やまじえびね「ナイト・ワーカー」

 この単行本の5分の4は「微熱のような」という作品で占められている。文学少女の菜生が、美しい少女美冬に魅入られ、少しだけインモラルなセックスの世界に入っていく話だ。気だるくてお洒落だけれど害はない。「性の多様性を描いた」という形容が似合いそうな中編だ。
 だが、表題作の40頁ほどの「ナイト・ワーカー」は全く違っている。主人公のレンは、トップレスダンサーが踊るナイトクラブでウェイトレスをしている。そこに、幼少期に性的虐待を行った加害者が現れる。彼女の心は静かに動揺し、加害者の息子の少年を言葉で傷つける。レンは穏やかな日常を送っているかのように振る舞いながら、時折、傷がむき出しになる。言葉にできるような「癒し」も「解決」もなく、「不幸」も「苦しみ」もない。クロッキーのように彼女から見える世界が描かれる。支離滅裂でまとまりを持たず、すべてが浮ついて現実と遊離しているような世界だ。
 性暴力被害者にとって、まとまりのある「物語」を作ることは解決につながると言われる。私自身、そのことを肯定するし「語ること」は「回復につながる」という心理学の見地を否定しない。他方、「ナイト・ワーカー」のような、性暴力被害者の「物語にならない」断片を描いた作品の力を考える。
 どちらが良いというわけでもなく、一つの真実は、二つのやり方で表現されるということだと思う。私は前者の「物語の力」を信じながら、後者の「詩的世界」に希望を託す。