性同一性障害医療訴訟 証人尋問傍聴(2)

 前回の尋問傍聴の記録はこちら。

性同一性障害医療訴訟 証人尋問傍聴」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090916/1253098998

以下を再掲しておく。

 京都地裁で行われた性同一性障害医療訴訟の傍聴に行ってきた。原告ヨシノユギは、2006年5月20日大阪医大で1例目となる乳房切除の手術を受けた。しかし、その後、患部が壊死した。ヨシノさんは、適切な精神的サポートも受けられず、苦痛を味わうこととなる。ヨシノさんは、この件を、病院側の医療ミスと連携不足よるものとして、訴えている。*1おそらく、正式なレポートは、支援団体から出るはずなので、以下は素人のメモに基づく雑記であることを前提に読んで欲しい。聞き取り間違いや解釈の間違いもあるかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090916/1253098998

 本日の証人は、主たる執刀医(前回証言した執刀医とは別人)と原告、そして原告の後輩であった。もう一人の証言が予定されていたが、時間の都合上、次回にまわすことになった。

 今回も、医療ミスであったかどうかを左右する、壊死が起きた時期についての尋問がなされた。証人が資料を確認しながらの証言であった。専門的な議論であるし、傍聴人は資料も見ることができないので、その点についての進展はわからなかった。
 執刀医に対しては、これまでの手術経験の確認がなされた。また、デザインの手順についての説明が求められた。医師によれば、壊死の原因は正確にはわからないとのことだ。一般的に、乳房切除手術での壊死は起きにくいため、心配はしていなかったという。
 原告のヨシノさんから、「逆T字型」の予定と聞かされていた術式が、手術の前夜になって「デヴィットソン術式」に変わった点について、質問が出た。デヴィットソン術式は逆T字型に比べて傷跡が少なく、手術にかかる費用も少ない。だが、胸のサイズが大きい場合、逆T字型を選択する。ヨシノさんの場合は、「逆T字型で手術することになるだろう」という説明が、過去の二度の診察時に医師によりなされた。ところが前夜になって「術式はどうしますか?」という質問が突然医師からなされる。戸惑うヨシノさんに、医師は「逆T字型で手術した場合、乳房を想起させるような傷跡になる」と説明した。ヨシノさんは繰り返し「逆T字型とデヴィットソン術式とで、壊死のリスクは変わらないのか?」と確認した。医師からは「変わらない」との答えだった。そこで、ヨシノさんはデヴィットソン術式を選択した。しかし、ヨシノさんの胸のサイズは適用ギリギリであったし、デヴィットソン術式は術野が狭くなるため、リスクは逆T字型に比べて高くなる。医師は「経験上は、リスクは心配ない」と言ったと証言している。
 ヨシノさんは、形成外科での診察を受ける前に、自ら情報を集め、乳房切除に複数の術式があることを知っていた。自分の胸のサイズであれば、傷跡が大きくなる「逆T字型」の術式を選択することになることは、予想していたという。そして、傷跡を目立たなくさせるために、筋肉をつけたり、ファンデーションを塗ったり、専用のテープを使う手段があることも知っていた。そこで、胸の傷跡とも折り合いをつけていく覚悟ができていた。しかし、医師の説明の中の「逆T字型で手術した場合、乳房を想起させるような傷跡になる」はやはり衝撃だったという。そして、手術が前夜に迫った状態で、リスクは変わらないし、コストも低いと聞かされ、深い理解や納得をする前に手術に同意した、という思いが強いという。もし、もっとはやくにデヴィットソン術式を選択する可能性を聞かされていたら、独自に当事者グループや現場のワーカーに話を聞き、熟考の上で術式を選択した。前夜に術式の選択を迫られることは、十分なインフォームドコンセントがあったとは言えないとの考えだ。
 医師の側は、ヨシノさんを初めて診察したあと、1週間〜2週間のあいだに埼玉医大の医師にアドバイスを受け、デヴィットソン術式の適用が可能だという情報を得ていた。手術の前夜になって術式を説明したのは、家族もいるのでちょうどよいと考えたとのことだ。医師の証言は「覚えていない」というものが多く、状況ははっきりとしない。たとえば、手術後すぐに、ヨシノさんの親族が手術時間が予定より長くなった理由を医師に問いただしている。そこで、親族は「想像以上に胸が大きかったので時間がかかった」と答えたと記憶しているが、医師は「なんと言ったか覚えていない」と証言する。また、素人ながらに引っかかった点がある。先日の尋問で埼玉医大の医師はアドバイスの際に「統計を見ながら、小さな傷跡になる術式が選択可能であると説明した」との証言があったはずだ。しかし、今日の尋問で、医師は「当時は統計がまだ出ていなかったので、そのような説明はなかった」と答えている。ヨシノさんは尋問でヒポクラテスの誓いを引き「『私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない』という文言どおりに治療を行ったのか」と質問した。医師の側は沈黙し、「即答できないのか」と聞かれて「やるだけのことはやったと考えている」と答えた。この裁判で、何人もの医師が証言台に立つが、「覚えていない」という答えの多さは印象に残る。


 ヨシノさんの主尋問(ヨシノ弁護側からの質問)では、ライフヒストリーや、手術前後のヨシノさんの思い、そして精神状態が当事者の口から語られた。大まかな話は以下の報告集に乗っているので、参考にされたい。

ヨシノユギ「GIDという経験――患者としての三年間」
『生存学研究センター報告3』立命館大学生存学研究センター、2008年10月、156〜162ページ

 精神科医は、ヨシノさんの手術前の精神状態を「静謐である」と記している。ヨシノさんは診察において、冷静にふるまい、感情をコントロールし、辛いことを吐露したり訴えることもなかったという。冷静でいられたのは、この先、乳房切除が叶うのだという希望があったからだ。ヨシノさんは、乳房を切除することで、生活が激変するとは思っていなかったと証言した。切除を望んだのは、乳房があることを気にすることから解放され、いままで以上に落ち着いて生活していけるようになることが、自分の人生にとって良いことだと考えたからだという。
 ヨシノさんが、大阪医科大のジェンダークリニックに受診することを決めたのは、「チーム医療」の宣言を信頼したからである。開業医で行われる乳房手術では、麻酔科医がいなかったり、入院ができないというデメリットがある。適切なアフターフォローを求めての選択だった。ジェンダーについて深く学び、セクシュアルマイノリティの生活を改善するための運動に関わる中で、情報を収集し、納得のいくまで医師に説明を求め、最善の状態での手術になるように努力していた。
 壊死を知らされたあとの気持ちについて、ヨシノさんは長く沈黙した後に「このまま自分は自殺してしまうかもしれない」と思い、後輩に電話をして病院に迎えに来るように頼んだと話した。乳房があるときに、バンドで胸を押さえるのは苦しく、夏はあせもがいっぱいできた。しかし、バンドは外すことができるが、壊死は自分の体そのものである。脱ぐことができない。薄いシャツを着れば陥没していることがわかってしまうし、タンクトップをきれば傷跡がケロイドが見えてしまう。ペイントをしたり、ファンデーションを塗ったり、様々な試みをしてきたが、いま一番落ち着くのは、整髪用の黒いスプレーを吹いて何も見えない状態にすることだという。


 最後に、ヨシノさんの後輩が、ヨシノさんの人となりを証言した。ヨシノさんが術後に安静を保ち、胸に緊張や圧迫を与えることは全くなかったとの証言である。喫煙もしておらず、周囲にも受動的喫煙が起きないように呼びかけていた。また、ヨシノさんが周囲に慕われ、手術の成功を心から祈っていたことなども話に出た。ヨシノさんが、壊死以降、精神的な負担から不安定になり危機があったことも証言された。


 ヨシノさんの証言は、約3時間にわたった。支援団体から詳しい報告が出るだろうし、私の聞き書きでは伝わらない部分も多いと考え、詳しくは書かなかった。終始冷静を保とうとし、自らの経験や考えをわかりやすく論理的に伝えようとすることが、印象的だった。
 次回は、原告側の証人として、手術の鑑定書を書いた医師が呼ばれている。また、受診の付きそいなども務めたヨシノさんの先輩も証言の予定である。10月7日の13時30分開始。

次回が最終の尋問です。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090905/1252137307

*1:詳しい経緯はこちら→http://www.geocities.jp/suku_domo/