殴られたのはネットで有名な日本人だった

 先日、9月27日、秋葉原在特会*1のデモが行われました。デモを行う街道で、一人の男性がビラに「排外主義 反対です」と書いて、無言で立ちました。在特会の人たちは、男性を取り囲み、日の丸を掲げて、男性を壁際に追いやりました。杖で殴ったと証言する在特会の人もいます。男性は警察の保護もあり、集団から逃れました。その様子を動画に撮り編集した人がいます。おそらく在特会のメンバーもしくは支持者でしょう。以下にリンクします(実際に殴っている様子もありますので、ご注意ください)

動画について、「排外主義はともかく、暴力はよくない」というコメントをする人が、たくさんいました。
 このビラを持って立っていた男性は、id:toled常野雄次郎)さんです。toledさんは、「はてなサヨク」を名乗るはてなダイアリーの書き手です。toledさんは、すべての暴力を、暴力であるがゆえに、否定する立場をとりません。フランス革命は暴力により王制を打倒しました。すべての暴力を否定すれば、抵抗のための暴力もまた否定しなければならないからです。しかしながら、toledさんは自分に加えられた暴力を肯定しません。なぜならば、それは「日の丸」の下に加えられた暴力だからです。toledさんは、暴力が暴力であるがゆえに悪いのではなく、日の丸の下にある暴力だから悪いと主張しています。さらにtoledさんは次のように続けます。

そして街を歩いてみれば、いたるところにこの悪の旗を見つけることができます。役所に、学校に、競技場に。その旗と旗をつなぐようにして外国人差別のシステムは日本国家を構成しています。それが、すでに暴力です。なにもおこっていないかのような日常が、常に暴力です。そして在特会はこのシステムを構成する一要素です。けっして例外的なゴロツキではありません。
toled「日の丸充なう」
http://d.hatena.ne.jp/toled/20090929/p1

こうした論は、おなじみはてなサヨクのみなさんによっても、議論されています。

mojimoji「排外主義それ自体が暴力です」
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090929/p1

hitujinosanpo「集団に あまえて 罪悪感を ごまかすな。」
http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090930/1254239176

Arisan「わけのわからない非難」
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090929/p1

Romance「後退戦、かなしい」
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090929#p1

内容に差異はありますが、大きな共通認識としては、「悪は直接暴力をふるう在特会ではない」ということです。排外主義自体が、その対象となる人たちにとっては暴力です。この社会で生活していく中で、明らかに日本人とそれ以外の人たちが享受する権利は異なっています。その差が不当であることは、これまでの当事者からの異議申し立てによって明らかになっています。しかしながら、是正はされていません。差別があることを放置していること自体が、自分はこぶしを振り上げなくても、排外主義の対象者に対する暴力になるのです。
 今回の動画で、toledさんは排外主義に反対しました。すると、殴られました。その光景は、排外主義への抵抗に対する直接暴力として、視覚化され視聴者にショックを与えました。これは、排外主義を放置する人たちがふるわない暴力を、在特会の人たちがふるったからではありません。不可視化されている排外主義の暴力が、可視化されただけです。「排外主義って良くないよね(でもたいしたこともないよね)」と高を括っていた暴力の実態が明らかになったのです。動画で恐ろしいのは、toledさんを殴っている在特会の人ではなく、toledさんを殴ることを正当化する排外主義です。ですから、toledさんの行動に意味を見出すならば、在特会の活動をやめさせることに寄与したことではなく、動画の視聴者に排外主義の暴力を顕在化させたことになるでしょう。「排外主義はともかく」ではなく、「問題は排外主義」なのです。排外主義を批判することなく、この動画は批判できません。
 さて、id:mujinさんは、上のような効果はtoledさんがあらかじめ仕組んだシナリオによって得られたと主張しています。そして、顕在化した排外主義に衝撃を受けることとは、まんまとtoledさんの仕掛けた茶番劇に乗っかることだというのです。

さて、この一件で在特会の振るまいをそれだけ切りとれば、かれらの非は明白だ。id:toledは暴力行為にさらされた被害者ということになる。しかし本当にそれだけなのだろうか。id:yellowbellが「殉教者になる空気」を危惧しているが、その空気を作り出しているのは、われわれ周辺のものだけなのか。じっさいid:toledがみずから殉教者たらんと意図していなかったか。

かれはもちろん挑発などしていない。排外主義に反対する主張をかかげるのは当然の言動であり、それは決して挑発などではない。しかし、このような事態になることは、かれにとって本当に予想外の事態なのであろうか。かれほどの知者であれば充分に予測していたはずだ。にもかかわらず、あえて暴力の矛先を避けなかったのはなぜなのか。こうなることを望んでいたからではないか。かれは確かに挑発などしてはいないし、じっさい暴力にさらされた人間である。しかし、この事件を作り出したのは在特会の一方の手のみにあるのではなく、かれがまたその一端を担った共同作業だったのではないか。

もちろん、かれは暴力にさらされたことで被害者ぶるような態度はとらない。自分が殉教者であるなどとことさらに吹聴したりはしない。しかし、じっさい在特会の暴力性を暴露するには充分な成果を挙げたではないか。これが意図せざる結果であろうか。もとよりそれこそを目的と意図していたのである。実にあざといやり方だ。あらかじめかれの描いたシナリオに在特会はわれ知らず動員されている。id:toledがシナリオを書き、在特会がそれを演ずることで、この茶番はみごとに完成しているのである。
mujin「排外主義に立ち向かうやり方いろいろ」
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090929/p1

この点についても、はてなサヨク陣営*2から批判が出ています。

buyobuyo「在特会の暴走を被害者の「挑発」のせいにするのは無理」
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090929/p1

hokusyu「つねちゃんが英雄になってしまうという懸念はただのマッチポンプだよ」
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090929/p1

sk-44「リンチ上等と反日上等」
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090928/1254137203

y_arim「排外主義に反対するだけの簡単なお仕事」
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090929/1254246684

私自身はtoledさんから直接にこの行動の意図は聞いていません。なので「殉教者たらんと意図」していたかどうかもわかりません。私は、「殉教者たらんと意図」し、そのまま殉教者になってしまったとしても、それは殉教者を出してしまった周囲の責任だと考えてます。「殉教者なしに排外主義を問えない」という事態がおかしいのです。本来ならば直接暴力を視覚化するまでもなく、排外主義の暴力を問題化しなければならないでしょう。今回の件が茶番だと言うのならば、茶番をやらざるをえないくらい、状況が悪いということです。
 toledさんがしたことは、1枚のビラを持って街頭に立っただけです。「排外主義 反対です」の文字列だけで、殉教者になってしまう、という事態はどう考えてもおかしいでしょう。「デモ隊が通りがかった時に、自分は反対を表明するプラカードを持ちました」「ああそう」で会話が済まず、むしろ暴力をふるわれることが「さもありなん」と納得されてしまう状況は異常です。そして、「暴力を振るわれる覚悟があった」という認識があるのならば、それこそが「今、私たちは暴力によって黙らされている」という状況にあることを示しています。黙ることは暴力の容認ですが、黙らなければ暴力の被害にあう。だからこそ暴力は恐ろしいのです。暴力による支配とは、殴って言うことを聞かせるだけではなく、直接の排外主義の対象に周囲の人々が「自分も殴られないために黙る」ことで維持されます。「覚悟をしたから暴力を振るわれた」のではなく、「暴力があるから覚悟が必要になる」のです。そして「暴力の矛先をよけなかった」のではなく、「そこには暴力しかない」のです。


 さて、こうしてtoledさんがプラカードを持ってデモ隊の前に立ったことの正当性を、十分に述べておいて、いまから全然別のことを言います。
 mujinさんは追加の記事でtoledさんの主体性が剥奪されていると述べています。

暴力の客体になるだけではカッコ付きの「英雄」どまりです。抵抗の主体になることによって初めてカッコが取れて真の英雄になります。もっとも、排外主義者集団の前で反対意見を表明することは英雄のみならず、普通の人でも勇気を振りしぼればできるはずなので、わたしはtoledさんを英雄だと称揚したくありません。かれは英雄ではなく、普通の人です。ただし、勇気を振りしぼって主体的に行動した普通の人です。

わたしがはてなの論調に危機感を覚えたのは、toledさんの主体性があまりに無視されていたからです。じっさいtoledさんが暴力の客体になることを望んだとか、あるいは覚悟していたとか、つまりわたしのエントリに書かれた邪推が当たってるかどうかは、実はどうでもいいことです。それよりも重要なことは、かれは暴力の客体であるだけでなく、抵抗の主体でもあったということです。道ばたに立っていたら、たまたま通りすがった暴力集団に後ろから襲われた、というだけではありません。かれらの暴力性を知りながら恐怖心を抑えて真正面から立ちはだかったという事実を軽視することはできないのです。でなければ、あなたはなぜtoledさんのとなりに寄りそっていなかったのか?
mujin「異常事態に対して」
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090930/p1

常々、「異常で何が悪い」を主張しているtoledさん*3を「普通の人」と定義して良いのか、さらに「勇気を振りしぼって」いたかどうかなぜわかるのか、という疑問は湧きますが、「あなたはなぜtoledさんのとなりに寄りそっていなかったのか?」という問いに答えようと思います。
 私は、もし、toledさんがこの行動に出る前に私に連絡をとっていたら、間違いなく街頭に立たせないように画策したと思います。それは私にとってtoledさんは、お友達(つねちゃん)だからです。たとえば、電話でつねちゃんが「これからこんなことをする」と私に言っていたら、私は間違いなくちょっとキレ気味に「そんな危ないことやったらあかん」と言ったでしょう。今回、幸い大きなけがはせずにすみましたが、打ち所が悪ければどうなったかわかりません。動画を見ていただけで、つねちゃんが殴られてるのを見て、血の気が引いて気持ちが悪くなったし、心配になりました。
 上にも書いたように、私はtoledさんの行動を政治的には肯定します。しかし、感情的には受け入れられないし、ポリシーには関係なく、toledさんの主体性を奪おうとし、自由を抑圧しようとしたことでしょう*4。要するに、私のワガママで止めたと思っているのです。政治的には正しくありません。そしてtoledさんは、事前に私にこの行動について連絡をすることもなかったし*5、私に妨害されることもありませんでした。だから、私はtoledさんのとなりに寄りそってなかったのです。
 恐怖に打ちかち、暴力に立ち向かうのは、toledさんでなくてもよいのです。私は、自分の友達が英雄になることよりも、その他大勢の抑圧者であることを望みます。私の知らない誰かが、英雄になってくれればいいと望むのです。もしくは、自分が殴られたほうがマシです。もう一度言いますが、これは政治的に正しくありません。私の知らない誰かであっても、私はその人が殴られることを、政治的には肯定できない。しかし、感情的には友達が殴られることよりはマシだと思う。
 今回、上を見てもわかるように、はてなサヨクはオールスター戦でtoledさんを擁護言及*6しています。*7もちろん、政治的に意見が一致したこともあるでしょう。ですが、多くのはてなサヨクはtoledさんに会ったことがあるのです。知った人が殴られていること、そのことが今回の擁護言及ラッシュに影響がないとは思えません。もちろん、これはtoledさんの人望とも言えるのでしょう。「はてなサヨクはみんな仲良し」と締めくくれるのかもしれません。
 でも、引っかかりはあるのです。もし、殴られているのが、toledさんのように「ネット上で声が大きい友達」がいる人でなかったら……いえ、もっといえばこうです。普段、排外主義の対象になっている人たちが、殴られていたら、こういう騒ぎにはならなかったのではないか。つまり、結果的にこの件は「toledさんが特権的地位にあること」もまた示しているのではないか、ということです。
 念のために書いておきますが、すべてのはてなサヨクが感情的だとは、まったく言っていません。*8多くの記事は論理的に書かれていますし、政治的立場を述べています。しかし、少なくとも私は、動画を見て感情に流されたし、toledさんの顔を見知っているため動揺した人は他にもいるだろうという予測を立て、影響の可能性を示唆しています。そしてこれはサヨクが本質的に云々と言う話でもありません。政治行動には、イデオロギーにかかわらず、割り切れないものが必然的に付随するのですから。

*1:在日特権を許さない市民の会」興味のある人はぐぐってください。

*2:id:y_arimさんは脱はてなサヨクについても書いている

*3:http://d.hatena.ne.jp/toled/20060609/1149778800

*4:toledさんは反自由党なので別に問題ないかもしれませんが

*5:する必要があったともまったく思いませんが

*6:擁護はしていないという異議申し立てがありました。確かに、擁護というのは語弊がありました。申し訳なかったです。

*7:id:nopikoさんもブクマで発言していますし、id:sarutoraさんもハイクで発言していました

*8:現時点でid:Romenceさんからコメント欄で異議申し立てをいただいています