グローバル化した市場の問題を無視したフェアトレード批判を始めると、大変なことになるかもしれない(メモ)
フェアトレード批判をしている、投資家の記事が話題になっている。
やまもといちろう「数字をきちんと読めない人がフェアトレードとか言い出すと大変なことになるかもしれない(メモ)」
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-8bfe.html
私は、どちらかというと経済の話題は苦手なのだが、あまりにもひどいフェアトレード批判なので、教科書的なことのみメモしておく。
事の発端は、堀江健太郎のフェイスブックに挙げられた、以下の図とコメントである。
この絵、学校教育としてきちんと伝えるべきだと思う。
突き抜けないとこの絵の底に溜まったコーヒーしか飲めないよ、ということを。コーヒー農家に限らず「一般的」な世界ではプレーヤーが違うだけで、個人に還元される利益はどこも同じような構造だと思うので。
俺はこういう構造に気付くまで多くの時間を要してしまったけれど、気が付いてからは違う目で世界を見ることができるようになったから。
こういうことを知ってるか知らないかだけで人生は大きく変わると思うし、少しでも若いうちにこういうことに気付き、自意識の高い人が生まれたら嬉しいな。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=3906564591039&set=a.2304578822396.135807.1487030623&type=1&theater
コメントに関しては、抽象的な感想だし、「自意識が高い」などよくわからない表現があるため、私もよいと思わない。しかし、問題はコメント部分ではない。先の図の中の商品価格の内訳について、やまもとさんは批判している。やまもとさんの記事の主旨は、上の図の90%以上となっているカフェ・小売業者・輸入業者の取り分は、設備投資や広告の費用であり、コーヒー農家が買いたたかれて、大企業がぼろもうけしているわけではない、ということだ。やまもとさんは、次のように書く。
そう考えると、冒頭で堀江健太郎さんが仰っているような問題意識はやや的外れで、むしろ「外食産業というのは厳しい競争を勝ち抜くために必要な設備投資や広告宣伝負担が大きいから、店舗展開を行ううえでの重しというのは実に厄介なのだなあ」というコーヒー豆全然関係ねえというような結論に本来達するべきなのです。
つまり、お前らが街角でお茶する代金の結構な割合は不動産賃貸料とコーヒーを煎れてくれる人件費、設備什器代です。店のブランドと環境でセレクトした結果、何十分か店舗内で潰す時間代と思っておけばだいたいあってるんじゃないかと思いますね。
教訓としては「突き抜けないとこの絵の底に溜まったコーヒーしか飲めないよ」という話ではなく、「駅前に不動産を持っている奴は有利な条件で貸し出しが出来て超有利」とかせいぜいそういう話です。
では、本当に、私たちは「駅前に不動産を持っている奴は有利な条件で貸し出しが出来て超有利」とか思っていればよいのだろうか。なんか、引っかからないか?私たちがコーヒー一杯ぶんのお金を支払って、コーヒー農家の取り分が3〜9円から15〜17円くらいだとしても、コーヒー農家は暮らせるのだろうか?
フェアトレードを考える上で重要なのは、スターバックスがぼろもうけしているかどうかではなく、農家が暮らしていけるだけの収入が保証されているのかどうか、である。フェアトレードジャパンのウェブサイトでは次のように説明されている。
コーヒー生産国のほとんどは、いわゆる開発途上国といわれる国々です。コーヒー豆の買取価格は、生産現場とは遠く離れたニューヨークとロンドンの国際市場で決められます。国際市場価格は変動が激しく、ここ最近はテレビなどでも報道されているように、投機マネーなどが流入し価格が高騰しています。しかし、マーケット動向の情報入手や市場への販売手段を持たない個々の小規模農家たちの多くは、中間業者に頼らざるを得ない状況にあり、時に生産や生活に十分な利益を得られず、不安定な生活を余儀なくされ、子どもを学校に行かせるだけの十分な利益を得られないということが起こってしまいます。
フェアトレードでは、個々の小規模農家がまとまり協働で生産者組合を作ることで、メンバー全員で生産能力を高める取組みをしたり、市場と直接つながり交渉力を身につけ組織を発展させていったり、フェアトレードの利益によって地域社会を発展させていくことができるようになります。国際フェアトレード基準では、生産者の持続可能な生産と生活を支えるために必要な「フェアトレード最低価格」が定められており、国際市場価格がどんなに下落しても、輸入業者は「フェアトレード最低価格」以上を生産者組合に保証しなければいけません。
http://www.fairtrade-jp.org/about_fairtrade/whyfairtrade/000045.html
上の文章をもう少し詳しく説明する。まず、コーヒー価格の変動をみてみよう。
上のように、コーヒー豆価格の上下の変動は激しい。こうした価格は、ニューヨークやロンドンの市場で揺れ動いている。小さな市場であれば、ある農産物の豊作であれば、たくさんできた作物を安く売ればいいし、不作であれば、少ししかできなかった作物を高く売ればよい。しかし、グローバル化した市場では、たとえば、大規模農場の多いブラジルでコーヒー豆が豊作であっても、小規模農場の多いエチオピアで不作であるとき、ブラジルの豊作は市場価格に反映されるが、エチオピアの不作は反映されない、ということが起きる。また、ブラジルのコーヒー豆が豊作であれば、より多くの中間業者はブラジルの農家からコーヒー豆を買い、エチオピアの農家から買わなくなるかもしれない。つまり、小規模農場が豊作か不作かとは関係なく、市場の価格や売り上げが決定される。そして、世界中にチェーンを持つコーヒーを提供する大企業は、こうして決定された価格のコーヒー豆を大量に買いグローバル化した市場を支えるのである。
以上のように、グローバル化した市場では、巨大な農場で安定した生産物を供給できる農家が有利であり、小規模の農場の農家は不利となる。実際に、コーヒーの市場を研究した調査報告では、次のような例が挙げられている。
タンザニア及びエチオピアの生産量は、世界の 4%と 0.6%を占めるにすぎず、両国の生産が先物価格に与える影響はほぼ皆無である。しかし、その生産者価格は、ニューヨーク先物価格に連動している。タンザニアとエチオピアの両国において、政府による管理的なコーヒー流通から自由化された 1990 年代初期から中期以降は、特にこの連動が明白である。辻村によれば8、大規模農園における機械による収穫が主であるブラジルでは、50 セント/ポンドのニューヨーク先物価格で生産費をまかなえるが、小規模農家による手摘みが主であるタンザニアでは、150 セントを超えて初めて一定の生活費が実現するという。50 セント/ポンドは常に実現しているが、150セントは数年に一度の高騰時以外は実現していない。近年、ブラジルの主たるコーヒー栽培地が北東部に移動しており、新品種の導入や灌漑整備、機械化も進んでいることから9、これまでのように霜害等が起こる可能性は低くなっており、ブラジルの不作により価格が高騰する可能性は今後低くなると考えられる。
プロマーコンサルティング「高収益農業研究 アフリカのコーヒー産業と日本の貿易・援助 −タンザニアとエチオピアのコーヒー産業及び輸出促進に対する支援策等− 」
(http://www.promarconsulting.com/site/wp-content/uploads/files/Coffee_Final.pdf)
上の資料によれば、そもそも、ブラズルのコーヒー農家と、エチオピアとタンザニアのコーヒー農家では、同じコーヒー豆でも生活していくために必要最低限の買い取り価格に差がある。そして、数年に一度しか、生活していくための売り上げを得られないという現実があるのだ。ここには、小規模農場を営むコーヒー農家の貧困がある。
では、フェアトレードでは、どうやってコーヒー農家の貧困に取り組むのだろうか。そのために、コーヒー豆の買い取り価格を、グローバル化した市場だけに任せず、農家の生活や生産維持に必要な資金から逆算する。それが「フェアトレード最低価格」の設定である。これには、消費者の発想の転換が求められる。商品に高品質・低価格を期待するのではなく、自分が買う商品を作っている人たちが、十分に生活・生産できる賃金を手にすることができることを期待するのだ。それは、従来の商品価値とは異なる、新しい「フェアである」という価値だ。消費者は、商品を楽しむことだけではなく、商品の作り手の生活保証と生産力維持に金を出す。
以上が、フェアトレードの基本的な考え方だろう。もちろん、フェアトレードにも多くの批判がある。まず一番に、フェアトレード商品にお金を出せるのは、もともと富裕層であり、結局は「富裕層―貧困層」の構造の固定化ではないかというものである。金持ちの免罪符や自己満足として機能するという側面がある。「先進国―発展途上国」「農産物生産者―消費者」などの関係性から、もっと根本的な構造変換が必要だという批判もある。二番目に批判されるのは、理念はともかく、実際に売り上げをあげていくには、安定供給や高品質をある程度両立していかなければならないが、品質改良や市場開拓などに必要な資本を、小規模農家が持っていないため、結局は競争力がなく絵に描いた餅で終わりやすい点である。そのため、生産者への技術支援なども同時並行で必要となる。
日本でのフェアトレードの普及は、西欧諸国に比べると芳しいとはいえない。
(http://www.fairtrade-jp.org/about_fairtrade/000018.html)
しかし、それでも日本でも、フェアトレード商品の売り上げは、年々、増加傾向にはある。
(http://www.fairtrade-jp.org/about_fairtrade/000017.html)
フェアトレード商品を買ったから、コーヒー農家の貧困が今すぐなくなるわけではない。フェアトレードのポイントは、「消費者として、私たちは誰から、どんな商品を買うのか」を考えるという視点を持つことにある。
私自身、安いチェーンのコーヒーショップで、コーヒーを飲む。いつも、フェアトレードのコーヒー豆を買うわけではない。そして、フェアトレードのコーヒー豆を買ったから、コーヒー農家の貧困が少しマシになったとも思えない。でも、フェアトレードに意味がないか、といえばそんなことはないのである。やまもとさんは、次のように言う。
で、これ。要するに「コーヒー農家はやっすい値段で商品を買い叩かれて、利益はコーヒーチェーンが持っていってぼろ儲け。そういうクソみたいなコーヒー農家の労働者になって搾取される側にならないよう教育すべき」という話ですね。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-8bfe.html
これは、そんな話ではない。「コーヒー一杯買う時に、消費者として、誰から何を買うことで、何が起きるのかを考えよう」という話が、この図から得られる示唆である。それが堀江さんの「俺はこういう構造に気付くまで多くの時間を要してしまったけれど、気が付いてからは違う目で世界を見ることができるようになった」の意味するところだろう。
まあでも、投資家がこんな市場の話を知らないわけもないだろう。やまもとさんは、わざとフェアトレードの歪んだ取りあげ方をして、批判を煽っているのかな、とも思う。数字を読むことは大事なのだけれど、その数字を生みだす背景を分析することが、数字に騙されないコツである。
記事を書いたあとに、フェアトレードジャパンの人の、上手な総説を見つけたので、私の解説より、こちらのほうがわかりよいと思うので、挙げておく。
「本当のおいしさは作る人たちの喜びから」
http://www.bun-eido.co.jp/t_english/ujournal/uj65/uj651519.pdf