上祐史浩「オウム事件 17年目の告白」

オウム事件 17年目の告白

オウム事件 17年目の告白

事情があって読んだのだが、なんとも言えない本だった。
 上祐さんは1987年に出家し、オウム真理教の「麻原の高弟」として教団の幹部を勤めていた。1995年の無差別殺人事件、さらにはその前の阪本弁護士殺人事件も教団の犯行であると知りながら、広報部長としてマスメディアで真実を偽り、抗弁を繰り返した。「ああ言えば上祐」という言葉が流行ったほどである。
 しかし、教団の犯行が次々と明らかになる中、上祐さんも文書偽造の罪で逮捕され、実刑判決を受け服役することになった。釈放後は、「アレフ」と改名した教団の代表となり、改革を進めていくが、内部分裂。現在は、「ひかりの輪」という団体を新たに立ち上げ、「アレフ」を批判する立場にある。
 この本では、上祐さんの教団時代に実際に目撃したことや、関わったことをもとに、オウム事件の真相が証言されている。そして、教祖であった麻原への盲信を告白し、その間違いを明言し、自己批判をしている。総括を目的とした本である。
 オウム真理教の信者は「真面目な人」が多いと言われてきたが、上祐さんも真面目なのだろう。いちいち「これは私の麻原への盲信であった」「自分の誇大妄想がこのようなことをなした」と批判をしている。私は、これまでオウム真理教の起こした事件で、謎とされた部分をよく知らないので、証言の信ぴょう性についてはよくわからなかったが、とにかく逐一「麻原批判」「自己批判」をしていることはわかる。最後まで読んだが、上祐さんはこの本は脱会した信者や、「アレフ」にいる人たちに読んで欲しくて書いたのではないだろうか。かれらに伝えたい、という思いがあるように感じた。
 私はいわゆる「カルト」の問題には疎いので、余計にピンときていない。関係の人たちから話を聞いたことがあるが、どの人も「地獄へ落ちる」という恐怖から抜けるのが一番難しいと言っていた。「信仰をやめると、こんな恐ろしい目に合う」と繰り返し言い聞かされているため、信じていない人にとっては「ありえない」というようなことでも、本人は本気で恐怖の中で怯えてしまうという。上祐さんの本の中にも、「ひかりの輪」に、脱会後に、地獄に落ちてしまう恐怖の中、相談にくる人がいるという話が触れられている。ご本人の本の中での告白には、あまり書かれていないが、心から信じていた麻原を否定し、自己批判することは困難であり、それを自力でやってきた記録だと思う。
 ただ、その上祐さんが回帰するところが「親」「日本」なのである。教団には親子関係に問題を抱えて、麻原を父親代わりにしている信者が多く、自分もそうであったと述べている。その一方で、無理な出家によって、もともとの親子の絆は寸断される。しかし、親への感謝の気持ちを取り戻し、家族の愛に戻ることが必要だというのが、上祐さんの基本的な主張である。
 こうした親子関係と新興宗教の話は、芹沢俊介が繰り返し書いており、目新しいものではない。確かに、親に対する傷つきを埋めるために、宗教に救いを求めることはよくあることだ。しかし、それに対して、「内観をして感謝をしろ」というのは、あんまりにもイージーな話だと思う。私は親から虐待をされてきた人たちと出会ってきているので、こういう主張はより当事者を追い詰めかねないと思っている。一生、親を憎んでいて、かつ、幸せな人生もあるだろう。世の中には、子どもが感謝することに堪えない親はいる。それでも、なんとかやっていける社会のほうが、私はよいように思う。ただ、上祐さんは実際に、「ひかりの輪」をやっていてそう考えるわけなので、元オウム信者にとっては、こうした言説が必要だということかもしれない。
 同様に、植民地支配と戦後補償の問題を考えれば、まさに「日本」こそが「オウム」または「アレフ」の立場にあるのだから、簡単に「これからはオウム人ではなく日本人として頑張りたい」というような話は問題があると思う。上祐さんは、これから日本はアメリカ・中国と協力してやっていけばいいと言うが、その前にやることがあるように思う。上祐さんが改めて尊敬するという母親も、「日本人」として見るならば、補償を果たさない加害国民である。私は読みながらそう思う一方で、最後の対談で上祐さんが「麻原の預言の教義では、自分達が一番であり、米国もソ連・ロシアも他国は、獣の国として見下し、信用していないのです」というくだりを見ると、私とは違う文脈で話をしているのだろうとも思う。たぶん、まだ上祐さんは一般社会ではなく、オウムの元信者たちと生きており、そこから対話の道を模索しているということだろう(もちろん、私は「親」の話も「日本」の話も、まったく同意できないし、問題含みだと思っている)
 上祐さん自身も書いているが、オウム事件は終わっていない。補償は続けなければならないし、生活保護寸前であったり、高齢化したりする元信者を引き受けなければならない。一番、私の心に響いたのは金の話である。「ひかりの輪」は常に資金不足に悩まされている。上祐さんはここで、離婚した父親が養育費を支払っていたことを思い出し感謝するとともに、麻原のことも思い出している。

 また、誤解を招くかもしれないが、父親の労苦に気づいたあと、麻原に対して多少なりとも似た思いが生じた。父親同様に、麻原も、少なくとも教団の初期においては、私たちに隠しながら、扶養の上での苦労を抱えていたと思われることだ。
 1989年、高僧のカル・リンポチェ師の葬儀に際して、死期を悟った師が「お金のことを考えるのはもう終わり」と語った話を聞いた麻原は、その苦労は痛いほどわかり涙が出てきた、と機関紙の中で述べていた。
 こうした情緒的な話を麻原がしたことは、ほかに記憶がない。神の化身として、苦を超えた超越者のイメージを打ち出すのが常だったが、そのときの麻原に限っては、師の苦労が自分の苦労とだぶり、思わず書いてしまったように思う。
(略)
 こうした「人間・麻原」の苦労と苦悩は、「神の化身・麻原」という盲信を抜け出すためにも、今こそむしろ無視してはならないようにも思う。
(259〜261ページ)

私はこの部分は、この本で一番、生々しくて興味深かった。。また、著者印税は全額をオウム事件被害者への賠償へ充てると宣言されており、出版社から直接送られるようだ。被害者の苦悩は終わるものではない。松本サリン事件の被害者である河野義行さんは外部監査委員を勤められている。「ひかりの輪」は常に疑いの目を向けられ続けるだろうが、この本に書かれていることが真実であり、これからも賠償が続けられることを望んでいる。