「日本人」として村上春樹のスピーチを聞く

 私は、村上春樹が、エルサレムで語った言葉を、「日本人」として聞いた。
 イスラエルは、国家というシステムを切望する情熱から生み出された。私は、その情熱を持っていない。なぜならば、私は「日本人」であることを生まれながらに付与され、特権を享受し、国家に守られて生きてきたからだ。それが当たり前にありすぎて、疑うこともなく育った。システム(壁)の内側の人間である。
 村上春樹は、このような「日本人」を相手に小説を書く。読者も、村上春樹を「日本人」だと想定している。「日本人」のコミュニティの中で、「小説家・村上春樹」は存在している。たとえ、村上春樹個人が、日本を嫌って移住しても。
 村上春樹は、エルサレムで「私は小説家である」と言った。このとき、「日本人」コミュニティ内での「小説家・村上春樹」と、エルサレムでスピーチを行う村上春樹は接続される。多くの「日本人」は、エルサレムでスピーチする村上春樹を「日本人」として見ていた。私もそうである。もし、村上春樹を「日本人」だと思っていなければ、私はこんなに彼のスピーチに注目しただろうか。
 村上春樹は、個人(卵)としての言葉を発そうとする。しかし、その言葉は、私に届くときに、すでに「日本人」の発言になってしまっている。村上春樹の言葉を尊重しようとも、私は彼が「日本人」コミュニティで「小説家・村上春樹」というステイタスの基盤を持っているという文脈を外すことはできない。だから、私は、自らの「日本人」性を意識せずに、「日本人」である村上春樹の言葉を聞くことはできないのだ。
 そして、村上春樹は、この構造に気づいているだろう。もっと簡単にいえば、自分のスピーチが、イスラエル社会に与えるインパクトよりも、日本社会に与えるインパクトの方が大きいと気づいているだろう、ということだ。このスピーチは「日本人」から「日本人」へと発せられている。
 私は、村上春樹のスピーチに感動し、拍手をする。エルサレムで拍手をした(一部の)イスラエル人たちと同じように。この誠実でレトリカルなスピーチは、システム(壁)によって個人(卵)の尊厳を守られている人たちへと向けられている。また、彼のスピーチを批判したところで、同じことなのだ。私が個人として村上春樹を称賛し、批判できる自由を保障しているのは、国家というシステムにほかならないからだ。
 このアイロニカルな構図は、政治理論で延々と議論されている。国家に代わる、自由を保障するシステムはありえるのか――わからない。ただ、わかることは、私は明日もこのシステムの内側で自由を享受し、個人として生きていくことだ。浮かれて幸福感に酔いしれようが、神妙な顔で悩もうが、それは変わらない。
 では、何もできないのか――わからない。
 ただ、村上春樹は、「日本人」のコミュニティ内で沸き上がった議論をきっかけに、エルサレムに出向いた。パレスチナ人のためでもなく、イスラエル人読者のためにでもなく、自分のために。私は、自分のためにエルサレムに出向くことはできるだろうか。どこか、「パレスチナの人たちのために」または「イスラエルで抑圧されている人たちのために」と口走ってしまうのではないか。さらには、「無関心な日本人の責任を(勝手に)背負って」と言ってしまうのではないか。村上春樹は(たとえそれがレトリックであろうとも)、他の誰かを口実にしなかった。かたくなに「個人として」やって来たのだと主張する。
 上記のように、構造によって、村上春樹は「個人として」エルサレムに出向いても、語り始めれば「日本人として」みなされ、システムの内側にとりこまれる。しかし、少なくとも、私は村上春樹がそのシステムの内側から――素朴と言っていいやり方で――抜け出そうとし、その試みがシステムに吸収される過程を目撃した。村上春樹がとったのは「心をこめて話す」というやり方である。
 茶番だと言ってしまえば、それだけである。これは、私はその茶番劇に感動するほどしか、パレスチナの問題にコミットメントしていない、と白状することになるかも知れない。ただ、私は村上春樹が「正直に語る」と言ったのを、愚直に受け取って、その態度に応えたいと思っている。私は感動したし、とてもよいスピーチだと感じた。
 繰り返しになるが、それは私が「日本人」という特権を握り、システムに守られていることを証明してしまう。それは、それで事実なのだ。この反復の中で、政治へのコミットメントは重ねられていくのだろう。特権を放棄した政治はありえず、コミットメントは常にエリートによって行われ、サバルタンは周縁化される。その上で、何をするのか。