「百合子、ダズヴィダーニヤ」

 浜野佐知監督の「百合子、ダズヴィダーニヤ」が全国ロードショーだそうです。

「百合子、ダズヴィダーニヤ」
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特に東京ロードショー(ユーロスペース)では、前売りの売り上げで上映期間が決まってしまうので、「ぜひ前売り券の購入を!」と浜野さん自らがTwitterで呼びかけてました。私は、以前、浜野さんのトークを観覧*1したことがあるのですが、「作った後の、上映会も自分で仕掛けてかないといけない」というような状況を話しておられて、心に残っています。
 浜野さんの紹介文はこちら。

浜野 佐知 はまの さち

1948年、徳島県鳴門市生まれ。
小学校から高校まで静岡県静岡市で育つ。日本映画の中の女性の描かれ方があまりにもステレオタイプだったことに疑問を感じ、上京して映画監督を目指すも、大手撮影所は「大卒・男子」が条件で入れず。その後、自主制作の短編を草月アートフェスティバルに出品するなど、創作活動を続けた後、ピンク映画製作会社・若松プロ若松孝二監督)に半年通い、ようやく助監督として雇われた。だが、一本目のロケ現場で揉めて憤激し、現場大宮から若松プロのあった原宿まで歩いて帰る。その後、同じくピンク映画の製作プロダクション青年群像で助監督やプロデューサー補の修行をし、71年『十七才好き好き族』で監督デビューを果たした。84年、自らの映画製作会社株式会社旦々舎を設立、代表取締役となり、監督とプロデュースを兼任。「性」を女性の視点で描くことをテーマに、総計300本を越える作品を発表している。
しかし、東京国際女性映画祭の記者発表(96年)で「日本の女性監督でもっとも多くの作品を撮ったのは田中絹代監督の6本」という公式発表があったことに、ピンク映画の300本はカウントされない現実を痛感し奮起。その後初の一般映画として、98年に『第七官界彷徨尾崎翠を探して』を自主制作。プロデューサー兼監督として、尾崎翠の第二次再評価のきっかけを作る。続いて01年に高齢女性の性愛をテーマにした『百合祭』(原作:桃谷方子)を制作。世界の多くの国際映画祭、レズビアン&ゲイ映画祭から招かれ、トリノ国際女性映画祭準グランプリ、フィラデルフィア国際G&L映画祭・グランプリなどいくつもの賞を獲得する。その後も継続して、日本各地で多くの上映会が行われている。
06年には鳥取県の支援を受け、再び尾崎翠の原作で『こほろぎ嬢』を制作&監督。短編3本を連作として構成し、翠文学のエッセンスを映像化した。この作品を発端に、09年には東京・駒場日本近代文学館で、川上未映子吉野朔実、木村紅美など斬新な顔ぶれによるシンポジウム「尾崎翠の新世紀〜第七官界への招待」が開かれ、実行委員長を務める。本作『百合子、ダスヴィダーニヤ』は一般映画第4作目となった。田中絹代の6本を越える日もそう遠くはなさそうだ。
著書に『女が映画を作るとき』など(05年、平凡社新書)。

*1:「百合祭」みてファンになり、前に映画館でサングラスかけた髪の長いかっこいい女性がいて「この人は絶対に浜野さんだ」と思ったら、あとのトークショーで登場されて「やっぱり浜野さんだ」と思ったのでした。あと、以前、AERA北原みのりの取材した浜野さんの記事があった覚えが……(もうどっか行ってしまった)