とりあえず、HIV抗体検査に行ったほうがいいと思う

 先日、「HIVに感染した看護師に、病院側が退職勧奨を行った」と疑われるできごとが、新聞報道された。

 愛知県内の大手病院で昨秋、エイズウイルス(HIV)感染が判明した三十代の看護師が退職に追い込まれていたことが分かった。看護師は「病院幹部から看護師としては働けないと言われ、退職強要と受け止めた」と話している。病院側は「退職を求める意図はなかった」と、退職勧奨を否定している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010043002000046.html

このニュースが、web上の掲示板で話題になった。

HIV感染の看護師「病院から退職を強要された」 病院「退職を求める意図はなかった」(痛いニュース(ノ∀`))
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1469548.html

この掲示板では、HIV/AIDSに対する知識不足が理由とみられる、差別的な書き込みが多くされている。そこで、id:NATROMさんが、丁寧な反論記事を書いている。

NATROM「HIVキャリアを理由に看護師を解雇することは正当か?」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20100501#p1

私はおおむねこの記事に賛同している。
 だが、一つ疑問が残った。こうした誤った知識により、HIVは感染力が強く、すぐにAIDSを発症すると思いこんでいる層は、HIV抗体検査に積極的に行くのだろうか。日常生活の中で感染する病気であり、しかも進行が早いのであれば、定期的にHIV抗体検査を受けたほうがよいように思う。だが、そうした行動に出ている可能性は低いだろう。なぜならば、実際の検査場では、HIV/AIDSに関して、説明を受けたり、パンフレットをもらったりするこからだ。それらを通して、正確な知識を手に入れることができる。すなわち、HIV/AIDSの原因であるレトロウイルスは非常に感染力が低く、薬によりコントロールもできると理解できるのだ。
HIVは、先進国においては、長生きできる慢性病であり、薬も保険が効くので格別高価でもない。社会生活を営んでいる人も多いのである。もちろん、定時に薬を飲まなければならず、副作用もある。だから、負担もあるのだが、「不治の病」「すぐに死んでしまう」といういのは、誤ったイメージである。いま、世界の中でHIV/AIDSの問題の深刻さは、発展途上国において露出している。十分な薬が分配されず、栄養状態もよくないため、非常に過酷な状況に置かれ、AIDSを発症し、重い感染症にかかりやすくなる。HIV/AIDSの問題は、貧困と格差の問題でもある。
 だが、日本においては、HIV/AIDSのイメージは、まだまだ「みだらな行為に起因する」といったものである。1980年代以降、HIV/AIDSは同性愛者の病気であるという誤った認識が流布した。その後、体液を通じて感染する病気であることが判明し、性行為が感染経路になることもわかった。しかし、非異性愛者への偏見や、セックスワーカーへの偏見もあいまって、HIVは「不道徳な性行為」に対する罰のようにイメージされることもある。さらには、薬害エイズの問題を通して、「性行為以外からの感染=いいエイズ」「性行為での感染=悪いエイズ」といった眼差しも構成される。厚労省文科省も、HIV/AIDSに関する知識を広げるように施策してきた。
 大人気作となった映画「Deep Love」での、HIV/AIDSに関する描写は誤解を、招くものだったようだ。もちろん、フィクションだからそれでも良いのだが、映画のイメージと実際のHIV/AIDSの間にあるギャップを認識するための知識は必要である。なまじ、そうした問題に興味があるだけに、「映画を通してHIV/AIDSの知識を得た」と思う可能性もある。しかし、私自身、高校の性教育の授業でHIV/AIDSやSTDに関するパンフレットをもらったり、講義を受けた記憶がある。保健体育の教科書にも情報が載っていたはずだ。街角で、啓蒙用の薄いパンフレットを手にしたこともある。もちろん、私がそうした情報に興味があったので、目に付いた部分もあるが、一時期に比べれば随分と正しい情報にアクセスしやすくなったように思う。私は少女漫画をよく読むが、HIV/AIDSを扱った作品もあり、HIVに感染した若い人について、かなり丁寧に描写しているものもあった。知識を得るという部分では、状況は改善されていると言えるだろう。
 ところが、日本では、2007年の時点で、HIV感染者は増加傾向にある。これは、先進国の中では、まれである。また、厚労省エイズ動向調査委員会が発表した「平成19年エイズ発生動向年報 」*1によれば、2002年から2007年に新たに感染した人のうち、20代以下が全体の約35パーセント、30代以下は約40パーセントを占めている。さらに感染経路は、ほとんどが性行為である。*2。同年に行われた、性交経験のある18歳〜29歳の若者(大半は女性)*3に対するアンケート調査では、若者が一般人に比べてHIVやSTDの知識が少ないという事実はないことが、判明した。*4特に、不足が懸念されることの多い、ピルが性感染症の予防にならないという知識は、回答者の91.4パーセントが理解していた。だが、「自分でコンドームを買う」のは17.8パーセントであり、常備携帯しているのは10.3パーセントにすぎない。また、HIV抗体検査を受検経験がある人も2割にとどまっている。比してSTD検査の受検経験は4割弱となっており、STD検査よりもHIV抗体検査のほうが、敷居が高いものとなっていることがわかる。*5
 以上でわかることは、若者はHIVに関する知識はあるが、実際に感染を防ぎ、抗体検査を受けるまでには至ってないことである。理由についての分析は、参照論文内にはない。私の単なる推測でしかないが、「知識が身近なものではなく、HIV/AIDSはどこか遠くで起きている問題だという感覚があること」や「実際にリスクがあることを自覚し、現実に直面するのが怖いこと」があるのではないか。自分で抗体検査を受け、セーファーセックスを行うことは、感染可能性があるということを引き受けることでもある。「そんなことはありえない」と思いこむことで、感染のリスクから目をそらしているのではないだろうか。そして、「悪いエイズにかかるような、不道徳な人間」として、HIV感染をした人と自分を、必死で切断しようとしているのではないだろうか。
 私は、他人と性行為をするすべての人は、一度HIV抗体検査を受けたほうがよいように思う。これは、私の経験だが、HIV抗体検査は、一度目の受検のハードルが高い。正直に言うと、私は2年くらい行けなかった。感染が怖かったのではなく、上に書いたように「自分がHIV感染のリスクを持っている」ということに直面するのが怖かったのである。もちろん、正しい知識はすでに持っていた。それでも、「私は大丈夫」だと思いこもうとしたのである。*6検査場では、半分気が遠くなっていたし、結果を聞きに行ったときは、脇から汗がタラタラ流れた。ただ、検査を受けるときに、スタッフからHIV/AIDSをむやみに怖がる必要ないとの説明を直接聞き、相談室があったのでそこでセーファーセックスについて質問し、もし感染したときの生活についての疑問を聞いていく中で、だんだんと現実感を持ってHIV/AIDSの問題を捉えられるようになったように思う。陰性の診断書をもらったときは、あんまりにもアッサリしていた気が抜けたくらいだ。
 大事なことは、HIV/AIDSの感染経路をよく知り、実際の性行為の中でどうすれば感染を防げるのかを知り、実行して行くことである。知識を持つことと、それを実践することの間には、断絶がある。時には、性行為を共にする人との交渉が必要でもあるだろう。「危ないとわかっているけれど……」という罪悪感と恐怖だけを抱き、「大丈夫」だと念仏を唱えているのが一番危険なのである。データ上みても、他人との性行為がHIV感染の経路となっているのだから、それを行わないことが一番のHIV予防となる。だが、そうではない選択をするのならば、HIV/AIDSの感染とどう付き合うのかについて、自分で考えて決めなければならない。どの程度の接触を、誰とどのように行うのか。そのときに、コンドームを使うのか、デンタルダムを使うのか、オーラルセックスで精液を飲むのか、さらにどの頻度でHIV抗体検査に行くのか、行かないのか。そうした細かな線引きが、「自分にとってセーファーセックスとは何か」を考えることであり、「セックスとは何か」を考えることでもある。
 他人との性行為の経験があり、HIV感染の可能性を持つ人は、とりあえず、抗体検査に行ってみてはどうだろうか。リスクと直面し、マネジメントすることは、大人として他人と性行為をする人に課せられる責任でもあるとおもう。
 なお、抗体検査は無料で受けられる。検査には即日検査と、一週間後に結果を聞く検査とがある。多くは保健所で行われているので、お住まいの地域で検索してみるといいと思う。私が受けたのは、「CHARM(チャーム)」が行っている検査。セクシュアルマイノリティ対応だし、サポート体制も整っているのでオススメ。私は大阪・堂山での土曜日検査を受けたのだがそちらは終了している。今は火曜日と金曜日と日曜日に、大阪・難波で実施しているようだ。多言語通訳もあるとのこと。

NPO法人「CHARM(チャーム)」
http://www.charmjapan.com/index.html

ほかの地域については情報を持っていないが、検索するとこんなページが出た。ゲイ・バイセクシュアルに優しい検査場を案内しているようだ。(つまり男性セクマイ向け?)

「あんしんHIV検査サーチ」
http://www.hiv-map.net/anshin/

*1:http://api-net.jfap.or.jp/status/2007/07nenpo/nenpo_menu.htm

*2:東優子「HIV感染への脆弱性とセクシュア・ヘルス/ライツ」(社会問題研究 第57巻第2号、27〜39ページ、2008年3月、による指摘

*3:平気年齢は22.7±2.78歳。学生が全体の4分の1を占め、アルバイト・パート勤労者と、主婦がそれぞれ2割を占める。常勤職者は少なかった。学歴は高卒および中卒の者がやや多く、大学進学者の割合は3割。ただし、生涯学歴ではなく、調査時の学歴である。なお、参考までに付記すると、本調査の主眼に置かれた「金銭の授受を介した性行為」の経験は、14.2パーセントが有してた

*4:ただし、オーラルセックスでも感染するという知識に関しては、一般人よりも低めであった

*5:野坂祐子・内海千種・東優子・徐淑子・桜井哲也「青年期女性における金銭が介在する性行動とセクシュアルヘルスの問題―携帯電話のwebアンケートを用いた調査から―」(平成19年度厚生労働科学研究費補助金エイズ対策研究事業総括・分担研究報告書「日本の性娯楽施設・産業に係わる人びとへの支援・予防対策の開発に関する学際的研究」2008年3月、28〜38ページ、参照

*6:なので、上の分析は自己分析が5割くらい、そして残り半分は私の身近なヘタレな友人たちの話から想像したのが5割くらいである。ブルブルしながら、一度目の検査に行った経験を持つお友達が多くてよかった……