立命館大学で行われていた、ヨシノユギさん企画の「ナルシストランス宣言」の写真展示が、撤去された。それをめぐってはてなで議論が起きているようだ。id:shibuyan730さんが、以下のようにまとめている。
http://www.geocities.jp/rits_queer/(この団体がさんしゃと文のラウンジにポスターを掲示)
趣旨はこういうことらしい
http://www.geocities.jp/rits_queer/syosai.html
↓
1月23日(金)当局と自治会のもと、撤去される
↓
(団体のブログ記事でアジテーション活動起こる。当事者たちのブログ)
http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20090123/1232712191
http://sukudomo.blog.drecom.jp/archive/192
↓
はてな界隈で賛成か、反対かちょっとした盛り上がりを見せる
1:
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090124/1232743732
(経緯のまとめ+撤去を支持するよ派)
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090125/1232840040
(「性は社会的なものだよ。これはフェミニズムによって提起されてきた重要なテーゼだよ。だから今回の場合の表現も社会的な形をとらなきゃいけない」)
(「自治会も同意してるんなら良いじゃん」)
http://d.hatena.ne.jp/aeromix/20090124/1232789871
(「そもそもセクハラじゃん」)
2:
http://d.hatena.ne.jp/K416/20090124/1232769227
(経緯のまとめ+撤去反対だよ派)
1. 「性=個人的なこと」っての自体が問われてるよ
2. 「セクハラだ」ってのは、ちょっといろいろふまえられてなくない?
3. 「学問の装い」に対する批判は、これもいろいろがふまえられてなくない?
※もうひとついうと、学生自治会なんて今や立命館とグルじゃね?っていう話も絡んでくる。
http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20090125/1232869583
(そもそも当局の行いは器物損壊じゃね?)
(shibuyan730「「ナルシストランス宣言」の写真を見てきた俺がこの騒動についてそろそろひとこと言っておくか」
http://d.hatena.ne.jp/shibuyan730/20090125/1232879162)
shibuyan730さんは実際に展示も観たという。以下が感想である。
実は俺はこの写真が実際に張ってある様子を目の当たりにしていました。
ラウンジで友達とテストやべぇwwwwっつって勉強してたときに、例の写真が目に入ってきたのですが、なんていえばいいのかな、ぱっと見はなんとなく化粧をした男女*1らしき人物が、無背景の中で小奇麗な衣装を身にまとって、時には上半身肌けたりしながら、抱き合ったりしながら、多少やらしめなポーズを取っているというものでした。そんないろいろなポーズをとった写真が、ラウンジに40枚近く貼ってあったかな。見たときは何でこんなあからさまにいやらしい写真がべたべたはってんねんとおもいました。で、友達と面白半分に見に行くと、彼らの一部の写真では性器があらわになっていました。(font-da註:追記参照)でも、その写真に写る人物は男性的ながっしりした体格の割には、男性器らしいものがない、ふたなりでもない、むしろこれは女性器か?というものでした。
そこで気づきました。これはどうやらセクシャルマイノリティのイベントらしい。俺は、なんとなくそこで納得しました。まぁセクシャルマイノリティなら仕方がないなー、普段セクシャルマイノリティということで表現したいという欲求はあるだろうし、この試み自体はアヴァンギャルドで俺は個人的には好きだなーと思ったわけです。w
感想部分に同意するかどうかは別として、どのような展示だったのかというと、FtMで下半身の手術をしていない人の裸の写真が含まれた展示だと推測できる。
はてなの中では、「セクシュアリティの押し付け」*1とか「セクシュアルマイノリティの問題」という観点から取り上げられることが多いようだ。しかし、この展示の一番大事なことは、「扇情的な体」だということではなく、「トランスジェンダーの体」だということだ。
トランスジェンダーの問題を考えるときに、「体」は外せない論点である。私たちの頭の中には、たいてい、典型的な男の体*2と、典型的な女の体*3のイメージがインプットされている。それに合わせて、社会生活で人を「男か女か」と体を見分けながら生きている。だが、トランスジェンダー当事者にとって、その典型的な体のイメージによる見分けの行為が、強烈な暴力として働く。典型例から外れたとき、その体は「おかしなもの」「不気味なもの」と認知され、目をそらされてしまう。その体を「見よ」と露出することは、典型的な体を持つ人間が露出することとは違う意味を持つ。
今回の写真の展示もその意図で企画されたのだろう。上に引用した感想のように、「なんだこれ?」「変だぞ」という反応をあえて引き起こそうとするのだ。体の問題だからこそ、体をさらすのだ。こうした試みは、身体障害を持つ人*4や、レイプされた人*5によっても行われてきた。
中には、「体をさらすだけでは政治にならない」というようなことを書いている人もみかけた。しかし、映画「ナヌムの家」のラストシーンでは、元「慰安婦」女性の裸体が、ただ沈黙の中映し出される。繰り返し付記しておくが、トランスする体も、障害を持つ体も、傷つけられた体も、私たちの典型的な体のイメージから排除されているからこそ、露出したときにインパクトを持つ。この点を抜きにして、今回の撤去の問題は論じられないだろう。
さて、今回の撤去は言うまでもなく弾圧である。*6 許可が降りた展示を無許可で撤去するのは、どう考えてもおかしい。(っつーか、撤去するくらいなら、なんで許可出してん?)おかしすぎて、どうして大学当局がこういう行動に出たのかも、さっぱりわからない。そして文学部自治会が、それに賛同したのもわけがわからない。当局+自治会の申し開きが、とりあえず必要だろう。その中で、性的欲望を喚起する写真を、ラウンジに展示することに対する、主催者側の考えも明らかになるのではないだろうか。
今回の写真の展示が、「扇情的であった」かどうかは、実際に私が足を運んだわけではないので、観ていない。もし、実際に観て「扇情的で、不快だ」という人は、主催者側に抗議すればいい(よかった)と思う。もし、それで折り合いがつかないのならば、当局に介入を要請してもいい(よかった)かもしれない。そうした抗議に対して、主催者も応答するだろう。また、「こんな写真はくだらない」と思う人もいるようだが、それは美的判断である。だから、「くだらない」という理由を批評文によって表明すればよい。どう考えたって、撤去する必要性はないのである。
追記
id:K416さんにより、詳しい情報が提供されてます。まず、上に引用した部分に、展示された写真には「性器があらわになっていました」という文がありますが、以下の報告をK416さんがされています。
あと、「性器が写ってた」って情報(があるらしい。俺は確認してないけど)は間違い。撮ったきいのさんも撮られた側も確認したし、俺も今日(ざっとではあるが)見たけど、そんな写真はなかった。
k416「ナルシストランス宣言の写真撤去について、追加(追記として、イベント主催者の一人であるヨシノさんからの伝言あり)」
(http://d.hatena.ne.jp/K416/20090127/1233054393)
また、この件については、ヨシノさんが改めて声明を出すとのこと。
【写真撤去ニュース関連で来られた方へ】
本企画との同時開催だった写真展、及びその撤去報道に関して、立命館大学在学生頁に大学側の見解が表明されました。
しかしわたしたちとしては、事実に大きな食い違いがあると考えています。本来であれば一刻も早くこちらの見解を出し
たいのですが、現在極めて多忙にて、まとまった時間のとれない状況です。事実経過と見解は追って発表します。
憶測のみで不毛な議論等をされるのは皆様にとっても有意義なことではありませんので、こちらの見解表明までしばらくお待ち下さい。
(http://www.geocities.jp/rits_queer/)
ちなみにヨシノさんは28日(今日)、京都地裁で開かれる弁論に出席予定だそうです。
http://www.geocities.jp/suku_domo/
ほかにもK416さんが情報を提供してくれているので、以下参考に↓
http://d.hatena.ne.jp/K416/20090125/1232869189
追記2
この企画は「立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト クィア・スタディーズ研究会」の主催であった。プロジェクト拠点リーダーの立岩真也が本件に対する見解を発表している。
「ナルシストランス宣言」同時開催写真展「身体と性――この曖昧な点と線」についての見解
(http://www.arsvi.com/ts2000/20090016.htm)