どうして世論は草なぎさんに寛容なのか?

 芸能人の草なぎ剛さんが、酔っぱらって全裸になっているところを逮捕されるという事件があった。もちろん、警察のやり方は批判する。それはそれでいいとして、その後の草なぎさんの持ち上げられ方に、ずっと違和感を持ち続けていた。何か言おうかな、と思いつつ、黙っていたのだけれど、やっと私が話したいような話題を、北原みのりネットラジオで話していたので以下にリンクしておく。

「婆星VOL.175 酔っぱらい」

 学生のころ、飲み会で、男の先輩が酔っ払って服を脱ぎ始めた。私は、いつもその場面が嫌だった。裸が見たくないからではない。先輩はそこに女性の参加者がいることをわかっていて、わかっているからこそ脱ぐから嫌だった。私は、「キャーキャー」言う役割を務めるのが嫌で、その場からそっと抜けることにしていた。あれは何なのだろう。予定調和の飲み会の出し物だ。
 わけがわからないからではなく、わけがわかっているからこそ、服を脱ぐことはあるだろう。普段、隠されているものをあらわにすることが、ラディカルさを持つことはあるからだ。しかし、飲み会では、あまりにも多くの男子学生が服を脱ぐ。すでに「隠さなければならない」という規範は崩れているから、脱いでもびっくりしないし、批判もしにくい。「だからこそ、彼らは脱ぐんだろうな、いや、脱げるんだろうな」と考えながら、いつも飲み屋の廊下で一人でケータイをいじって暇つぶしをしていた。
 私が、酔っぱらっても服を脱がないのは、リスクが大きいからだ。私のおっぱいやおまんこが、写真や動画で記録されて、web上で私の知らないところで公開されて、ポルノとして消費されるかもしれない。私の裸の体のイメージは、私の人格と離れて利用可能だ。私が、服を脱いで、隠された体をあらわにすれば、私自身の何かが明らかになることがあるのだろうか。私は、酔っ払って服を脱ぐくらいなら、しらふで服を脱ぎたい。私は直観的に、そのとき私は私が傷つくようなことが起きるのではないか、と予感する。だから、できる限り私は服を脱がないし、服を脱ぐときには覚悟を決めようと思っている。
 そうした経緯の上、草なぎさんの事件もニュースで聞いた。警察はやりすぎだ、と私も思う。でも、正直、酔っぱらって裸になる男、という点では、擁護する気にもなれなかった。彼はなぜ脱いだんだろう。酔っ払うと脱ぐ男性って、どうしちゃったんだろう。*1そして、今回の件でも、世論は草なぎさんが酔っぱらって脱ぐことに寛容にみえる。脱いだのが草なぎさんだからだろうか。謎は深まるばかり。
 ところで、「お酒の失敗くらい大目に見よう」という言説には、私はまったく賛同しない。お酒を飲んでも理性を持とう。そしてコントロールできる範囲でお酒を楽しもう。アルコールの摂取は、気持ちが大きくなって、判断力が鈍るからこそ、快感を伴う。だからといって、起こしてしまったことについては、お酒を理由に免罪されたりしない。*2私もお酒が大好きで、これまで失敗したこともあるからこそ、心から思う。アルコールは依存性のある刺激物です。取扱いには気をつけて。

追記

 一応、この記事は北原さんのラジオの発言を受けて書いているので、疑問を持たれた方はそちらも聞いてみるといいかも。私もネットラジオとか苦手なんで、あんま聞かないんですが、北原さんのはおもしろいです。

*1:ラジオで出てきた、酔っぱらって脱ぐ女性の話は、本気で引いた。それはセクハラだと思うし、ひどい。ほんとに最低。

*2:特にセクハラ。