「Women in Struggle ――目線――」

 昨日観た「NAKBA」で引っかかっていた場面がある。武装集団にコミットしていた若い女性が、収容所で拷問を受けたあと、家に帰る。そして、日常の生活を営み、好きでない相手と結婚することを監督の広河さんに相談しているときに、「収容所はパーフェクトだった。収容所にいたほうが幸せだった」と漏らす。それ以上、触れられることはないが、パレスチナジェンダーの問題が垣間見えた一瞬だった。
 私は「NAKBA」を大阪のシネ・ヌーヴォで観た。シネ・ヌーヴォの二階の小さな上映会場である、シアターXでは、「Women in Struggle ――目線――」 を上映している。どうしても気になって、今朝のモーニングショーで観に行ってきた。
 この映画では、4人の元政治犯(ex-detainees)の50代くらいの女性を追う。彼女らは、インティファーダで、爆弾テロリズムの実戦部隊にいた。自分たちの土地を奪われ、イスラエル兵に監視される毎日。イスラエル兵が武器を持って占領するかぎり、パレスチナ人の請願やデモは屈服させられる。だから、武装蜂起するしかないと考えるに至った。彼女らの手で、爆弾は仕掛けられ、人が死んだ。彼女らは、加害者であり、人殺しであり、テロリストである。
 彼女らは、逮捕され、収容所で拷問を受けたが、政治取引によって釈放された。今はパレスチナで暮らしている。彼女らは収容所で受けた拷問について語る。押さえつけられこん棒を性器にねじ込まれたことや、父親の前で裸にされ近親姦を強要されたことが証言される。けれど、自分たちは誇りを失わなかった、と付け加える。
 一人の女性は、父や兄、周りの若い男性に影響されて、武装組織に入ったという。家に集まる活動家に料理を作る母よりも、武器を手に取る父と仲が良かった。しかし、収容されて以降、ずっと母が面会に訪れ、待ち続ける姿を目にすることになった。彼女は獄中でフェミニズムや女性文学を読み、自分を掘り下げていく。その中で、母と親密な関係を築いた。
 一人の女性は、釈放されてから結婚し、養子を持つ。政治の世界は、殺伐として「非人間的」だという。子育ての中で、子どもは物事をシンプルにしてくれた。愛国の喪失が、埋められていくという。
 一人の女性は、結婚していたが、釈放後に夫と引き離れされた。しかし、それで良かったという。なぜなら、拷問は彼女の肉体を変化させ、セクシュアリティも変えてしまった。結婚したら子どもを持ちたいと思っていたが、できなくなった。彼女は、押し花アートを作っている。最後に「若いころの、自分が世界を変える、という気持ちは感じられなくなっていく。今は、この小さな紙を、押し花アートによって変える」というようなことを、おどけながら言った。
 彼女らは、イスラエルへの憎しみを隠さない。一ミリたりとも、彼らをゆるさない。もちろん、4人が全ておなじ気持ちではないのだが、それでも「すべてはイスラエルの占領によって起きた」という。そして、それは事実である。イスラエル人が入植しなければ、彼女らは人を殺さなかっただろう。
 監督のブサイナ・C・ホーリーは、次のように述べる。

This film never views them as being terrorists or accuses them of being criminals. We as Palestinians are like any other nation in the world who could not exist without standing for their rights or without resisting occupation. In order to lift the injustice that was created by the arrogance of another nation and blindness of the rest of the world. So is the Western world ready to hear and see that from a women perspective??????

「Director's notes on the execution of the film」(http://www.womeninstruggle.com/Director.html

 「NAKBA」は、パレスチナで起きていることを、日本人の広河監督が、外部の立場にとどまることを決意して編集した映画である。対照的にパレスチナ人のブサイナ・C・ホーリー監督は、パレスチナで起きていることを、内部に分け入って撮った。はっきりと、パレスチナの側から撮った映画である。そして、外側の「西洋世界」(このとき日本も西洋に入るのだろうか?)に向けて発信している。同じパレスチナという場所を撮った映画だが、まったく立場は違う。
 私自身にとっては、「NAKBA」は、自己に向かい、思考の沈潜を求められた。対して、「Women in Struggle」は、今すぐ立ち上がることを求められた。それは、(おそらく、フェミニストにとって最も危険な)「女として」という気持ちを煽られるからだ。必要なのは、「彼女らを尊敬し連帯することだ」とアジテートされた。その気持ちに身を任せるかどうかは別にして、非常に政治的にインパクトを持つ映画である。
 そして「NAKBA」と並行して「Women in Struggle」を上映するシネ・ヌーヴォのセンスは素敵だと思う。