「被害者参加の裁判を疑問視」(朝日新聞)

 昨日付けの朝日新聞の投書欄に、「被害者参加の裁判を疑問視」という投稿が掲載されました。話題が話題だけに、インターネット上に掲載するには躊躇もありますが、投稿者本人が「転送・転載・さまざまな利用を歓迎します。」というコメントをしているので転載します。議論のたたき台になればよい、との考えだそうです。

朝日新聞2008年12月17日「声」欄より

被害者参加の裁判を疑問視
            ヘルパー 屋嘉比 優子 
                (京都市中京区 32歳)

 私は1日に始まった刑事裁判の被害者参加制度を疑問視している。
 そもそも刑事裁判の目的とは何か。被告人と犯罪そのものを審理し、社会全体が当事者となってどう受け止めるのかが問われる。つまり刑事裁判の制度には、被害者救済は含まれていない。
 だからこそ、犯罪被害者の権利は社会福祉や民事裁判などの中でもっと充実されるべきだろう。被害者への施策が極端に遅れていることもこの制度新設を後押ししている。
 法廷での「直接対決」を勧めることは、犯罪を被害者と被告人だけの問題にし、社会が責任を放棄して、復讐をほのめかしているように感じる。
 私は被害者に近しい者として刑事裁判にかかわった経験がある。被害者の苦痛と混乱は私にも伝播し、「極刑を」という言葉を口にしそうだった。
 私は参加できなくてよかった。求刑に何かの意見を出し、被告人のその後に影響力を持つことを引き受けられる冷静さを持てなかったからだ。被害者にもさせなくてよかったと思う。
 刑事裁判の目的は何か、社会は議論を曖昧にせず、市民社会が自らの責任を問い直す必要があると思う。