない。つまり、「女性に対する暴力」への対策が十分だとみなされる北欧・フランス・ドイツなどでは、「本人の被害経験」の割合は高いが、「身近な女性の被害経験を聞く機会」の割合は低くなければならない。それに加えて、発展途上国とされる国では、「本人の被害経験」の割合は高いが、「身近な女性の被害経験を聞く機会」の割合は高くなければならない。この比例・反比例の関係が成り立っているときに、日本だけが「本人の被害経験」と「身近な女性の被害経験を聞く機会」の割合が低いとすれば、その特異性の理由がさらに分析されなければならない。ここについては、FRAが公開しているEU版の調査結果では詳細がわからないので私は比較できなかった。
 以上の三点により、私は、「女性に対する暴力被害は、EUと比較すると、少ない」という津島さんの分析には賛同しない。
 しかしながら、これだけ踏み込んだ性暴力・DVの統計調査が行われたことは非常に重要であるし、ぜひこの問題に関わる人の間では共有していきたいと思う。

*1:セミナーはこちら→ http://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-2316.html

*2:この「女性に対する暴力(violence against women)という単語は、非常に問題があると思う。これは、女性以外の被害者や、同性間暴力の被害者を不可視化するからである。近年では英語圏では議論になっているはずだが、いまだにEUでこの調査が行われているのは驚いた